2005年06月

「55年体制」は、過去形?

■いわゆる「55年体制」とは、一般に、?戦前の無産政党が戦後合同した日本社会党が、サンフランシスコ講和条約の位置づけをめぐって1950年に左派/右派に2分したのが、朝鮮戦争休戦など冷戦下の1955年に再合同したこと(「護憲と反安保」) 。?それに危機感をもった保守系2政党自由党/日本民主党が合同して自由民主党を結成したことで成立した、保革=2:1の均衡状態共産党/公明党が不完全ながらキャスティング・ボートをにぎる、自民党一党の長期連続政権状況)をさし、1993年の細川政権成立時に、自民党が野にくだったことをもって、おわるとされてきた。■いわゆる、冷戦構造が崩壊したことで、保革の対立的均衡が無意味化したこと(ソ連/東欧体制の自壊で再確認された「既存の社会主義体制への幻滅」。西欧での社民政党と共産党、環境派などのグラデーションが可視化することで、革新派と保守系ハト派との断絶が あいまい化したこと、など)が、直接・間接的な要因とされている。■しかし、バブル経済崩壊などとともに、日本の戦後政治は、完全に異質な構造へと移行したのだろうか?
■日本社会党が、94年以降、自民党にとりこまれて連立政権村山富市首相)として政権につくことで「就任直後の国会演説で安保条約肯定、原発肯定など旧来の党路線の変更を一方的に宣言(後に党大会で追認)、この結果社会党の求心力は大きく低下」、「1996年1月の村山内閣総辞職後、同月社会民主党に改称し、3月には新党として第一回大会を開催、日本社会党は名実共に消滅した。国会議員の多くは同年結成の民主党に合流」といった、悲喜劇としかいいようのない事態をむかえ、モジどおり自壊していったことは、記憶にあたらしい[Wikipedia「日本社会党」]。■「自:社=2:1」という、「均衡」こそ「55年体制」というのであれば、93年終結論は、もちろん ただしい。しかし、問題は、「自民党支配」という基本構造が、おわったかだろう。もちろん、おわっていない。■そうかんがえると、「55年体制半世紀」という時期だということができる。
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米英日三国軍事同盟

■きのう、「国民保護法」っていう、あやしげな法律が成立したこと、それにそって、さっそく「有事=総動員体制」が 構想され、訓練が計画されていることを、かいた。■この「総動員体制」に反対するひとびとの懸念の第1は、つぎのようなものだった。

1.法案では「武力攻撃が予測されるに至った事態」と認められると日本政府が判断すれば、「戦時」になります。でも判断のための情報がアメリカ産だとしたら、日本の主体性はどれだけ確保されるのでしょうか。

■でもって、「アメリカ産」の情報に付随するのが、ヨーロッパの同盟国、イギリスの動向だよね。■国民に異論はあっても、ブレア政権(だけじゃないけど)はブレることなしに、対米全面協力体制だから。■「イラク戦争」という茶番劇でも、それは、いかんなく発揮された。コイズミ政権(だけじゃないけど)もそうなのかもしれない(笑)。
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国民保護法という総動員

■実は2週間まえ、「国民保護法」という、おそろしげな名称の法律が成立した(2005/06/14)。■「○○保護法」という なまえの法律っていうのは、オーウェルの『1984年』の「二重思考」よろしく、「△△支配法」の別称ではないかと、ハラナは うたがっている。「北海道旧土人保護法」=「アイヌ民族支配法」、「優生保護法」=「障碍者支配法」とかね。■リンク集にもあげておいたが、「国民保護法ウォッチャーズ」となのる ひとびとが【「国民保護法案」をご存知ですか?】というウェブサイトを運営していて、これを参考にすると、非常にヤバい状況が進行中であると、痛感する。 続きを読む

相原奈津江『ソシュールのパラドックス』

相原奈津江『ソシュールのパラドックス』 (エディット・パルク)は、ふしぎな本である。■きまじめな日本語教師が、言語学者ソシュールの講義録を軸に、永年の熟考を まとめた言語論なのだが、やはり「コメンタール(注釈書)」というべきなのだろうか? ■ちなみに、著者は、ソシュールの講義録『一般言語学第三回講義―コンスタンタンによる講義記録』(エディット・パルク)の翻訳者のひとり。 続きを読む

法律家養成を再検討する

■以前も、一度紹介したことがあるが、永井俊哉 氏という評論家(ご本人は「哲学者」を自称)が、『永井俊哉ドットコム』というウェブサイトを運営している。■先日(といっても、先月だが)、「末は博士かホームレスか」という、文章で、大学院問題をとりあげている。
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 もしもあなたが日本の大学院の博士課程に進学すれば、周囲からこうささやかれるだろう。なぜならば、たとえ博士号を取得できたとしても、ホームレスにしかなれないぐらいに、今後、余剰博士の問題は深刻になるからだ。「末は博士か大臣か」と言われた時代は終わった。余剰博士問題はなぜ起きるのか、その根本的な原因を考えながら、問題の解決策を探ろう。
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■ハラナも、大学院の定員拡大は、大問題だとおもっているが、ここでは、別の議論をしたい。■それは、いわゆる「ロースクール」問題だ。

■永井さん いわく。
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3. 法科大学院が作られた本当の理由
 2004年4月から、法科大学院という法曹のプロフェッショナルを育成する専門職大学院が創設された。当初、法科大学院修了者の7割から8割が新司法試験に合格すると言われ、人気を集めたが、その後、合格率が2割から3割になることが判明し、二年目は志願者が激減した。新司法試験は、3回までしか受験のチャンスがない。合格できない多くの法務博士が多額の借金を背負ったまま路頭に迷い、それがホームレスの博士を増やすことになるだろう。
 法科大学院は、どうして作られたのだろうか。法科大学院の構想は、表向きは司法制度改革の一環として、提案されたのだが、この提案を最初に出したのが、法曹の現場ではなくて、1998年10月の「21世紀の大学像と今後の改革方策について」という文部省の大学審議会の答申であったことが、この構想の性格を雄弁に物語っている。
 法科大学院のお手本はアメリカのロースクールである。アメリカの大学には法学部がなく、法曹(弁護士・裁判官・検察官など)を目指す人は、通常大学卒業後に法科大学院で3年間の教育を受け、修士レベルの学位を得た後、司法試験をパスして法曹資格を取得する。
 これに対して、日本では、司法試験への受験資格はなく、試験に合格して司法研修を修了すれば、大学を出ていなくても、法曹資格が与えられる。しかし、司法試験は非常に難しいので、大学法学部での授業を履修しているだけではまず合格しないため、受験生の多くは司法試験のための予備校に通っている。そして、法科大学院の本当の狙いは、法科大学院を修了すれば、司法試験の合格が容易になるようにして、民間の司法試験予備校から教育需要を奪おうというところにある。

 もちろん、本音と建前は別である。法科大学院設立の表向きの理由はプロセス重視の法曹養成である。従来の司法試験は一発勝負の性格が強く、受験生は、受験技術の詰め込みに走る傾向があったが、法曹には、専門的な法律知識の他、高い倫理や教養も求められるので、真に優秀な法曹を育てるには、全人的な接触のなかで、対話重視・プロセス重視の教育を行う必要があるというわけである。
 現状はどうなのか。日経新聞の記事から引用しよう。
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