■さて、前回、前々回」と、なにゆえヒトは生得的行動とはおもえない育児、しかも生得的にプログラミングされていないかぎり到底たえがたい負担をにないつづけられたのかを、かんがえてきた。■要は、保育者が「理不尽」「限界」という状況でキレそうなるのを、すんでのところで回避するような戦略を、乳幼児が発達させてきた(というか、そういった行動原理を遺伝子情報としてもたない個体は、早々に死にたえてしまった)らしいという仮説にいたった。
■もちろん、「ヒトは なぜ こそだてするか?1」で心理学者 岸田秀さんの指摘を紹介したとおり、儒教イデオロギーなどが「親孝行」を徳目の中心にすえてきたなど、イデオロギー上のささえも無視できない。■「そだててもらった恩義」を 「かえきしれない心理的負債」としてしょいこんだ次世代が、反抗期・自立期をへながらも、自分もこそだて世代にいたると、「オヤの負担」をとらえかえすようになり、「オヤの老後の面倒をみる義務がある」とかんがえるようになる。■「オヤの負担感がいかにおおきいか」という無言の呪文は、まご世代をそだてるにいたったコドモ世代の「改心」「反省」によって、「孝行」という倫理徳目をはたさせるにいたる。つまり、儒教イデオロギーが十全に作動すると(笑)。 続きを読む
■もちろん、「ヒトは なぜ こそだてするか?1」で心理学者 岸田秀さんの指摘を紹介したとおり、儒教イデオロギーなどが「親孝行」を徳目の中心にすえてきたなど、イデオロギー上のささえも無視できない。■「そだててもらった恩義」を 「かえきしれない心理的負債」としてしょいこんだ次世代が、反抗期・自立期をへながらも、自分もこそだて世代にいたると、「オヤの負担」をとらえかえすようになり、「オヤの老後の面倒をみる義務がある」とかんがえるようになる。■「オヤの負担感がいかにおおきいか」という無言の呪文は、まご世代をそだてるにいたったコドモ世代の「改心」「反省」によって、「孝行」という倫理徳目をはたさせるにいたる。つまり、儒教イデオロギーが十全に作動すると(笑)。 続きを読む