■きのうにつづいて、なかなかかんがえさせる本の紹介で、お茶をにごすことにする。■「いつかこのヘンのことをかく勇気ある人物がいるんじゃないか」と、ふんではいたが、「おお、とうとう、やりましたか?」と、いう2冊(まだ、よみきれていないが)である。
■その1:森岡正博 『感じない男』(ちくま新書)
■自分の「性欲」周辺のことをここまで自己分析した例は、あまりみたことがない(といっても、体系的にしらべていないので、説得力はないが)。「ミニスカート」「制服」「ロリコン」という、目次にあらわれるキイ・ワードだけみれば、匿名掲示板のらくがき、ないしは露悪的なホームページを連想させかなねい(笑)。■しかし、「男性の不感症」という概念が第2章、第5章に2度あらわれるとおり、いたってまじめな「男性性」論である。しかも、それは、心身のさまざまな理由によって生じる、いわゆる「インポ(テンツ)」のことではない。射精しながらも、それが本当の快感とはいいがたい、虚脱感さえともなう単なる「排泄行為」としてのきもちよさしかない、という、かなり普遍的な事実だろう現象をおおまじめに論じているのだ。■このての話題は、ハラナの記憶では、いまはなき映画監督、伊丹十三さんが、心理学者、岸田秀さんと対談するなどのばで議論していたけれども、徹底的に追究されることはなかった。要は、オトコたちが、自虐的に体験談をかたりあうとか、一種の猥談の延長線上にとどまっていたとおもう。■これらのことを、近年急浮上した「男性学」の文脈で、しかも実体験(性的半生)を赤裸々に素材としてあげながら論じきったところは、スゴイ!
■森岡さんといえば、やはり代表作は『無痛文明論』(トランスビュー,2003/10,451ページ,\3800)になるだろう倫理学者。先日の中島先生よりもずっと具体的かつ深刻な議論をつぎつぎと展開してきた。■であるがゆえに、ファン層もコアな部分をふくめて、かなりありそう。たとえば、「森岡正博ファンページ」なんてものがあるし、金沢大学法学部教授で、生命倫理を法思想史系から探求している研究者「青野透のホームページ」のなかには、「森岡正博著作研究」とか「森岡正博研究資料」なんてのもある。
■この青野先生、「3、森岡正博さんに関心を持っている人のために」と称して
「私が尊敬する森岡正博さんについての研究です。ご本人の了承は得ておりませんが、森岡ファンを増やし、森岡さんと対等に議論できる若者を育てるための、ページにしていくよう努めたいと思います。読者の皆さんからの積極的な資料提供もお願いします(森岡正博という文字を見つけたよ、とメールしてください)。」などと、のたもうてますから、ご本人がファンだよね(笑)。
■ちなみに、本書については「感じない男ブログ」ってのが、すできできあがっている(笑)。

■その2:荷宮和子 『なぜフェミニズムは没落したのか』(中公新書ラクレ)。
■森岡さんの新刊の表紙帯コピーが「女も知りたい『男の秘密』!」と、かなりお下品で、編集部も、「うりたい/うれる」っていきごんでいることがありありであるのと同様(笑)、こちらの「上野千鶴子にケンカを売る」というコピーもスゴイ(笑)。■めざとい読者はすぐピンときただろうが、カタカナがきの「ケンカ」は、遥洋子『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(ちくま文庫)を意識しての表記にちがいない。■究極のセクハラ空間のひとつ芸能界をいきぬく、遥洋子さんは、『働く女は敵ばかり』(朝日文庫)をはじめとして、「戦闘モード」ばりばりであり、それは師匠、上野千鶴子さん直伝の「ケンカ殺法」であることはもちろんだ。「フェミニズム界の大山倍達、上野千鶴子にケンカをうるオンナ」とかいうのが、このコピーのウリか(笑)。■半分ほどしかよめていないが、80年代に一部で流行したフェミニズムのうねりの死角をうまくついているおもう。おそらく、上野先生、図星で反論不能だとおもう。「現在の20?30代の女性たちが、それよりうえの世代よりも保守的になった」のは、80年代フェミニズムの失敗の産物なのだから。「ごく普通の知性と感性をそなえた女性たちが、80年代フェミニズムの論調に、おもわずひいてしまった」という、上野さんたちの戦略上の致命的失敗の端的な結果が90年代以降の状況だ。そこを直視しないフェミニストへの挑戦状だな。■もちろん、80年代フェミニズムには功罪両面あって、功績のなかには、森岡さんみたいな「男性学」研究者を少数ながら確実にうみだしたということも、わすれちゃいけない。でも、それを過大評価することでは、全体状況はバランスよく把握できっこない。たとえば、酒井順子 『負け犬の遠吠え』(講談社)が、なんであんなに同世代女性にうけいれられたのか*、全国で男女共同参画の政策への反発・反動のノロシがあがっているかなどが、冷静に理解できないだろう。それは、普通の女性たちのホンネから完全にうきあがった高学歴女性の暴走であり、結局はフェミニズムが志向していた大義からもはずれる結果をもたらしたのだとおもう。■ある意味、荷宮さんは、フェミニズム運動を批判しているが、本来的なフェミニストなんだとかんがえられる。パオロ・マッツァリーノさんが『反社会学講座』 (イースト・プレス)と銘うちながら、実質的な社会学の入門書をかき、「布教」につとめているみたいにね(笑)。

* 「過小評価される「負け犬」論」参照〔2005/11/17付記〕

■「きわめて悪質かつ品性下劣な内容に満ちた本書は、正真正銘のトンデモ本というべきである」とか、いきりたって全否定している書評もある(笑)。しかし、この書評者は、完全に誤読している。■たとえば、少々ながいが、つぎのようなくだり。

林真理子はフェミニストではない、本書では「フェミニズムのようなものスト」なる奇怪な用語で説明する。そしてフェミニズムの萌芽や契機があった「フェミニズムのようなものスト」――すなわち林真理子や本書の筆者・荷宮和子――に対し、上野千鶴子を筆頭とするフェミニストが、その萌芽や契機を潰してしまったというのが本書の主張だ。こうして「フェミニズムのようなものスト」はフェミニストになることができず、その結果「フェミニズムは没落した」と結論付けてみせる。すべてフェミニストが悪いと決めつけるのだ。妄想もたいがいにしろ、というべきトンデモ論法なのである。

 なぜフェミニズムが没落したのか、その答えはあまりにも明らかだ。

 「バブルが崩壊したから」

 この事実を抜きに論じる意味はあろうか? 1980年代にフェミニズムがそれなりの社会的認知を受ける基盤の筆頭はここにある。フェミニズムが少なからぬ女性たちから一定程度の評価を受け、日本社会党の躍進で土井たか子党首が「山が動いた!」と発言することになったのも、バブル景気のおこぼれによって女性たちが一定程度、経済的なゆとり、物事を考えるゆとりがあったためだ。しかし、この事実を本書はひとことも述べない。そしてひたすら悪者はフェミニストだと指弾して一方的に口汚く罵るのである。

(中略)

中央公論新社の親会社である読売新聞社は、「差別を煽」り、「戦争を翼賛」し、「ナショナリズムを鼓吹」しているではないか。「戦争は必要悪」と主張しているのは読売新聞であり、「自己責任」を喧伝するのも、そういう価値観を撒き散らしているのも読売新聞である。誰が「アホである」のか、もはや明らかではないか。

 読売新聞社、すなわち中央公論新社は、フェミニストを叩く意図でフェミニズムに対する憎悪をこめて本書を刊行したのである。

 では、果たしてフェミニズムは没落したのであろうか? そんなことはない。質的には変容を遂げながらも、1980年代のフェミニズムがその遺産として残した土壌は依然として健在である。インターネット上で「フェミニズム」「フェミニスト」を検索すれば、現在でもおびただしいアーティクルが出てくることからも明らかである。読売新聞社はそういう状況に苛立っているのである。

 本書は上野千鶴子を筆頭とするフェミニストに向けられた攻撃ではない。あまりに粗雑な論旨なので、フェミニストにとって大したダメージとはなり得ない。本の帯で「上野千鶴子にケンカを売る」と派手に宣伝してみせるが、上野千鶴子にとって論敵とならないのはもちろんである。では荷宮(あるいは中央公論新社)は誰に向かって書いたのか。フェミニズムに未だ出会っていない人へ「フェミニズムはこわい」「フェミニストは悪者だ」というイメージを振り撒き、「フェミニズムに近づくな」とするメッセージなのだ。読売新聞社のいう「ジャーナリスティックな視点」とは、すなわち世論誘導・情報操作を指すのである。

 というわけで、『実際のところ本書の中身は、フェミニズム批判の体をなしてない。フェミニズムに関して、フェミニストではない女性の反応を何種類か拾い集めた筆者が、それらの声を切り貼りして「フェミニストがフェミニズムを没落させた」図式へと、面白おかしくでっちあげ、人々に高見の見物をするよう誘導している』、のだと評価されなくてはならない。

 中央公論新社の出版物が急速に右傾化していることも付言しておく。



■これだから、荷宮さんに批判されているフェミニストはダメなんだよ。こういった責任「転嫁」をする、あるいは「保守系の反動メディアから刊行されているから、当然この種の論理といった反感だけから、きめつめてしまう姿勢こそ、普通の女性たちをひかせてしまったのだ」という深刻な反省ができない、思考論理こそ敗因なのに(笑)。荷宮さんの批判が粗雑だなどと、自己弁護にはしること自体、「80年代フェミニズムの敗因」をひきずる旧世代の致命的欠陥なのに。■もし、アンチ・フェミニストたちが、これを自派の援軍と誤読してヤンヤの喝采をおくっているとしたら、これこそ笑止千万。しかし、自称フェミニストが本書を「オンナ自身が敵=アンチ・フェミニストに塩をおくるトンデモ反動本」などと位置づけているなら、それこそ、つけるクスリがない。
■議論がわきみちにそれるけど、「バブル景気のおこぼれによって女性たちが一定程度、経済的なゆとり、物事を考えるゆとりがあった」という論理は、バブル経済の功罪のうち、「功」なわけ? そうすると、モノをじっくりかんがえるユトリをあたえられていない現場の労働者のみなさんなど、いつまでもうかばれないね。■たしかに、世のサラリーマンのみなさんなど、天下国家を酒場/ネット上で怪気炎あげてカンカンガクガクやっているようにみえて、その実、全然「物事を考えるゆとり」などなさそうですけどねぇ(笑)。
■くりかえしになるが、ハラナのみるところでは、荷宮さんは「本来的なフェミニスト」とおもわれる。公言しながら、あたらしいスタイルでのフェミニズムを発信している斎藤美奈子さんみたいな存在と同質だとおもうけどな。
■うえにあげたような「てあい」は、本来的なフェミニズムにも男性学にも、邪魔になるだけだから、はやく退場させないといけないな。