■偶然、『皇室・天皇ブログ』というサイトを発見した。■「皇室ヲタのためのブログ。皇室、天皇制の過去、未来の在り方や、ワイドショーレベルの皇室の話題をはじめ、様々な皇室の問題を論じるブログ。今話題の女帝問題の隠された問題点なども指摘していこうかなと...」と、趣旨説明。
■そこに2005/01/28づけで引用された文章(文人 正「共和制への移行が日本を救う」2004年1月15日発行 『SENKI』1132号5面から)をまず転載。

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 そもそも天皇とは、『古事記』や『日本書紀』など日本神話の中で位置づけられて、初めてその超越的価値を持つ存在だが、それらの書物は明治の元老たちが徳川家にかわる国民統合策としてフィードバックさせたものだ。平安末期以来途絶えていた物語を復活させたのである。そしてこの物語はアメリカの2発の原爆投下により終わった。そのとき天皇家は超越的な世界から、民衆の世俗的世界に自らの基礎をシフトすることによって、姿を変えて延命しようとした。これを松下圭一は天皇の正統性の根拠付けが「皇祖皇宗」から「大衆同意」へ変化し、天皇は「現人神」から「スター」へと変貌したと表現した。天皇は「大衆ことに小市民層の日常的欲求の理想とならなければならない。それはなによりも、『幸福な家庭』である」(『大衆天皇制論』1959年)と、姿を変えねばならなくなったのだ。このような変化は、戦後農村人口が減少し、天皇制の基盤となった農村共同体が解体し、都市人口が増大していく中でますます加速していく以外なかった。象徴天皇制の核心は「幸福な家庭」を演じることなのである。

 松下と同様のことを井崎正敏は著書『天皇と日本人の課題』でこう書いている。

 「このスターは家庭人として望まれる『善』をすべて体現し、公人として期待される『善』をすべて実践し、スターにつきものの『悪』もスキャンダルも引き寄せてはならない」

 なんと酷薄な境遇に置かれた「スター」だろうか。世俗のスターであるならば、いかに「聖なる」キャラクターを引き受けていようが、それはプライベートな日常での世俗的享楽によって補われている。天皇はそれさえもが許されないようなスターなのだ。

 「皇室は国民的な欲望を一方的に投影されたまま、その映像に閉じこめられ、期待されるしぐさを繰り返さなければならない」(同書)

 そもそも天皇には憲法で保障された基本的人権が適応されず、プライバシーが完全に剥奪されている。まさにそのことに象徴天皇制を護持する無理があるのだ。

 皇室の側がこの役割からドロップアウトすることがあれば、それでおわるということである。人間である以上、誰もロボットのかわりをつとめることはできない。一方的に投影される国民の欲求の集約点は「幸福な家庭」。だが9条改定は戦争国家の道。それは両立できないのである。だから小沢や山崎の掃き清める道で、天皇制は意外に脆く崩壊する可能性がある。なんとも矛盾した話だ。彼等はまさに「君側の奸」ではないか。

 人間宣言をした以上結局皇室は憲法規定から解放され、自らの意思で文化遺産として存続する以外ないのである。そのような状態を井崎は「国民の元服」と呼ぶのだが、まさに的確な表現だ。国家として日本が自立するためには、だからまず政治家が天皇から自立しなくてはならない。しかるに小沢も山崎も、その改憲論には天皇からの自立がないのだ。パラドックスなのだ。

 このままでいけば、天皇は国民の「聖なる」玩具と化していくばかりではないか。アキヒト家は人権も与えられずに、ただ国民の欲望のままに「聖なる」演技を続けなくてはならない。実はそれは女性週刊誌の不幸・不倫ものの記事とセットで登場する。まさに日常生活の慰みものぐらいの位置しか持たなくなっているのに、天皇主義者はそれでよいのか。その背後にある神話などほとんど知るものはいない。象徴天皇制は本来の居場所だった神話的世界から天皇を追い出してしまったことにより、自らを陳腐化させたのだ。
------------引用終了--------------

※ リンクは、ハラナによる。リンクさきは、「大衆天皇制論」が収録されている、松下圭一『戦後政治の歴史と思想』(ちくま学芸文庫)と、井崎正敏『天皇と日本人の課題』(洋泉社・新書y)を紹介するAmazonのもの。

■これに対して、サイト管理人氏いわく
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 このサイトは、サイト名のごとく、バリバリの左翼系のサイトだし、当管理人にとっては、やや敬遠したくなる感じだが、この共和制への移行を提言した文に関しては、全部ではないが納得させられる部分も多々ある。まあ、そういう気分にさせられること自体、過激な左翼に上手く洗脳・誘導されているだけかもしれないが、当管理人も、天皇制の支持者ながら、実は現在の天皇制は多くの矛盾を抱えており、現状の天皇制を維持し続けることが、本当に日本の伝統文化・美しき流れを守る事にとってプラスなのかというと疑問を持っているのである。
 このサイトでは、天皇を日本神道の権威として民営化することによって、天皇の宗教性を取り戻せと言っている。当管理人にとしては、天皇の民営化が上手く行くのか?現時点では判断材料が乏しいので、賛成も反対も出来ないが、確かに、今の象徴天皇制のような宗教性・文化性を剥ぎ取られた制度は、いずれ崩壊するだろうし、事実、象徴天皇制60年の現在、危機的な状況を迎えているのである。だからといって、明治?終戦までの超越的な天皇制は今更無理だろうし、60年前のように天皇崩壊の危機を迎えると思う。
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■「管理人」氏がいう「バリバリの左翼」とは、一般には「過激派」よばわりされてきた組織だが、この天皇制論についてみるかぎり、「過激」な政治主張などどこにもみあたらない。■天皇制護持を身上とする「管理人」氏にとっては、なやましいのは、「過激な左翼」の「洗脳・誘導」に「納得させられる部分も多々ある」点だろう(笑)。■「管理人」氏は、引用をさけているが、実は、めあたらしいとはおもえない、この天皇制論の前後に、興味ぶかい提言が展開されている。■まず、直後の一段落を引用。
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 そこから言っても、象徴天皇制は廃止すべきだ。皇室の存続を今でも大切だと考える人々は、国家制度や税金を当てにせず、民間の力で神道を純粋に存続させるなかで天皇家を守ればよい。この歪みきった制度をこれ以上続けることは、国民にとっても、皇室にとっても、伝統文化にとっても、そして将来の日本の進路にとっても不幸なことなのである。
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■この種の提案も実はそれほど、めあたらしくはない。■たとえば、「皇室は京都の御所におかえりになり、NPOでもつくって、文化事業の主催者となっていけばよろしい」などの主張は、何度もでている。■むしろ、このサイトの「管理人」氏をはじめとした、天皇主義者のみなさんが、なぜこちらの方向性にながれないのか、フシギ。

■憲法改正論議がかまびすしいが、女性天皇をみとめるのかといった、皇室典範がらみの議論しかとりざたされない。しかし、国連の常任理事国いりに、中国や韓国が条件をつけるような主張をしはじめたとおり、第二次大戦以前の清算が充分でない日本は、まだ信用されていないのだ。■その点について、「過激な左翼」さんたちいわく、


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……改憲わけても9条改定は、天皇条項の見直しとセットでなければならない大きな理由がある。天皇制を保持したままで軍隊の合法化をおこなった場合、「天皇の軍隊」に侵略・蹂躙された過去を持つアジアの隣国に脅威を与えるだけのものにしかならないからだ。それでは、日本の改憲が周辺各国から大きな反発を呼ぶことは必至だ。日本はアジアで孤立し、それ以降のアジア外交に支障をきたすことは目に見えている。

 日本の支配者はそこまでして天皇制を守りたいのか。ならば近隣諸国に脅威を与える9条改憲などせず、世界に通用する一流の国家になることなど考えなければいい。天皇というローカルな神を戴く、アジアのローカルな国家としてしみじみとやっていけばいい。だが改憲して軍を合法化し、自主憲法を制定したいという欲求もおさえられない。ここに山崎や小沢のかかげる改憲論の根本的な矛盾が存在するのだ。世襲のエンペラーを象徴とすることをやめ、真に民主主義的な共和国として自らを再建する以外に、日本がアジアに受けいれられる道はない。いかに「政教分離」とはいっても、天皇がナショナルな神話を背後に持っている以上、天皇条項の存在は宗教的・民族的排他性から切り離せないからだ。しかし日本の支配層は、天皇条項はタブーであるとおそれおののいて手をつけられないのである。ここに彼等の改憲論の根本的な矛盾がある。それでは、いかに自衛隊を軍隊でないといっても誰にも理解されないのと同じく、非論理的なことこのうえない。世襲制の人権なきエンペラーの存在は、国際的常識を欠いた反民主主義の象徴ではないか。だからこそ近隣から見れば、日本は強大な軍隊を持ち、天皇を頂点とする「菊と刀」の国家にしかうつらないのである。……
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■「天皇制を守りたいの」「ならば近隣諸国に脅威を与える9条改憲などせず、世界に通用する一流の国家になることなど考えなければいい。天皇というローカルな神を戴く、アジアのローカルな国家としてしみじみとやっていけばいい」という主張は、実にまっとうだろう。■このサイトの「管理人」氏をはじめとして、危険な改憲論者の暴走にはどめをかけてほしい。なにしろ、「天皇制を保持したままで軍隊の合法化をおこなった場合、『天皇の軍隊』に侵略・蹂躙された過去を持つアジアの隣国に脅威を与えるだけのものにしかならない」のだから。

■それにしても、冒頭にかかげた引用の直前に「過激な左翼」さんたちがのべる、つぎのような一節は、天皇制護持論者にとって痛撃だろう。

------------引用開始--------------
 変化の出発点は、戦後、天皇が「人間宣言」をおこない象徴天皇制になった時点から始まった。明治維新以降、敗戦に至るまで天皇の力が巨大でありえたのは、現人神たる天皇の超越性に依っていた。だが現人神から人間宣言をすることで、その超越性はいっきに消失していった。天皇はその宗教性をはぎ取られることによって、文化的にも自らの居場所を失ってしまったのだ。その復権の決起が、例えば三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷基地での自決決起だった。それを横目で見ながら天皇制はますます風化していったのだ。
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■伊勢神宮に熱心にかよいつめても、婚礼や代替わりの儀式をどんなに荘厳にとりおこなっても、戦前のような超越性は復活しない。■まして、歌会始やら伝統文化の主催をいくらくりかえしても、ジリ貧状態は解消されない。突破口はヨーロッパ流の王室のいきかたか? 皇太子などは、こうした現状認識をもったうえで、もがいているはず。天皇制護持にはひややかなハラナにさえ、いたいたしい感じ。

桜井大子『雅子の「反乱」―大衆天皇制の〈政治学〉』(社会評論社)なんて本もでたし、『あたらしい自画像』みたいに、あぶない議論を、おちゃらけ本で展開する「非国民」もでてきた昨今、天皇制護持者には、ホント同情する
(笑)。