■オケアニアには、もとエスタシアに属した国々が「西海小帝国」以外にもある。■「西南島」と「西極半島」である。 
■「西南島」は「西海小帝国」とは、おもてむき「つきあい」がないことになっているが、なかなか、なかがよい。「西海小帝国」は、エスタシア帝国と、友好国という「たえまえ」があるので、「西南島など存在しない」というタテマエにも、おつきあいしている。■ちなみに、エスタシア帝国は、「西南島」を自国の領土といいはり、「西南島」にかかわる周囲の発言を「内政干渉」とはげしく非難する態度を一貫させてきた。■しかし、「西南島」が独立した一国として機能していることは、だれの めにも あきらかであり、地政学上典型的な内陸国であるエスタシア帝国が、海軍力・空軍力を今後どんなに増強させようと、「西南島」を軍事制圧することは、ほぼ不可能であろう。■そういった冷静な計算がエスタシア帝国にもあるのか、軍事的圧力をほのめかすのは、ポーズだけで、むしろ、「西南島」の国際的孤立によって、兵糧ぜめができないか、と画策しているふうにもみえる。■その一方で、「西南島」の豊富な資金力が投資としてエスタシア国内に大量にながれこんでいて、双方のタテマエとは 全然くいちがった かたちで 経済・文化の交流・一体化が すすみつつあるのは、オケアニア連合やエウラシア連合内部の動向とにている。
■ちなみに、「西南島」がエスタシア帝国領土から きりはなされたのは、エスタシア帝国と「西海小帝国」の対立から戦争が生じ、その際に割譲されたことにはじまる。およそ1世紀ちょっとまえの ことである。■そして、およそ半世紀まえに、エスタシア帝国での内戦でやぶれた勢力が亡命政権として樹立したのが、「西南島」政府であった。その後も、「西南島」政府は、「われこそはエスタシア帝国の正統政府である」と自称していたが、だれも本気では信用していなかった。しかし、そのタテマエに当初おつきあいしたのが、オケアニア連合とエウラアシア連合だったので、「世界紳士同盟」の治安委員会の常席委員にもついていたことがある。■しかし、そののち、オケアニア/エウラアシア両連合が、エスタシア帝国を正式承認するという態度にきりかえたため、「西南島」は窮地におちいった。タテマエとは別に、オケアニア連合が実質的に交流をたやさないことは、エスタシア帝国が同様に実質的に主権をみとめているのと同様、死活問題なのである。■ちなみに、オケアニア連合の首脳部は、みな この複雑怪奇な国際秩序をわきまえているが、政治家も国民も、その政治的意義については鈍感であり、「ひとごと」だとおもっている。自分たちのせいで、こんなことになったという自覚は、カケラほどもない。

■「西極半島」と「西海小帝国」も、愛憎なかばする複雑な関係にある。まるで「ふたご」のような関係性(歴史的経緯と文化的連続性)にあるからこそ、「近親憎悪」的な感情が、たがいの国民にあるのだろう。
■ちなみに、「西極半島」は、「西海小帝国」の植民地支配のせいで、60年ちかくまえに、エスタシアの同盟国=反オケアニアの北部と、オケアニアの同盟国=「西海小帝国」と同質の半植民地状態の南部とに、分裂した。■北部と南部は、「休戦状態」と称して、国境線をはさんで双方の兵士が監視にたつという状況が半世紀もつづいている。■複雑なのは、その南北対立が、おなじ民族間であること、双方がアテにしていたオケアニア帝国(=「北海」)/エスタシア帝国が おもてむき和解してしまったことである。■南北に わかれたのは、オケアニア/エスタシア両帝国の代理戦争のせいだと されていた。しかし現在は 到底 そんな性格を もった対立・分裂ではない。第一、両帝国が形式に和解し、おもてむき友好関係を うたっているのだから。■この南北分断は、歴史的経緯をみれば異様な状態であり、悲劇だということは うたがいえない。一方、オケアニア連合/エウラシア連合/エスタシア連合内部いずれでも、「同一民族」とみなされる集団が別国家を形成していることは、ごく普通のことだ。なにも、「とび地」として分裂しているとはかぎらず、国境線をはさんでとなりあっていることも、マレではない。■しかし、「西海小帝国」の植民地支配のせいで生じた「民族的悲劇」は、「客観的な見解」など到底うけいれる素地をもたないだろう。なにしろ、当事者にとっては「内戦」のなかで同胞同士がころしあい、また「離散家族」が多数でたからだ。■こまったことに、「西海小帝国」はこの分断の責任をまったくといっていいほど感じておらず、エスタシア連合に属する北部を露骨に敵対視してきた。いや、ほんのすこしまえまでは、外交関係がないかのように、ふるまいさえしてきた。「西南島など存在しない」というエスタシア帝国のタテマエに おつきあいしつつ、けっこう よろしく やってきたのとは対照的だ。■といいつつ、人気球技の世界大会の予選をたたかうというのだから、戦争前夜ということはないのだろう。

■ところで、「西海小帝国」と「西南島」のあいだには、文化的・政治的、双方の意味で グラデーション(遷移帯)をなす列島が存在している。「南西海列島」である。■「南西海列島」は、ながいあいだ、「西海小帝国」の植民地であったが、ここ60年間は、前半が 北海=オケアニア帝国の直轄支配、後半は 「北海」の駐屯地を 「西海帝国」が確保・提供するという、二重植民地の体をなしている。■とりわけ、「北海」から派遣された わかい兵士は 粗暴なまま放置されており、「南西海列島」の住民に性暴力をふるうなど、かずかぎりない被害をあたえてきたので、住民の反感はねづよい。と同時に、ながい植民地状況のなかで、兵士と地域住民の友好関係や家族関係もすくなからず生じて、問題を非常に複雑にしてしまった。■こまったことに、この責任のおおくが「西海小帝国」にあるのに、国民のほとんどは自覚がない。「西海小帝国」の安全保障は、去勢されてもなお、「北海の保護のもとまもられている」という図式ができてきたのに、そのツケを「南西海列島」の住民に集中的にシワよせしているという差別構造が、いまだに のみこめていないのである。■まあ、「西極半島」の現状にとっての歴史的経緯を理解できない「西海小帝国」住民に、道理をといても、ほとんど無意味なように、「南西海列島」をだしにして、「去勢手術」を うりものに してきたという卑劣さを自覚させるのは、ムリかもしれない。■いずれにせよ、「西海小帝国」住民は、植民地あつかいをしてきた「南西海列島」を固有の領土として内国化する法律をつくりながら、実質的な「植民地あつかい」をやめないという姿勢の矛盾/卑劣さに反省するようすを依然みせないが、それは単に「差別者」としての知的限界であるにとどまらない。「西海小帝国」住民自身が、北海の準植民地に ほかならないからだ。「南西海列島」が「二重植民地」であるという構図は、この「小帝国」住民に共有された集団心理による支配の合理化(=抑圧委譲)という次元でもいえるのである。■ちなみに、北海の首脳部の一部や突出した知識層を例外として、この二重植民地状況のつみぶかさ、おのれの責任を自覚している層は皆無に ちかい。

■実は、エスタシア帝国も「西極半島」も、「西海小帝国」に ジャマだてされて、国力増強にてまどった経緯をもつことは、双方の国民の意識を複雑にさせている。■なぜなら、両地域とも、「西海小帝国」を一世紀あまりまえまで、大陸棚にうかぶ辺境の後進国と信じてうたがわない伝統を共有してきたからだ。■両地域にとって、野蛮でちいさな後進国が、野蛮さだけを「洗練」させて、自分たちを被害者がわにまわすとは、信じがたい経験であったろう。ともかく、「ねおき」のような、ほとんど無防備な状態を急襲されて、「不戦敗」を宣告されたようなものであった。■そんな屈辱にまみれた両地域が経済大国になろうとしていることは、積年のプライドに火をつけたばかりでなく、過去の蛮行を一向に反省しようとしない野蛮な新興国「西海小帝国」への視線をきびしくさせたのは、当然であった。「世界紳士同盟」の治安委員会常席委員の数をふやす構想に応じて、そこにくわわろうという運動に、「そのまえに、歴史認識を充分ただして、国際社会の信頼をかちえるべきだ」と、くぎをさしたのは、その一部にすぎない。
■しかし、野蛮な新興国「西海小帝国」の一部はともかく、政治家・国民の大半にそういった冷静な歴史的総括ができるわけがない。自分たちの「にわか成金」ぶりに無自覚なまま、「かねもちである、われわれへの、ねたみだ」といった偏見を修正できずにいる。それがまた、エスタシア帝国と西極半島南部住民を刺激するという悪循環がおわりをつげることは、しばらくなさそうだ。

■ちなみに、某新聞のコラムニストは、「世界紳士同盟」の治安委員会常席委員にエスタシア帝国がいすわりつづけること、「西海小帝国」があらたに参入することについて、その「資格などない」と、てきびしい。■もともと、この「常席委員」ポスト、戦勝国連合が ケンカの つよそうな上位5か国をえらんで、特権をあたえたという、いかがわしい とりきめの産物にすぎないから、ここに なを つらねることを ほまれとするような意識をもつこと自体、真の大国というイメージに そぐわないはずだが。