■「自覚のない右派」さんたちに、暴論の エサを 提供するのも なんだが、ハラナが「反日分子」「非国民」だと 誤解したままであるのも、なんなので、中国の国定教科書を 分析してみよう。 
■もっとも、ハラナが とらえる 東アジア近現代史は、先週2回の寓話04/2104/22で、ホントは、おわかりいただけるはずなんだけどね(笑)。■テキスト(ちなみに、文学理論での“text-context”って意味でだよ)は、小島晋治(監訳)/大沼正博(訳)わかりやすい中国の歴史 中国小学校社会教科書(明石書店,2000年,世界の教科書シリーズ?)
■ちなみに、このシリーズには『入門 中国の歴史―中国中学校歴史教科書』、『中国の歴史―中国高等学校歴史教科書』、『わかりやすい韓国の歴史―国定韓国小学校社会科教科書』、『入門韓国の歴史―国定韓国中学校国史教科書』、『新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』など、中国・韓国の歴史教科書の翻訳がそろっている。

■この教科書がナショナリスティックな構造をもっていることは否定できない。■だが、ハラナが問題視する視座は、反中国派層とはおそらく まったく ことなるだろうことを、あとで立証するつもりなので、ここでは総論的な印象をのべるにとどめる。
■問題は、「反中国派」がのべたててきた、「反日」をあおる記述が、それほどみあたらない点だ。たとえば、いわゆる「南京大虐殺」の記述は本文では「その後、日本軍は南京を占領して、残忍非道な万斤大虐殺を行った」でおしまいである(p.145)。■もちろん、そのすぐしたに、かこみ記事「読んでみよう」では、つぎのような記述はあるが。


 日本軍は南京を占領すると、なんと公然と5週間にもわたる血なまぐさい大虐殺を行った。日本侵略軍は中国の兵士と民衆を縛りあげ、機銃掃射し、生き埋めにさえし、さらに南京城内で人を殺して楽しみ、殺人競争を行った。南京大虐殺では、30余万の中国人民が無残に殺戮された。日本侵略軍は中国で極悪非道の罪を犯した。

■「南京大虐殺」否定派のなかにも、30万はおおすぎる、といった数量的な部分否定派はすくなくない。その層は、この記述の「30余万」という数値以外は、容認するのではないか? ■もし、「反日教育」が主目的なら、あいてが小学生とはいえ、もっとながい記述をさくだろうし、強制連行や従軍慰安婦、日本軍が処理せず放置されてきた膨大な地雷・毒ガスなどをふくめて非難するにちがいない。■まあ、これについては、後日、中学校・高校むけ教科書を検討して、議論することにしよう。

■ハラナが おどろいたのは、北京政府の正統性を論証し、印象づけるためにほどこされた、さまざまな 記述だ。■たとえば


……新中国成立後、わが国は他民族の仲睦まじい大家族を形成している。
 わが国には現在56箇の民族があり、そのうち人口400万人以上の民族には、漢族、チワン族、満州族、回族、ミャオ族、ウイグル族、イ族、トゥチャ族、蒙古族、チベット族がある。各民族は兄弟のような感情で結ばれ、ひとつの家族のように親密である。……(p.50)

……党〔中国共産党〕の民族政策に導かれて、各民族は友好的に団結し、平等で、互いに助けあい、お互いの生活習俗を尊重しあい、共に発展し、共に繁栄する新しい局面を切り開いた。
 各民族は大小にかかわらず平等で、みな国家の主人公である。(p.51) 

■ま、これは、仕方がないだろうことをわりびいても、わらえるね(笑)。すくなくとも、チベット問題などが かくされていることは、いなめない。■第2章第2課で「唐の太宗、少数民族を尊重する」という題のもとに、漢民族とチベット民族の友好が歴史的連続性もっているかのように演出されていたり(pp.35-39)、中国の「主人公」漢民族にとって、屈辱の時代にちがいないはずのモンゴル民族による大帝国形成をほめそやして、大国意識に利用するなど(pp.40-3)、なかなか かしこい(笑)。■しかし、旧蝦夷地/千島列島や琉球列島の住民が、なんの矛盾もなく日本国民に吸収合併されたかのような印象を、一所懸命注入しているのが、日本の現在の歴史教科書なので、そのヘンを読者はよくかんがえるように
(笑。そのヘンのカラクリは、ましこ・ひでのり『イデオロギーとしての「日本」』『日本人という自画像』三元社)
■また、製紙法、印刷術、羅針盤と火薬、など世界史的発明を中国の「四大発明」として、ほめたたえているのも、めだつ。■ヨーロッパからすれば、イスラム圏同様、「発明はしたものの、近代社会形成につなげることができず、停滞しつづけた空間」という偏見を助長するだけの記述だろうに。■これは、最終章で、原子力技術や宇宙開発の先進性を強調するだけに、「ながいあいだの停滞」という史観をくつがえすことに成功せず、むしろ論理的に矛盾をきたすという構造を露呈している。■また、おなじく最終章第1節で、国産車製造への経緯をたからかにうたいあげる記述は、後進国から発展途上国へといった位置づけを追認している点では、正直かもしれないが、原子力・宇宙開発との水準のギャップが、かえってコントラストをもたらして、いたいたしい。■諸外国からの技術導入をみとめる記述も、アメリカとドイツのみが固有名詞としてあげられていて、ちょっといじましい「反日」ではある(笑)。

■核兵器開発の経緯をのべる箇所も、気になる論理が満載だ。■たとえば、広島被爆の件をとりあげて、「読んでみよう」という かこみ記事は、つぎのようだ。

 原子爆弾の巨大な威力
 小さな一発の原子爆弾は、ひとつの大きな都市を破壊できる。1945年8月6日、アメリカは一発の「リトル・ボーイ」という名の原子爆弾を日本の広島に落とした。たちまち、この都市は一面の廃墟と化し、死傷者は20余万、崩壊した家屋は6万余り、多くの場所で大火が起きた。群れをなす人々の頭髪は焼けてなくなり、皮膚は黒く焼けていて、惨状は目をおおうばかりであった。(pp.182-3)

■おどろかされるのは、この直後の、かこみ記事「言ってみよう」である。


 原子爆弾は、世界で殺傷力のとても大きい核兵器であるのに、わが国はなぜ原子爆弾を開発するのだろう。(p.183)

■それにつづけて、模範解答らしき記述がつづく。


 当時、世界の核兵器を保有する覇権主義国家が、原子爆弾を使ってわが国と世界の一部の国に対して威嚇を行った。わが国が原子爆弾を持つことによって、彼らの核独占を打ち破り、国防力を強化することができ、世界平和の擁護に重要な意義を持つようになる。(同上)

■核大国ってのは、そろいもそろって、どうして こうも みずからの覇権主義に無自覚なんだろうね。


■ま、それはともかく、翻訳者の大沼先生、かなりながい「あとがき」をおかきになっている。その印象的な一節だけ引用しよう。


……ところでわれわれ日本人が本書を手に取るときにいちばん注目するのは、日本との関係がどう記述されているのか、ということであろう。本書でこのテーマを扱っているのは甲午中日戦争〔日清戦争〕と抗日戦争の部分2カ所である。その他は原子爆弾も威力の説明で広島の惨状が紹介されているのと、八ヵ国連合軍で日本の名が列挙されているのみである。
 このことと、日中間にさざ波が立つと中国が持ち出してくる「歴史認識」を重ね合わせて、やはり中国は小学生にも否定的な日本増を教えているのかと考えるとしたら、それは考え過ぎというものであろう。本書がこの時期を語っているのは、中華人民共和国という国家の正統性を主張する流れの中でのことである。そこで大切なのは、侵略を撃退した共産党に指導された中国人民の抵抗運動なのである。極端ないい方が許されるならば、この文脈の中では侵略した日本は二の次なのである。したがって本書の構成を見て、中国を非難することはまったくの的外れといわざるをえないのである。(pp.211-2)

■ハラナの、おおまかな印象も、大差ない。■中国の歴史教科書はナショナリスティックで、しかも現在の共産党政権の正統性を合理化するための「イデオロギー装置」といってさしつかえないし、それが核保有をふくめた大国意識をはぐくんでいることも事実だろう。■しかし同時に、それは「反日プロパガンダ」などではなく、むしろ徹底的な「日本無視/軽視」の記述群なのである。■ただ それは、日本の教科書自体 アジアを 基本的に 軽視し、欧米の 動向ばかりを 「世界史」との 誤解を 助長するような、かたよりを もっている点、また「日本は、やっぱりいい国、すごい国」という 自画自賛を 基本的には児童に注入し、日本国憲法の もとでの「自由民主主義」体制を 是認するような 記述を くりかえしている以上、五十歩百歩だろう。
■もちろん、あたかも「アカデミズムでの 自由競争が 客観的に 反映され、こまかな事実誤認だけを 修正させている」といった「お手盛りイメージ」=日本の演出が、より巧妙で洗練された茶番劇だという、戦況評価は、否定しない(笑)。■でも、「五十歩百歩」は、あくまで「五十歩百歩」なのであって、現体制の 正統性という、あやしげな シロモノを どうコーティングしようと、「現実逃避」に ちがいは ないわけ。まさか、「馬子にも衣装」なんて、いいださないだろうね(笑)。