■それにしても、「想定」のあまさに対する批判があるにもかかわらず、メディアの報道には、くびを かしげるしかないものがおおい。
■たとえば、先日の『朝日新聞』の記事は、そんな典型だ。
■たとえば「「もんじゅ」近くに想定外の活断層 M7級地震の可能性」(2005/05/24夕刊)では、今月30日に、国の「もんじゅ」設置許可(1983年5月)が無効だったとする、周辺住民のおこした行政訴訟の上告審判決が最高裁でいいわたされることを報じている。■そこでは03年1月「二審で名古屋高裁金沢支部」が「国の安全審査に過誤があったとして設置許可を無効としたが、耐震性の審査は欠陥がないとしていた」「しかし、地震調査委員会は04年1月、敦賀半島先端部から滋賀県余呉町に連なる約25キロの活断層帯」……「でM7.2程度の地震が推定されると、発表した」「。「核燃機構は、80年のもんじゅの許可申請前に活断層の調査をしたが、最も直近にあるこの活断層帯による地震は想定しなかった」問題提起する。
■しかし、非常に ツッコミがよわい。■核燃機構がわの「古い断層で、今後、地震を起こすとは考えなかった」との説明をタレながし。「国の安全審査でも問題にならなかった」と。■さらには、「地震調査委員会の発表を受け、核燃機構はこの活断層帯が動いた時の地面の揺れを最新の手法を使って計算。もんじゅの岩盤上での揺れは200ガルで、想定している最も厳しい466ガルを下回ることを確かめた」「ゆったりとした揺れ(周期2秒付近)では、最大想定値に近い揺れが生じることもわかったが」「重要構造物は周期が短いので影響はない」「と同機構もんじゅ建設所の池田真輝・プラント第二課長は言う」と、まったくの「大本営発表」(笑)。■きのうかいたとおり、上越地震では1500ガルだよ。
■「この活断層帯の過去の活動について、地震調査委員会の報告書は」「ほとんど資料が得られていない」 「とする」というんだから、参考にできるデータない。つまり、いわゆる「想定外」の事態がおきると、うたがった方がいいはずだよね。『朝日』の、この およびごしは、なんなのだろう。■記事のシメは「核燃機構は」「今後の調査を見守り、必要なら耐震性の検討すする」「と説明している」と、ずいぶんと悠長だ。94年4月に臨界に成功して、もう10年あまりだよ。■なんで、『朝日』は、「公正中立」をよそおって、ツッコミが ほとんどない タレながし記事をかいたんだろう
(もっとも、別の紙面では、もうすこし批判的な姿勢の記事もあるけどね。「もんじゅ設置許可無効確認訴訟、30日に判決 最高裁」)

■それはともかく、きのうの豊田先生ではないが、「想定」外といった、いった「ねごと」は、ヤメにしてほしい(もちろん、ホリエモン氏のように、なんでも「想定内」などと、うそぶくのは、こまるが。笑)。■科学ジャーナリストの天笠啓祐さんは、「事故には法則性があるJR西日本福知山線の脱線転覆事故と対応させて おきるべくして起きた事故、今回も例外ではない」という小文を発表されている(『図書新聞』第2727号,2005年5月28日)。主要部分を紹介しよう(ゴチック?ハラナ)。
■「1、事故には必ず背景がある。どんなに偶然によって起きたかに見える事故でも、偶然ではなく、必然的に起きる今回の事故でも、国鉄分割・民営化後に繰り広げられた、私鉄との教祖を口実にした大規模なリストラが、事故の背景にあった。大幅な人員削減が行なわれ、それが労働現場で過酷な条件をつくり出していたし、労働組合が抵抗力としての機能を失っていた…」■「2、事故はしばしば……思いがけない分野で起き、想定される範囲を越える。…今回も、脱線後にマンションに突入など想定された範囲を越えていた。」■「3、事故は繰り返される。今回の事故も、地下鉄日比谷線での脱線事故が起き、一段落した時におきた。」■「4、大事故は日常的な小さな事故の積み重ねで起きる。事故が起きたときに引き合いに出される有名な法則に「ハインリッヒの法則」がある。…労働災害の起き方に関してデータをを分析し、1931年に発表したもので」「……重傷が1件あると、その背後には、軽傷が29件、ハッとした出来事が300件あったというのである。……今回の事故でも、無理なダイヤ編成によって定刻運転ができず、遅れることが多く、スピードアップが日常化していた。おそらく、ハッとする出来事は以前からよくあったと思われるし、大事故寸前までいった事故も起きていたと思われる。小さな事故を無視してきた会社の感覚が、今回の大事故に結びついていったと思われる。」■「5、事故は連続して起きる。一つの事故が起きると、一見関係ないようなところで似たような事故が起きることが多い。現場は、ぎりぎりまでリストラされているため、慢性的な人員不足に陥っているそのため一つの事故への対応に人員をとられたり、注意が集まるため、他への対応がおろそかになり、事故が連続することが多い。今回のケースでも、注意を喚起するよう言い含められているはずの事故後に、さまざまなトラブルが報告されている。」■「6、事故はいくつかの要因が連続しておきる。事故のドミノ理論というものである。確率論的には起こ得ないような、偶然が連鎖して起きる事故が多い。今回の事故も、いくつかの偶然が重なっているはずである。……」■「7、事故は人間的な要因が最初にある。人間はミスをするものである。この場合、定刻を守るためにスピードアップしたことが事故に直結した。……ミスを事故につなげないための考えかた……フェイルセイフ……に基づいて、安全設計が行なわれていなければいけない。……」■「8、事故は最新鋭といわれるものほど起きやすい。新しいものほど経済性を重視して、古い設備や機械がもつ無駄を削るためで、一見無駄と思えることが、安全性確保に大切な役割を果たしているものが多い。現在、さらに損傷許容設計という、損傷が一定程度ならば許される、という考え方がとり入れられている。コントロールできる範囲の損傷ならば許容できるという考え方は、ぎりぎりまで損傷を許すことにつながっていく。……」■「9、事故ではいつも隠ぺい・ねつ造・改ざんが行なわれる。それが、次の事故を呼び起こすことになる。今回も、隠蔽・捏造が、後から次々と明るみに出ている。……」■「10、事故の基本にあるのは、「安全性はコストに規定されるということである。経済性を追求する際に最初に削られるのが、安全性や環境への配慮など、「余計」なコストである。……事故は後から振り返ると、必ずといってよいほど、起きるべくして起きている。今回も例外ではない。」

■これら天笠さんの苦言=経験則が、各地の原発関連施設や軍事基地など、巨大システム全般に、あてはまることは、いうまでもない。■こういった、まじめな「事故論」をふまえていない、というか、国策とか経済性とか、学界的なメンツかと、そんなツマラナイ理由で、直視されない、あるいは軽視されたまま、多数の市民の生活が危機にさらされているというのが、「隠ぺい」された「現状」「真実」なのではないか?■公共工事や、財政破綻などと同様、テクノクラートのいう「想定」「計算」は、全部「マユつば」で監視をしつづけるほかなかろう。■そのためには、大学内外に、優秀で まともな研究者/技術者がそだつよう、システムづくりをしなければならない。■人命軽視で、競争にかったところで、本末転倒だ。オウム真理教など、カルトにはしった 高学歴者たちの 迷走ぶりを なげいたり、あざわらったりしているまえに、人命軽視の巨大システムを「護持」するという、「無自覚なマッド・サイエンティスト」たちの狂信ぶりこそ、問題にすべきだろう。高木仁三郎さんとか、豊田先生とか、まともな研究者の みみをかさない アホどもを、はびこらせないこと、アホが 後進に ウツらないように、大学改革が必要だし、そんなこともみすえた 進学相談が あってしかるべきなんじゃないか?


●ウィキペディア「ヒヤリ・ハット
●ウィキペディア「ハインリッヒの法則
●日記内「ハインリッヒの法則」関連記事