■高校の公民科の先生の調査によると、首都圏の慶応をはじめとする 一部有力私大の法・経系学部の受験科目には、政治経済がないのだという(慶応大学法学部は 批判をうけて 近年A日程入試で、ようやく くわえたようだ)。■これは、なにも文学部などだけではなく、法学部や経済学部などでも、そうなのであろう。要は、地理歴史科だけが、いわゆる「社会科」系の受験科目であり、公民科では受験できないことが おおいわけである。■高校での、とりわけ受験界ので、公民科の劣勢は、こんなところにあるのでは、というのが、先生の仮説である。
■たしかに、「世界史」「日本史」「地理」などとともに、「数学」が選択科目にありながら、「政治経済」が選択できない法学部や経済学部というのは、非常に奇妙である。学部スタッフにしろ、カリキュラムにしろ、「政治経済」は、むしろ中核的な入試科目になって、しかるべきで、地理歴史科系の科目は選択者が少数派でないと、おかしい。■スジ論からいえば、経済学部は「政治経済」と「数学」必須で 「現代文」と「現代社会」どちらか選択、法学部は「政治経済」と「現代社会」必須で 「現代文」と「数学」どちらか選択、あたりか?
■実は、おなじような構造は、文学部などにも みられる光景である。■「文学部」は、「文学青年」「文学少女」「文学者」といった イメージが つよすぎて、小説・戯曲や詩歌などを 鑑賞するのが主軸と それに付随して「文化史」「美術史」「思想史」などが くわわる、といった誤解を されてきた。■しかし、文学部の大半は、社会学や心理学、人類学、哲学などをふくんだ 「人文・社会の 百貨店」的空間なのが、普通だ。■当然、入試科目も、「現代社会」「倫理」が 中核的科目になったうえで、「政治経済」などが受験科目の選択肢にはいってしかるべき、陣容/内容なのだ。
■社会学や心理学、哲学など専攻の学生のためには、「数学」も課して当然である。■で、実際、経済学や心理学などをまなぶ学生の 共通のボヤキとは、「数学の基礎知識が前提となった専門科目が かなりおおくて、ついていくのが、タイヘンだ。1?2年生で、数学/統計学などを履修しても、おっつかない」というものだ。
■このように、実は、入試科目は 「入学後 カリキュラムに ついていくのに 必要だ」と かんがえられる基礎力を とうものとは、到底いえない構成をとっているのが、実情だ。■とりわけ、2教科/3教科型の 入試や、推薦入試/OA入試など導入による「入試改革」とやらを 積極的にうちだして、受験者数確保/偏差値向上に はしってきた 私学は、はなはだしい アンバランスを きたしてきた ときく。■なんのことはない。「5教科7科目」による大学入試センター試験と いった、たかい ハードルを 課すと、負担感から 受験生がにげるので、私学は 慶応のような ブランド校でさえも、「受験生の少数の得意科目で 能力を発揮してもらう」といった 美名のもと、入学後の不適応など、無視した「改革」の狂奔競争になってしまったということだ(笑)。

■でもって、入試問題作成というのは、大学の先生たちにとって、ものすごい負担らしい。■というのも、「入試改革」の余波で、入試回数と種類が激増し、実際に入試問題をつくる量が、どんどんふえていっているからだ。少子化で 受験者数がへっているにもかかわらず、「ひとあつめ」に狂奔する入試課の要請にあおられて、出題数が じりじり ふえてしまう。過去問は参考にするが、それは良問をパクるというよりは、むしろ、既出領域を さけるためだ。当然、加速度的に だせる範囲がへっていく。唯一、そういった 素材が続々でるのは、「現代文」や「小論文」の素材ぐらいだろう。■そんなこんなで、入試出題にあたった先生方、作問で 夏休みの大半がつぶれ、その検討作業で、あきが つぶれる。その あきには 推薦入試が はじまる……、という、まさに「アリ地獄」状態に、なやまされているようだ。当然、入試問題作成にかかわらない/かかわれない教員に、ものすごい敵意を感じている(笑)。ま、当然だろう。
■そんななか、入試問題作成にあたる中軸は、教養系とか基礎科目系といわれる、旧教養部系の先生となるのは、当然だ。■大学院などを担当している、「エラい教授さま」たちとちがって、教育・研究が 「高度でなく、高校の普通教育カリキュラムに ちかい性格がある」という幻想が、ねづよくあるからだ(笑)。■数学や物理など、しろうとでは、てにおえない科目群はともかく、「現代文」とか「日本史」とか、専門との からみで、なんとか ごまかせる 科目(笑)などが、この 教養系や わかての先生方の かたに、おもく のしかかる ことになる。■おそらく、地理・歴史系の入試科目が 選択肢の主軸になるのは、受験者数が 格段に おおくて、入試出題スタッフをさくのに、わりがあう、という点と、地域研究や歴史研究を 専攻のなかに たずさえているスタッフが、どうにか ごまして 作問できる、という、大学の内部事情によるのではないか? なにしろ、地理歴史科免許取得のための科目は、人文・社会系の学部のばあい、かならずおくから、当然 スタッフもいるはず。教養科目として「西洋史」「東洋史」なんてものの、担当者も当然いるはずだからね。それを、コミで 新規人事を くむことさえあるらしい
(ここらあたりを、全部「外注」で非常勤講師まかせにすると、教員免許対策は、壊滅状態になるんじゃないか? 笑)
■それに対して、「倫理」「政治経済」は、選択者がすくない。大学入試センター試験の「現代社会」などは、「日本史」よりおおい、20万人弱と 最大だが、これとて、理科系などを 中心に、ロクに 「社会科」科目に 精力/時間をさかなかった層の、ヤブレカブレの 集積の結果なんじゃないか?(笑。すくなくとも、法・経系学部の受験生で、「現代社会」選択は、今後も非主流派のままだろう) ■そして、法・経系学部のスタッフは、すくなくとも、法解釈学とかミクロ経済学とか、そのあたりの主流派であるかぎり、「エラい教授さま」という、あつかい/意識が支配的だと、かんがえられる。そういった「エラい教授さま」のばあい、大学院入試ならともかく、「高校の『政治経済』ごときに、貴重な時間さいて 出題なんかできるか?(そんな時間など、政府の審議会とか、学外の公務でいっぱいだ……)」といった論理に たどりつくことは、容易に想像がつく(慶応あたりなら、充分ありえる。笑)。
■要は、「受験者数がふるわないから、入試課が熱心でない」という構造を いいことに、「受験生の選択肢の確保」といった正論がおしつぶされ、「作問者が不足しているから、はずしてしまえ」……といった、結末をむかえがちなのではないか?

■この ハラナによる推論は、はずれているかもしれない。■しかし、大学の先生方、とりわけ私学の人文・社会系で、「入試科目によって、専攻分野に適性のある学生をとろう」といった、気概を おもちのかたなど、ごく少数派のはず。東大京大や早慶のように、全国の受験生/予備校講師/高校教員から、あつい視線で入試問題がみつめらるような「ハレ舞台」は、例外的なわけだから、「ヘタうたないようにしよう(出題ミスは絶対回避)」といった、消極的な動機しか、入試にはからまないと、おもうわけ。おそらく、東大京大等の「大先生」は入試出題から解放されているはずだし、「中先生」も「ハレ舞台」なんて 感じず、「おつとめ」って、おもっていると、おもうよ(笑)。
■つまり、旧帝大系、それにつづく特権的国立大学だけが、「二次試験によって、専攻分野に適性のある学生をとろう」といった時間・精力を はらう余力があり、しかも「センター入試」で 当然のように 「5教科7科目」を受験生に要求しても、ソッポを むかれることはなく、「偏差値ほか入学者の相対的な水準低下」という不安から解放されていると。■そうでない、大学、とりわけ私学は、慶応でさえも、「学部適性や基礎学力のバラつきには、ある程度、めを つぶるしかない」という論理で、ギリギリまで、入試科目をしぼりこむ。あるいは、選択肢を やたらに ふやす、という戦術に、おいこまれているんだね。■こういった文脈のなかで、「経済学部の受験科目に政治経済と数学は不可欠」といった正論は、むなしく ひびくんだとおもう(笑)。

■ともかく、今後も、「政治経済」の教科書編者の こえが かかると、うれしがる、「中先生」は、いきのこりつづけるだろうし、受験参考書の編者/校閲者の こえが かかると、実は ちょっぴり うれしい「大(?)先生」は、なくならないだろうけど
(印税とかね。笑)、「自分は 質の たかい 良問で、高校以下の中等教育に、模範をしめせている」「高校生の履修範囲のなかで、格調たかい 出題が 可能で、受験生が啓発されることは、もちろん、高校教員/予備校講師にも、感銘をあたえるような かたちで、大学のブランド向上にも 一役かっている」と、むねをはるような「大先生」は、でないんじゃないか? ■大学の先生方には、「自分たちは『学術的な知的生産者』で、外部の『享受者』とは、別格な存在だ」っていう、尊大な自尊心が、おありのようだから。■理科系はともかく、大半の先生方の論文・著書は、傘下の学生/大学院生と、オタク的で、ごくごく せまい「ご同業」の 先生方以外、よまないような「知的生産物」にすぎないし、そんなもの「生産」して、「大衆」と どこに 「格段の差」があるの? って、いいたいけどさ(笑)。オルテガとかの、「大衆」概念に 無知だから 維持できる「エリート意識」に すぎないんだよ。もちろん、自覚などない、「ハダカの王様」(笑)。