■コザ(沖縄)出身の社会学者、野村浩也さんの『無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人』(御茶の水書房)は、破壊的な衝撃力をもった力作だ。2ee778ef.jpg
■日本政府、特に安保体制関係者(外務省の北米・太平洋アジア担当とか、防衛庁関係は、もちろん)は、「写経」して、よむべき文献だ。■これは、岡崎論文とことなり、「写経」に「(笑)」などは、つけない。それは、二重の意味でである。
■第一に、「抄本」として コピーされたかたは、しかたがないが、連日紹介した「写経すべき岡崎論文」は、『現代思想』誌上、突出して「やさしく、わかりやすい」ものだ(『現代思想』誌は、なにやら、岩波の『思想』に順ずるような位置どりであるらしく、執筆者の大半は、必要以上に りきみ/せのびに、はしりたがる。笑)。したがって、すくなくとも文科省のお役人は、ラクラク よみとおせる、たぐいマレな 論考である(教育委員会や校長・教頭層の「学識」について、ハラナは、しらない。笑)。当然、熟読すべきだし、一言一句よみおとさないためにも、味読しつくすためにも「写経」すべきなのである。できるのに、やらないのは、犯罪的だ(官僚制に、もとる)。■しかし、本書『無意識の植民地主義』は、分量も p.270弱と、すくなくないし、現代思想的用語と概念、問題意識、構成、歴史知識など、さまざまな「素養」を要求している。その 意味では「読了」自体が、それなりに難儀だし、普通の生活者なら、写経に半年ちかく かかるだろう。■だが、であるがゆえに、そのぐらいの「修行」は 官僚層に 必要だと、ハラナは断言する。「大学の先生たちは、所詮しろうと」と、その知力に自負があるなら、「第二第三の野村」の出現に 応ずるべく、お勉強しておいたほうがよかろう(笑)。
■もともと、米軍基地問題をかかえこむ安保体制は、人権侵害と人命にかかわる話題なので、基本的に、「わらい」とは 縁どおい。■岡崎さん、えがく 小学校現場が「わらってる、ばあいじゃない」状況でありながら、筆致によっては「トホホ物語」として演出可能であるのとちがって、日本人におしつけられた米軍基地は、例外的にしか「喜劇」が、えがけない。そんな意味も 当然からまる。

■第二に、岡崎論文は、なめるようによめば、一応わかるつくりになっている。写経しながら、整理ノートぐらいはつくらないと、アタマに はいらない、トホホな「お役人さま」は、たくさん いそうだが(笑)。■しかし、本書『無意識の植民地主義』は、まったく別種の文章だ。かりに、全文・全単語が 日本語として「わかって」も、「筆者の いいたいことが さっぱり わからない」ということが、充分ありえる。■もちろん、岡崎論文だって、「論旨は わかったが、そんなこといわれてもねぇ……」という反応は、五万と でそうだ。しかし、本書は「みだれのない日本語で、一貫した論旨が展開されているらしいことは、わかったが、論旨が理解できたとはいえない」という感想をもらすのが、日本の平均的知識層ではないだろうか? それも、通常は「良心的知識人」などと、自他ともに、みなされてしまうような御仁たちがである。■つまり、たましいに共鳴がおきる読者にのみ、しずかな革命が はじまる、そんな本だ。

■論旨は明快である。■?日本は沖縄を植民地化してきた。それは現在進行形でもある。?植民地化の現段階の最大のものは、米軍基地集中。これが、平和憲法とセットである点が偽善的だ。?植民地化は、もちろん軍事的な次元にとどまらず、政治経済的、文化的な次元にまで深部に達する(「日本語」「日本史」「基地・公共事業・観光産業依存体質」の、おしつけ……)。?軍事植民地化は、軍事協力者=共犯化をしいる行為だ。ベトナム戦争など、おおくの米軍戦略に沖縄は加担させられてきた。?「沖縄フリーク」とか「沖縄に連帯する知識人」とかの、ほとんどは、自己愛的で、いやしの手段、あるいはアリバイづくりとして利用しているだけで、あきたら、にげる連中だ。それは、米軍基地集中への態度がリトマス試験紙だ。……■これらの、批判が むねに ひびいてこないなら、本書を わざわざ よむ段階にない。どうせ、わからないだろう。■それだったら、高校の歴史の先生、新城俊昭さんによる『高等学校琉球・沖縄史』(地方・小出版流通センター)でもよんだほうが、よろしい。■あ、そのまえに、先月の『沖縄タイムス』社説で、お勉強が、さきだね(笑)。

■本書では、作家、池澤夏樹のような著名人から、著名とはいいがたい人物まで、何人もの「日本人」が、おバカ発言しているさまが、批判される。はげしいものだが、すべて もっともな ものだ。■今後、野村さんの影におびえる、知識人がふえそうだ(笑)。



■ついでに、ある社会学者(沖縄在住)のウェブログを紹介しよう。

----------(引用開始)-------------
もう一冊、出版社さんからお送りいただきました、沖縄本です。


無意識の植民地主義―日本人の米軍基地と沖縄人

作者: 野村浩也
出版社/メーカー: 御茶の水書房
発売日: 2005/05
メディア: 単行本

9.11テロや沖国ヘリ事件をめぐる沖縄やその言論状況も取り上げており、重要な一冊だといえるでしょう。

ですが、お送りいただいたのに恐縮ですが、あえて勇気を出して、言わせてもらいましょう。ひと通りざっとページをめくってみての印象を言うと、正直私はひいてしまいました。何にかというと、「沖縄人/日本人」という二項対立的な区別を、あまりにベタに使っているように思われたからなんですね。引用の際に、「?という日本人はこう言って・・・」というように、固有名詞の後に「という日本人」を付けているんですね。これにはさすがに違和感をおぼえました。こうした本質主義的な言い回しは、あえて戦略的に行っているものなのでしょうか。

もうひとつ不思議なのは、このテーマであれば最近まっ先に思い浮かぶ肝心な人がいるんですが、その人への言及がほとんどないんですね。謎です。・・・えっ?それって私?んなわけないでしょー(笑)案の定、私の本などは全く言及されておりません。安堵の胸をなでおろしております(爆)

ともあれ、ご関心がおありのみなさん、お買い求めの上、直接お確かめいただければと思います。

----------(引用終了)-------------

「沖縄人/日本人」「という二項対立的な区別」「こうした本質主義的な言い回しは、あえて戦略的に行っているものなのでしょうか」って、あたりまえじゃん(笑)。■「案の定、私の本などは全く言及されておりません。安堵の胸をなでおろしております(爆)」って、「このテーマであれば最近まっ先に思い浮かぶ肝心な人」「への言及がほとんどない」こととは、全然別種の理由で、「全く言及され」ないってこと、うすうすわかってんじゃないの? おそらく、その直感はただしい。■「あまりにベタに使っているように思われた」とか、「これにはさすがに違和感をおぼえ」たとか、そのヘンの感想がでそうなこと、野村さん充分わかっていながら、琉球大学でおしえる同業者、しかも「沖縄イメージ」とか、完全にカブっている人物に、礼儀をつくして「ジャブ」を はなったんじゃん。■「あえて勇気を出して」とかいうけど、単に鈍感なだけじゃないか(笑)? こういた人物に「沖縄イメージ」とか論じられたくない、「24時間態勢の辺野古」とか、良心的知識人づら、されたくない、って、野村さんは、いきどおっているとおもう。
■この本が、同業者であるはずの著者から、直送でなく、出版社からの機械的な発送だったというのは、野村さんの、この社会学者への位置づけがよくでている。■そして、この「ジャブ」は無意味でなかった。一見、「ネコに小判」のようにみえて、こんな おバカな感想を、よりによって、自分と特定されるウェブログにかきこむという トンマな感覚は、野村さんの真意がわかるひとには、当然 一目瞭然(イチモクリョーゼン)だからだ。
■この社会学者先生と同様に、なにも問題を感じとれない読者にヒントをさしあげよう。■本書全体が、人口の約99%をしめる「日本人」にむかってかかれているのだが、特に第4章「日本人と無意識の植民地主義」の3節、「良心的日本人」という無意識の茶番(pp.132-151)、ここの冒頭部分から数ページが「試金石」だ。■ここの最初の方で、「ああ これ 自分のことだ……」という、チクチク感がない人物は、野村さんに糾弾されている「日本人」そのものだ。ずっとよんでいって、ますますわからなくなる人物ほど、「重症」だ。
■「「沖縄人/日本人」という二項対立的な区別を、あまりにベタに使っているように思われた」だって? それは、あなた=沖縄在住の自分が「『良心的日本人』という無意識の茶番」を演じていることに無自覚だからだ。野村さんが、「『当事者であるはずの日本人が第三者のようにふるまうことは、自分を棚上げにすることによって責任逃れをはかる行為でしかない』と批判している行為そのものを実践している」という自覚が欠如しているからだよ。
あなたが、どんなに沖縄で平和運動にかかわろうと、そしてどんなに、ゼミや講義で学生にかたろうと、受講生が野村さんのような批判的視点をたずさえていないかぎり、植民地主義に加担させることになるだろう。たとえ、沖縄出身の青年でもね。差別されている現地で、「無意識の植民地主義」を再生産している大学教員っていうのは、最低だよね。■もっとも、本書を理解した受講生が、かれの講義・ゼミを受講したなら、それは 最高の「反面教師」になるだろう