■以前も、一度紹介したことがあるが、永井俊哉 氏という評論家(ご本人は「哲学者」を自称)が、『永井俊哉ドットコム』というウェブサイトを運営している。■先日(といっても、先月だが)、「末は博士かホームレスか」という、文章で、大学院問題をとりあげている。
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 もしもあなたが日本の大学院の博士課程に進学すれば、周囲からこうささやかれるだろう。なぜならば、たとえ博士号を取得できたとしても、ホームレスにしかなれないぐらいに、今後、余剰博士の問題は深刻になるからだ。「末は博士か大臣か」と言われた時代は終わった。余剰博士問題はなぜ起きるのか、その根本的な原因を考えながら、問題の解決策を探ろう。
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■ハラナも、大学院の定員拡大は、大問題だとおもっているが、ここでは、別の議論をしたい。■それは、いわゆる「ロースクール」問題だ。

■永井さん いわく。
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3. 法科大学院が作られた本当の理由
 2004年4月から、法科大学院という法曹のプロフェッショナルを育成する専門職大学院が創設された。当初、法科大学院修了者の7割から8割が新司法試験に合格すると言われ、人気を集めたが、その後、合格率が2割から3割になることが判明し、二年目は志願者が激減した。新司法試験は、3回までしか受験のチャンスがない。合格できない多くの法務博士が多額の借金を背負ったまま路頭に迷い、それがホームレスの博士を増やすことになるだろう。
 法科大学院は、どうして作られたのだろうか。法科大学院の構想は、表向きは司法制度改革の一環として、提案されたのだが、この提案を最初に出したのが、法曹の現場ではなくて、1998年10月の「21世紀の大学像と今後の改革方策について」という文部省の大学審議会の答申であったことが、この構想の性格を雄弁に物語っている。
 法科大学院のお手本はアメリカのロースクールである。アメリカの大学には法学部がなく、法曹(弁護士・裁判官・検察官など)を目指す人は、通常大学卒業後に法科大学院で3年間の教育を受け、修士レベルの学位を得た後、司法試験をパスして法曹資格を取得する。
 これに対して、日本では、司法試験への受験資格はなく、試験に合格して司法研修を修了すれば、大学を出ていなくても、法曹資格が与えられる。しかし、司法試験は非常に難しいので、大学法学部での授業を履修しているだけではまず合格しないため、受験生の多くは司法試験のための予備校に通っている。そして、法科大学院の本当の狙いは、法科大学院を修了すれば、司法試験の合格が容易になるようにして、民間の司法試験予備校から教育需要を奪おうというところにある。

 もちろん、本音と建前は別である。法科大学院設立の表向きの理由はプロセス重視の法曹養成である。従来の司法試験は一発勝負の性格が強く、受験生は、受験技術の詰め込みに走る傾向があったが、法曹には、専門的な法律知識の他、高い倫理や教養も求められるので、真に優秀な法曹を育てるには、全人的な接触のなかで、対話重視・プロセス重視の教育を行う必要があるというわけである。
 現状はどうなのか。日経新聞の記事から引用しよう。
「新司法試験の出題科目以外は授業中、耳栓をして自習しています」。西日本にある国立大の法科大学院が先月開いた懇親会で、学生の言葉に教授たちは驚いた。「合格することで頭がいっぱい。必要ない授業は、内職したり、途中で退出したり。まるで学級崩壊だ」。教授はため息をつく。
[日本経済新聞:大学院肥大化のツケ, 2005/02/27]


 学生たちは、司法試験合格に必死なのである。試験と関係のない話を聞きたくないのは当然である。もしも本当に、学生たちの試験志向の態度を改め、プロセス重視の教育を可能にしようとするならば、司法試験を廃止し、法曹の選抜を、法科大学院の教授の主観的評価に委ねなければならなくなるが、これは弊害が大きい。
 こうしたプロセス重視の教育論は、高校受験での内申書重視や大学受験での推薦入試導入の際になされた議論とそっくりである。1993年に脱偏差値を標榜する文部省が業者テストの排除を行って以来、内申評価が客観的評価から主観的評価に変質し、今日話題となっている学力崩壊の一つの原因になっている。プロセス重視の名のもとに、法曹の選抜が、法科大学院の教授の主観的評価によって行われるならば、同様な知識軽視が進むであろう。しかし、プロセス重視の選抜には、学力崩壊よりももっと由々しき問題がある。

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■永井さん、いろいろ 事実誤認や混乱を きたしてているような気がする。

……法科大学院の構想は、表向きは司法制度改革の一環として、提案されたのだが、この提案を最初に出したのが、法曹の現場ではなくて、1998年10月の「21世紀の大学像と今後の改革方策について」という文部省の大学審議会の答申であったことが、この構想の性格を雄弁に物語っている。

という、ツッコミは ただしい。■「司法制度改革の一環として、提案された」のであれば、法務省主導で 審議会などが ひらかれねば ヘンだ。■「21世紀の大学像と今後の改革方策について」「という文部省の大学審議会の答申」がだされたというのは、いってみれば、司法改革という法務省の土俵に、文部省(当時)が ずかずか あがりこんで、独り相撲をはじめてしまったことを意味する。■ま、厚生労働省管轄の医師・歯科医師・薬剤師など 医療系専門職の資格はともかく、養成については、文科省に基本的にしきられてしまっているのと、おなじカラクリだ(もちろん、カリキュラムなどで、実質内容について、厚生労働省は、くちだしする。笑)。
■また、司法試験受験を、完全に予備校にしきられていることを、にがにがしく おもっていた 文科省/法学部関係者が、法律専門職の先進国 アメリカの システムを 導入するという、大義名分を利用したという、「内幕」も、ただしい。
■しかし、実質的に定着するかどうかは ともかく、アメリカ式の法律家養成が、デタラメという わけでは、もちろんない。■プロセス重視は、本来的には、正論なのである。プロセス重視を 問題だというなら、本家本元のアメリカの法律家養成の機能不全、病理を指摘したうえで、「マネなど やめろ」と、いうべきなのだ。
■「新司法試験の出題科目以外は授業中、耳栓をして自習しています」という学生のホンネに、おどろく大学のセンセーたちも、世間しらずというか、能天気すぎるが、「新司法試験の出題」しか眼中にないような制度が、過渡的というか、アメリカ式の養成方法の受容の失敗というべきなのだ。■国公立大学の医学部学生の、医師国家試験合格率が8?9わりを維持しているように、法科大学院修了者も、基本的には法律家としての専門資格をあたえられるのが、本旨だ。■それができないなら、趣旨に反するし、約束違反でもある。また、それが、市場の需要をはるかにこえた合格者数になるなら、それも約束違反である。■もちろん、全国の私立大学に法科大学院が設置されたという事実ひとつをとっても、文科省が まったく責任をおう気がなかったことは、あきらかだ。

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4. プロセス重視だと茶坊主が有利になる
 プロセス重視の教育で、子供たちは勉強しなくなり、代わりに、教師に対して「良い子」を演じるのがうまくなった。同じことが、法曹でも起きるだろう。従来の司法試験は、結果のみを判定したが、司法研修所では、プロセス重視の教育評価が行われていた。司法試験合格後、合格者は、1年半司法研修所で研修を受けるが、そのプロセスにおいて、任官志望者の選別が行われる。近年の長引く不況と合格者増の影響で、任官志望者数は増える傾向にある。ところが、選別の基準は不明瞭で、国家権力に従順な人物が選ばれ、反権力的な人が排除されていると言われている。
 これに対して、弁護士には反骨精神のある反権力主義者が少なくないのは、プロセス不問で、学力だけで選抜されるからだ。法科大学院の課程で弁護士が選抜されるようになれば、教授に媚を売る茶坊主型の弁護士が増えることだろう。ちょうど病院が大学ごとに系列化し、医局が若い勤務医の人事を支配するように、法律事務所が法科大学院ごとに系列化し、ボス教授が弁護士の人事を支配するようになるだろう。
 既存の大学における学位の認定や人事など、プロセス重視の選抜では、有能な人材ほど排除される傾向にある。


 学位というものは、大学の入学試験や資格試験とは全く異なります。これは試験を行う者が現場を見ないで試験をやって、採点して何点取れば合格というものではありません。つまり、客観性が低く、学位を出せる成績かどうか判断する教官の主観に作用されることが大きいのです。優秀な成績を上げた、頑張った、努力したというのは必ずしも良い結果には結びつきません。いくら多くの業績を残したとしても、担当の教授が認めないと言えば不合格なのです。逆に、殆ど仕事をしていなくても、助手や技官の仕事等と併せて論文にまとめてしまい、楽に学位を取得する者も多数います。この様な状況の中で、学位が欲しい学生と成績を判断する教官との間に大きな力の差が生まれます。
 そうすれば、学生はどうしなければならないでしょうか。お気付きになったと思いますが、学位を取りたいと思うならば、担当の教官との人間関係を損ねないのは絶対条件です。たとえ無茶な要求をされたとしても、どうしても学位が欲しいのなら、我慢して命令に従わなければなりません。


 学問的に無能な教授ほど、研究に専念する有能な部下よりも、自分のために雑用をやってくれる無能な部下をかわいがる。そして、無能な部下は、出世すると同じことを繰り返す。厳しい市場競争に晒されている企業のトップが、周囲をイエスマンで固めると淘汰されるが、大学は規制と補助金で守られているから、腐ってもなかなかつぶれない。そして問題の根源は、ここにある。
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■永井さん、意図的に、プロセス重視の法律家養成を否定したいのか、あるいは、事実誤認の自覚がまったくないのか、ものすごい暴論を展開している。■「弁護士には反骨精神のある反権力主義者が少なくないのは、プロセス不問で、学力だけで選抜されるからだ」というのは、まったく司法研修所の機能を誤解している。弁護士だって、「司法試験合格後、合格者は、1年半司法研修所で研修を受ける」んだから(笑)。■裁判官や検察官が、より「いい子ちゃん」で、権力追従的な性格の可能性がたかいことは、経験則でしられている。そして、「選別の基準は不明瞭で、国家権力に従順な人物が選ばれ、反権力的な人が排除されている」という構造も、何十年も指摘・批判されつづけてきた。■しかし、弁護士が「プロセス不問で、学力だけで選抜されるからだ」というのは、まったく事実誤認だ。この程度の しらべで、法律家養成制度をうんぬんする、神経は、すごすぎる。

 ……法科大学院の課程で弁護士が選抜されるようになれば、教授に媚を売る茶坊主型の弁護士が増えることだろう。ちょうど病院が大学ごとに系列化し、医局が若い勤務医の人事を支配するように、法律事務所が法科大学院ごとに系列化し、ボス教授が弁護士の人事を支配するようになるだろう。
 既存の大学における学位の認定や人事など、プロセス重視の選抜では、有能な人材ほど排除される傾向にある。……


という、一般論は おそらく ただしい(笑)。充分警戒・監視すべきである。■しかし、先進国アメリカが、そういった理由で無能な「茶坊主」ばかりを養成し、機能不全をきたしているかどうか、かんがえてみるとよい。■ハラナは、アメリカの弁護士の拝金主義、ゲーム感覚には、感心しないが、しろうとめにも、日米の弁護士の 質/量には、数十年の時代差があると、にらんでいる。
■それと、永井さんの議論が、根本的に乱暴なのは、司法研修所と法科大学院と理科系大学院を、同質の権力ピラミッドとみなしている点だ。■「ちょうど病院が大学ごとに系列化し、医局が若い勤務医の人事を支配するように、法律事務所が法科大学院ごとに系列化し、ボス教授が弁護士の人事を支配するようになるだろう」という、危険性は、アメリカとちがって、「日本的土壌」という次元で、警戒すべきだ。しかし、医局支配によって、開業医、とりわけ辺地医療などにたずさわる医師たちが、母校から完全コントロールをうけているとか、いった実態が、一般的だろうか? ■はっきりいおう、権威主義的で、ともすれば、国家権力への追従を ほのめかすような司法研修所の1年半を経験しても、反骨弁護士は、それこそ何百人もうまれていく。■永井さんが、大学院の支配体制を象徴するために 引用した 組織は、医学などをふくめた 理科系の大学院だ。大学院という空間は、旧帝大系ほかブランド大学かどうか、研究科が理系や、伝統のある法学・文学系のように権威主義的組織かどうか、など、具体的空間を特定しないと、一般論はなりたたない。■それは、阪大、東大、一橋と、哲学系の学部・修士・博士を わたりあるいた 永井さん ご本人が、経験ずみのことではないのか? ■それとも、永井さんは「教官運」が、極度に わるくて、すべて 権威主義の 権化のような 空間ばかり、経験したのか(笑)?

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5. 教育と研究に市場原理を導入せよ
 これまでの議論をまとめよう。公教育は、ゆとりの教育によって教育の質を下げ、大学院重点化により修業期間を増やし、少子化に伴う需要の減少に歯止めをかけようとした。もちろん、大学院重点化の表向きの理念は、高度に複雑になった社会に対応できる質の高い人材の供給ということなのだろうが、学位が高くなっただけで、能力は高くない人材の押し売りをすることは、大して性能が向上していないソフトを「アップグレード版」と称して高値で売りつけることと同様に、売り手が市場を独占していなければできないことである。
 そこで大学人たちは、大学院を出なければ、国家試験が受験できないように、制度を変えることで、教育市場を独占しようとした。法科大学院を作るときも、当初、法科大学院を修了しなければ、司法試験が受験できないようにする予定だったが、法科大学院に行かなくても受験できる抜け穴を作ったため、独占に失敗し、いまやその存続が危機に瀕している。
 私は、法科大学院の優遇制度がなくなることを望んでいる。医師国家試験も、かつての司法試験と同様に、学歴とは無関係に受験できるようにするべきだ。その代わり、筆記試験のみならず、実技試験をも盛り込んで、知識だけでなく、技能的にも優れた医師が選抜されるようにすればよい。そして、医師国家試験のための教育は、市場原理の機能する営利企業に任せればよい。そうすれば、今よりも早く、かつ低コストで医師が育つようになる。一方で、入り口の敷居を低くしつつ、他方で、問題の多い医師の免許を取り消して、出口も大きくした方が、入り口も出口も小さい現在の制度よりも、日本の医療サービスの質は向上するだろう。
 私たちは生産者中心の論理を消費者中心の論理へと変える必要がある。法学部であれ、医学部であれ、どこであれ、優秀な人材を短期間かつ低コストで効率よく育成するには、政府が教育産業から撤退するべきだ。政府が公教育という殿様商売を続けていると、社会のニーズと合致しない割高な粗悪品を量産することになる。政府は学位認定と資格認定を前提条件なしで行い、教育機関はすべて市場原理の機能する民間企業に委ねるべきである。もしも日本の教育機関の効率が良くなれば、海外からの留学生も増えるから、少子化が進んでも、日本の教育産業は衰退することはない。

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■「消費者中心の論理」。おおいに けっこうだ。■しかし、これだけ 乱立し、どこの法律事務所も ひきとりようがない 数の 法科大学院修了者(法務博士=「通常の博士の学位と異なり修士相当」)が 大量養成される予定だから、それこそ、「市場原理」に まかせれば よかろう。■日本中に、やくたたずの インフレ「法務博士」号は、あざわらわれ、取得者の うらみぶしが、うなりをあげることだろう。■しかし、挫折者の数・専門学校に「すてられた」学費、試験の難関ぶりに反して 実社会で異常なぐらい過小評価される、典型的資格といえば、税理士さまが、あるではないか? いまや 税理士は、開業した税理事務所を顧客ごと ひきつがねば、まったく わりがあわない資格といわれている。■歯科医師なども、それに準ずるのではないか? 法律家だけ、こわだかに その養成を 問題視するのは、それこそ、特別視=特権視、あるいは 大学院制度全般の否定など、別の「真意」を、うたぐってしまう。在野の「哲学者」には、一種 異様なほどの 粘着質な権威主義をかんじるしなぁ(笑)。「学問的に無能な教授ほど、研究に専念する有能な部下よりも、自分のために雑用をやってくれる無能な部下をかわいがる」というのは、国立大大学院生から野にくだった 有能な哲学者の 実体験かもしれないな……。
■ちなみに、「教育機関はすべて市場原理の機能する民間企業に委ねるべきである」という、産業界がよろこびそうな、発言が、小学校には、通用しないことは、岡崎先生の論文を参照した「託児所としての小学校」の一連の分析で、わかるよね? ■ケア労働が ほぼ民間だけでなんとかまわっているのは、家庭の事情に いっさい介入しない(する必要を 感じられていない)幼稚園だけ、という現実を、ちゃんと ふまえておこうね。■小中学校を すべて私立学校に きりかえたら、ものすごい 奨学金を大量に用意しないかぎり、学校にいかせない(いかせることができない)「保護者」が 大量発生することも、ほぼ確実だろう ていう、予測もね。■それと、「大学は規制と補助金で守られているから、腐ってもなかなかつぶれない」っていうけど、私立大学の実態は どう? 毎年のように つぶれる 地方の弱小私大は おくとして、首都圏や近畿圏の私大、一向に つぶれそうにないんですけど。まさか、つぶれない 私大が みんな 「競争原理ゆえに、国公立の平均水準より 総じて まとも」とか、「私大も ものすごい 規制と補助金で守られているから、国公立と同類」とか、いわないよね(笑)? ■国公立の先生方も、私大の理事会も、どっちも、おこるとおもうよ。「私大と一緒だと? バカにするな!」とか、「旧国立みたいに 補助金で守られているなら、ヒトあつめ、カネあつめに、こんなに ちまなこに なってない!」ってね(笑)。

■ともかく、なんらかの「資格試験」を課しさえすれば、「到達度」が客観的に測定できて、市場原理にも、のる。そうすれば、教育機関=過程の 客観的評価も 可能で、万事正常化し、まるくおさまる、なんて、幻想だよ。■まさか、就職戦線や大学入試/高校入試という、「一発試験」制度が、大学/高校/中学の 客観的な 教育効果を 測定しえている、なんて、いわないよね? ■現行の英検や司法試験や教員免許や医師国家試験が、それぞれの分野の適性について充分客観的な能力を測定しえているとか、適当な人材をえらべているといった想定が、あやしいのも、おなじことだ。■教育機関=課程の「出口」「上位」に、市場原理にねざした民間ベースの資格/選抜試験をおこうが、国家管理の資格/選抜試験をおこうが、「内部」を競争原理にそって正常化できるっていうのは、あやしい。■「測定」には、「誤差」がつきものだから、「市場」が実際に「つかいがって」を たしかめるまでは、わからないんだよ。

■ちなみに、数年まえだが、司法研修所の教官(たぶん、検察官で出向しているひとだったと、記憶しているが)が、「いまどきの修習生(研修中の合格者)は、予備校のテキストが例示する論点しか、しらない。あげる論点で、どこの予備校か わかるぐらいだ。自分で徹底的に かんがえぬくタイプが、激減した。問題だ」と、なげいていた。■これが、「いまどきの わかもの」論だったら、いいんだが、ハラナは、そうじゃないと、にらんでいる。■「塾を学校に」論を 先日批判したが、本質は おなじだと、おもう。「民間にまかせ、市場にゆだねる自由競争」ってのは、えてして、こうなる宿命をかかえると……。

【関連サイト】『大学院教育 その恐るべき実態? 私の体験談 ?