■「死刑制度について(その3)」「(その4)」にトラックバックをいただいた(「ブログ批評に応えて <4>」 ,「ブログ批評に応えて <5> 」)ので、おへんじをかく。■いつもどおり、トラックバック分は、アオ
■死刑廃止派の先進国の定義

これについて再度(笑)。わたくしは「ハラナさんが思っていること」を批判しているのではなく、「死刑廃止派の多くが発言していること」を批判しています。

■それは、ウェブログのながれからして、よくわかります。


おそらくハラナさんの立場であれば「先進国で死刑廃止をしていないのは日米だけだ」という論は展開されないでしょう。なぜならばハラナさんの認識として「日米は人権において発展途上国」であり「(人権)先進国」の範疇にはないからです。
■そのとおりです。

死刑存置派による「死刑制度存置=人権発展途上国」説への定番の反論として「死刑廃止国が人権先進国といえるのか?」というものがありますが、おそらくハラナさんはこのような立場にも立たないでしょう。例えばイスラエル、南アフリカを例に出さなくても、欧州でも英国で911事件以降アラブ系市民大量逮捕等の人権侵害等問題はあるのはご存知のはずだからです。
■これについても、異存ありません。

アムネスティも「死刑制度存置=人権発展途上国」というような立場には公式には立っていないはずです。しかしアムネスティは2004年9月14日のニュースリリースで「日本は死刑を存置する数少ない先進国の一つ」としています。死刑廃止と死刑存置の考察・掲示板でこの件についてコメントが寄せられていましたが、投稿された方の仰るとおり、「発展途上国での死刑は赦される」といえそうです。勿論アムネスティはそのような立場にはないでしょう。しかしこのニュースリリースは「欧州人権絶対主義」による差別思想からしかでてこない発想ではないでしょうか。ここにわたくし的には批判を加えているわけです。
■たしかに、欧米の「良識的知識層」にありがちな、無自覚な差別意識の産物としての「二重の基準」ですね。

しかしながら2005年6月4日のカーン事務総長のコメントでは「日本は、先進主要8カ国(G8)の中で、死刑を執行しているたった二カ国のうちの一つである」に変わってきています。まるで意味のないフレーズであることは一緒ですが、より具体的ということで評価したいと思います。
■たしかに、無意味ですけど、範囲は限定されいると(笑)。■たぶん、G8の構成要素は、すべて「先進国」。しかも、政治・経済・社会のすべての面で、という「前提」が、無前提に つかわれていますね。■アムネスティの偽善性が、よくわかって勉強になりました。

■原裕司さんの著書について

現状この立場にわたくし的には立っておりませんので、この方の言うことは最もだ、と思います。ある事件を契機に(いずれお話します)直感的に「おかしい」と思ったのですが、それでは説得力がないので、なぜ死刑制度に関わらず刑法全般は謙抑的であるべきだとする考え方が派生したのか、そのシステムを知りたいと思っています。これらについては甚だ不勉強であるのでこのBLOGを通じて勉強している次第です。

■原さんの著書を援用したのは、死刑存置派の ひとびとに「ふみえ」を ふませるような やりくちで、少々 きたない てを つかってしまいました(笑)。反省しています。■かなりの 多様な思想性をもつグラデーション=連続体を、乱暴に、「タカ派的に、大量死刑判決をよしとするのか?」とせまるのは、やりすぎですね(笑)。■ただし、「犯罪被害者の家族のうらみをはらす」という、「被害感情」の「満足」はもちろん、より冷酷な「ガスぬき」論にしろ、1%しか、実際の死刑判決がみたしていないという構造を一度直視する意味は充分にあるとおもいます。


■世論調査と大衆迎合主義

BLOGでも述べましたが、わたくし的には議会制民主主義という間接民主制を支持しています。別に衆愚の存在を否定しているわけでは有りません。おそらくどのような制度をとっても衆愚は付いて回ります。しかしその衆愚を議会が「衆愚だ」と切って捨てることは民主主義の放棄ではないでしょうか?

■議会が「衆愚だ」と気って捨てる、という、自己矛盾は、「民主主義の放棄」どころか、ごく普通に遍在しているとおもいます。■議会の多数派と、直接選挙でえらばれた首長とか大統領の政治的たちばが、まっこうから対立するという、奇妙なネジレは、しばしばあると。しかも、日本だけでなく、世界中で。■ある意味、議会制民主主義の、構造的自己矛盾といえるかもしれません。「選挙民の自己疎外としての議会多数派」というネジレとして。
■ただし、ハラナは、ヨーロッパの 以上のような事態を、皮肉でのみ、冷笑しているわけではありません。■直情的にマスメディアにあおられた直接選挙よりも、ミクロな投票行動の集積の方が、中長期的には、かしこい選択をするかもしれないし。■ただ、一連のハラナの書き込みをご覧いただけばおわかりのとおり、沖縄に米軍基地が集中していること、米軍に日本列島がしはいされていることに、疑念をいだく選挙民がそれなりにいても、けっしてそれが議席には反映されないという構造的矛盾を議会がかかえていることは、否定できません。■これは、選挙民すべてを「衆愚」とは、いえないまでも、「合成の誤謬(微視的な合理的選択の集積が、巨視的な非合理的結果をまねく)」という、愚劣さということは、ゆるされるはずです。
■ま、最近民主党から、21世紀「沖縄ビジョン」というのが、でて、「お、共産党以外でも、それなりに スジのとおった米軍基地論をだす既成政党がでた」と、びっくりしているところなので、議会・選挙民とも、バカにしたものでもないと、反省しておりますが(笑)。【迷走する普天間基地返還

議員は国民の意思とは反する決定をしなければならない場合があります。これはやむを得ません。しかしその決定を国民に説明をし承認を得る義務が議員にはあると思います。例えばイタリアの世論調査(死刑復活支持41%)は2001年の数値です。1947年からほぼ半世紀を経ても死刑制度復活支持が41%にも上るというのは非常に疑問に感じます。何らかの問題がある(死刑廃止が過ちか、議会の怠慢か)のではないかと想像するのは無理があるでしょうか?そしてそのような制度を安易に導入するのはいかがなものでしょうか?

もし半世紀も死刑が廃止されている現状があり、今後死刑復活の声がオーストラリアのように50%以上に上った場合は議会は死刑復活の議論を国会で行う義務があるでしょう(再度廃案にしたとしても、です、それは否定しません)。国家の選択は最終的には国民の責任においてなされなければならないからです。

■制度上の問題として、議会民主制を支持するかぎり、「民意」は、議席数とその質にしめされる「結果」だけで 機械的にすすめるしかありませんよね。■であれば、死刑制度復活をのぞむ国民は、「民意」にそむく現議席をいれかえるはず、ということになりますね。

アメリカの死刑制度を調べていると、その対応策が非常にプリミティブに感じることがありました。欧州の死刑廃止への取り組みが国民の多数意思と反して導入されたのに比べ、アメリカ合衆国はその建国精神と同様、あくまでも民意に添った形で死刑廃止の取り組みを行ってきたからです。アメリカは1967年から10年間のモラトリアム(死刑執行停止)期間で様々な問題を調査検討しています。結局は注射刑という新しい執行方法を考案したにとどまりましたが、このような努力(民意を問うまたは国民への説明)を欧州の議会は行っているのか非常に疑問です。
■アメリカのルール遵守志向が、アメリカンフットボールなどに典型的にしめされる、形式民主主義、てつづき合理性にある点は、玉木正之さんの『スポーツ解体新書』(NHK出版)にも指摘されているとおり、ヨーロッパと対照的ですよね。■ヨーロッパは、エリートの理性/客観性への信頼を基盤にルール/判定制度が成立し、アメリカは、そこの不正の温床をみてとって、徹底的に「てつづきの透明化」をはかる。フットボールなら目測じゃなくて、メジャーでインチ単位はまで測定する(笑)。■その「プリミティブ」さというか、愚直なまでの「ナイーブ」さは、たしかに好感がもてます。もちろん、「9・11テロ」後の思考停止とか、銃器による自衛至上主義など、集団神経症的で、ハラナは、やっぱり野蛮としかおもえませんけど(笑)。

繰り返しますが欧州の議会の考え方は「人権は絶対正義でありこれに異論を挟むことは赦されないのだ」というものではないでしょうか。しかしながら民主主義社会で絶対主義を持ち出すことは民主主義の放棄です。もし日米が「人権後進国」であり「大衆迎合主義」であるのであれば、欧州は「反民主主義」であり「差別主義」ではないでしょうか。
■ご批判は、「近代合理主義者」としてのハラナは、甘受いたします(笑)。■しかし、アメリカの軍事戦略・銃器政策をみれば、「民主主義と心中[シンジュー]かぁ?」という、絶望的な気分です。アメリカの愚直な「民主主義」は、世界を無理心中させる狂気をはらんでいると、ハラナはおもっています。■したがって、「てつづき」論として、おっしゃる議論の合理性に同意するほかありませんが、アナーキストのハラナが、それを いさぎよしとしません。■「悪法も法なり。ポリスの構成員は、ポリスの法を超越してはならん」と、毒杯をあおいだ、愚直なソクラテスを、ハラナは美化しません。■ソクラテスの判断は、「論理階梯を混乱させる自己矛盾におちいるな」という、いましめを実践したわけですが、「ポリスからの亡命」という、矛盾からの逃避を、ハラナはよしとする。■なぜなら、もし「悪法も法なり」を愚直にまもるなら、「ナチス政権を成立させたドイツ国民である、ユダヤ系市民の自分はガス室おくりで、しかたがない」という愚劣な結論も正当化することになるからです。【つづく】