■昨年のことだが、敬愛する社会学者 立岩真也さんが 『ALS 不動の身体と息する機械(医学書院)を公刊した。■実は、きのう紹介した、目取真 俊さんに、おとうさんが沖縄戦の記憶をまとまっておはなしされたのも、このALSという進行性の病気によるところが、おおきい。

 父の戦争体験は、子どもの頃から折々聞いてきました。数年前のある深夜、三時間近くかけて父が私に戦争体験を話したことがあります。今話したのもその一部です。父は筋萎縮性側策硬化症(ALS)という病気を患っているのですが、病気が進行して、もうすぐ話せなくなるときが近づいていました。その前に、自分の戦争体験を息子である私に伝えておきたかったのだと思います。
日本ALS協会のホームページ「ALSとは」から転載。【強調部:ハラナ】

ALSは、英語名(Amyotrophic Lateral Sclerosis)の頭文字をとった略称で、日本語名は「筋萎縮性側索硬化症」といい、運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病です。アメリカでは、メジャーリーグのニューヨークヤンキースで鉄人と言われた名選手のルー・ゲーリックが罹患したことからルー・ゲーリック病とも呼ばれています。また、イギリスの有名な宇宙物理学者ホーキング博士も30年来の患者です。 国により難病認定されているこの疾病は病気が進むにしたがって、手や足をはじめ体の自由がきかなくなり、話すことも食べることも、呼吸することさえも困難になってきますが、感覚、自律神経と頭脳はほとんど障害されることがありません。進行には個人差がありますが、発病して3?5年で寝たきりになり、呼吸不全に至る場合には人工呼吸器を装着しなければ生き抜くことができなくなります。

10万人に2?6人の発症割合の稀少難病で、残念ながら現在のところ原因も治療法もわかっていません。一般 に40?60歳で発病し、患者は全国で6,774人(平成16年3月末厚生労働省調べ)程と言われています。


■もひとつ、立岩さんにならって、補足。

……現在では、人工呼吸器が進歩して一般的な条件で使用可能になったため、ALSが直接の原因で命が奪われることは有りません。しかし、呼吸器の故障、喉を詰まらせての窒息、体力の衰弱に伴う肺炎などの合併症などにより、命を失ってしまう患者が非常に多いのが実状です。また存命している場合でも、全身麻痺に加えてコミュニケーション不能の問題があるため、患者の苦痛はもちろんのこと看護・介護にあたる人々、特に家族の苦労には想像を絶するものがあります。さらに、中高年での発病が多いため経済的な面でも問題が発生する場合が多くあります。

■要は、微動さえできなくなり、のみこむことも呼吸もできなくなっていく。■しかし、大脳と感覚神経は機能しつづけるので、ソトでなにがおこっているかは、すべてわかるし、内臓もうごきつづける。■人工呼吸器を装着し、栄養補給、タンの吸引、便の処理などを、世話をしてくれるスタッフが確保できさえすれば、かなり いきながらえることができる。■その典型例が、ホーキング博士ってわけだ(かれのばあいは、例外的に20歳前後と早期発症で、その後20年以上も指でコンピューターの操作ができたらしいから。[p.86])。
■ただし、病状がすすむと、家族とさえ意思疎通がむずかしくなる。■意思をつたえるために、手足の指1本でもうごくうちは、パソコンのキイを操作するといったことも可能だが、そのうち、介助者がモジ板をゆびさしていって、本人が まばたきで 指示するといった、「健常者」にとっては、気がとおくなりそうな手間をかけるほかなくなったりもする。■しかし、まぶたも うごかなくなり、ついには 眼球運動もとまれば、最後は「脳血流スイッチ」「脳波スイッチ」までも実用化しようという ところまで、執念はつづいているそうだ[pp.384-6]。
■当然のことながら、家族など関係者がなげだしくなる状況が、つねにまとわりつく。周囲の第三者が、「薄情だ」とか、いえた義理ではない、「しんどさ」だ。■しかし、だからこそ、ALSという進行性の難病は、「いきる意味」とはなにかを、深刻にといつめる本質がはらまれている。■本人/関係者双方それぞれにとっても、「余命」の意味/質。■「安楽死」が違法とされる日本でありながら、「人工呼吸器をつけない」、あるいは「はずす」といった、操作、ないし不作為、ミスによって、実際に、あっけなく死ねてしまうという、カラクリ(当然、事件化はもちろん、問題化さえしない)。■「スパゲッティ症候群」をさけるための「主体的な選択」による「尊厳死」といった、「本人意思の尊重」への、ソボクだが根源的な疑念。■いまのところ「不治」であるため、治療行為/説明責任/終末看護という、自分たちの本務の意義を究極の次元までとわれる医療関係者。……■どれもこれも、生命倫理、死生観、福祉(医療/障碍者)行政、家族関係などを、根底からゆさぶる、究極の存在なのだ。

■「不動の身体と息する機械」って副題は、一見詩的にうつるかもしれないが、肋間筋をはじめとする呼吸のための筋力がきえさる段階で、ALS患者の、存在のメタファーでなどなくなる。■索引をふくめると450ページ強の本書は、おびただしい引用と典拠情報にみちあふれている。■淡々とした 現実の情報が 提供されながら、立岩さんの、おだやかながら、ふかい含蓄にとんだ疑念が たえまなく くりかえされている。■通読がつらい読者にとっても、「よむ辞書」的に充分利用可能だ。こういった 問題群に関心がたかければ、のはなしだけどね。
■ゆび2本は優にある本書は、新書本のように、軽薄短小ではなく、とてもセカンドバッグやハンドバッグに、すべりこませる物量ではない(笑)。いや、安易な感動をほしがって、くだらん擬似宗教本や二級哲学書をベストセラー化させてしまう諸君には、質/量ともに、高級すぎるか(笑)。■でも、税こみで 3000円弱は、「ココロの滋養」は もちろん、「お布施」までも かねられるのだから、ものすごい、「お買い得」だとおもうぞ。