■食の安全を論じた本として、山下惣一安ければ、それでいいのか!?(コモンズ,2001年)は、かんがえさせられる論集だ。■簡単にいえば、消費者が みんな セコくなり、「やすければ やすいほど、いい」という発想から、生産者・流通業者の過当競争をあおって、どんどん 安全性を へらし、また、生産現場・流通現場の 労働環境を わるくしている。■要は、だれも しあわせに なっていない。たがいが、どんどん ふしあわせに なるよう、くびを しめあっている。「無意味な 死闘」を イメージさせる 惨状が うかびあがってくる。■もちろん、こういった 悪循環は 食の安全にかぎらない。以前、「ロボット/マクドナルド/アマゾン」で のべたような やりきれない シクミがあるわけだ。■高校教員の 労働環境を するどく批判する 木村正司先生の 「リストラ考」にも、そういった惨状が うきぼりになっている。
「あなたの代わりに若い人2人雇える」

 先日、古い新聞の切り抜きの整理をしていたら、リストラについての記事があった。不当だというのである。突然リストラにあったのだ、と。そのときの人事課の言いぐさはこうだというのだ。

「貴方にやめていただければ、若い人を2人雇える」

 この文章につきあたったとき、私は深く頷く声を自分のなかに聞いたのである。というのも、この言葉をかけてやりたい教員が私の勤務する学校には、佃煮にするほど存在するからなのだ。その筆頭はもちろん、校長であり、教頭であることは疑う余地もないが、45才から上の教員は概ね――めんどうくせえから簡単にいってしまうが――この声をかけられて、「失礼しました」以外の言葉を返せないだろう。
 ……この教員の労働は、多分、デキのいい中学生にはできるだろう。大学生ならおつりが来る。この教員が一体いくら金を貰っているか。おそらく半分以上はムダ金だろう。私が常々にがにがしく思っていることがある。それは、教員2年目ぐらいの人間があたかも十年選手のような面をして授業をしている姿を見るときである。いや、この稼業はできてしまうのである。部活動もやり、クラス担任ももち、生徒会の顧問ももち、平然と2年目の教員が授業をやれているのである。彼らは、しかし、あることに実は気付いていない。「何にか?おわかりか」

クーポン券制

 私は会う人会う人に、5年かからず学校は民営化するよ、と言っている。大体財政がもたない。竹中平蔵が義務教育の民営化ということについてふれていた。彼が言っていたのはクーポン券制というシステムである。要するに、義務教育の無償というコンセプトを維持したまま、民営化するのである。バウチャ?というク?ポン券を保護者は手にする(もちろん、学区なんぞないことは自明の前提)。親は複数の学校を選択肢として持ち、選べる。良いと思った学校にバウチャ?を提出する。学校はそのバウチャ?をもとに自治体から資金を獲得する。そうしたらどうなるか、今の公立学校の英語の先生とNOVAをくらべてみればいい。よけりゃあNOVAへバウチャ?を払う。

激安店の論理

 私たちはディスカウントストアというコンセプトを持っている。家電のコジマが静岡へと進出するということで地元は色めきたっていた。しかし、大店舗法失効後の流通業界においては、コジマだってわかったものではないのだ。大手のス?パ?とて一寸先はわからないと言われているのだ。
 私たちはコジマが地元に進出し、地元の商店街が衰退していくと聞いてある哀愁の念を生理的に懐く。しかし、一方で私たちは激安店に足繁く通うのである。「あんた、安いの嫌いか?」なのだ。ここで考えてみよう。なぜ、激安店は安いのか?
 なぜ安いのか?話しは簡単なのである。若い人なら2人雇える仕事に今まで年寄りを雇い高い金を払っていたということなのである。そこで、年寄りを切り落とし、さらに若い人間を一人にしただけのことなのである。
【中略】

マルクスと中岡哲郎

 労働の二極分解の問題を本質的な問題として提起したのはマルクスである。また、わが国では中岡哲郎の『人間と労働の未来』(中公新書)がこの問題を真っ向から問題にしている。これから、日本社会は規制緩和という問題と本気で向き合うことになるだろう。それは「合理化」の問題といいかえてもいいが、この二極分解の問題は避けて通れない問題となるだろう。『資本論』に安易な解答はみつけられない。ひたすら現実をみつめる角度をマルクスからもらうだけである。
 私たちは「安い」ことを歓迎する。しかし、「安い」ということは同時に、労働の二極分解を徹底的に行うことである。それは、一方で単純労働に能う限りおきかえてゆくことを意味する。それを「若年労働化」とも(差別を恐れずにいうなら)「婦女子の労働」に置き換えてゆくことであるともいえるだろう。おそらく、学校はすぐにでも「パート労働」や「フリーター」への代替がが可能である。いや、私たちは自らこのことが可能なシステムをつくり、維持することに加担しているのである。初期マルクスの用語でいう自己疎外の世界である。
 かつてヨーロッパでは資本主義の初期に「ラッダイト運動」があった。また、「クラフトユニオン」がたちあげられた。これらはすべて「労働の未熟練化」「機械化」への抵抗運動であった。予言的にいえば日本社会ではこうした運動は起こらない。
 なぜか?……

■木村先生、展開している文章の主旨は、「カイゼン」志向を もたない 同業者への ムチなので、そこに 関心のある読者は、本文に あたってほしい。■ハラナは、木村先生とちがって、利用者の 自滅行為を 問題にしたいわけ。
■アメリカの超自由主義経済学者、ミルトン・フリードマン先生たちが 提唱する「教育バウチャー制」あたりに、ハラナは 全面反対ではない。■くさった 教員・教育委員会・文科省を 深刻な 反省においこむだけでなく、中長期的に おいだす やくわりを はたす、「最終兵器」になるかもしれないし
(笑)。■ただ、くりかえし かたってきたとおり、郵便事業の完全自由化が、過疎地を崩壊においこむのと 同様な状況を もたらす不安を、ぬぐいされない。■「塾を学校に」という論調を批判した文章でもかいたが、岡崎勝先生たちが 指摘する、教科外の 実践も 壊滅状態になるだろう。学習塾の講師・塾長が、貧困家庭・崩壊家庭に かかわって、てを さしのべたりするか?
■教育商品ユーザーに、いっておきたい。■木村先生の議論は、あくまで 同業者への叱咤[シッタ]激励、きついエールに すぎないのであって、ユーザーが「そうだ、そうだ。ねさげしろ。サービス内容をあげろ。たえられないヤツは、され。……」などと、図にのるなよ、と。■「食の安全」を、中国産ウナギなどの輸入や、「マクドナルド化」で 保証できっこないこと、それは、食文化の崩壊だけでなくて、食品・流通業界以外の、異業種をふくめた 過当競争=「安売り合戦」で くびを しめあう ハメになるって、ことだ。
■「熟練工」の 保身が、労働過程の徹底的分析・分解によって、「非熟練単純労働者」と 機械/システムとに とってかわられてきた という 「世界史」は、木村先生の ご指摘をまつまでもなく、ハラナも マルクス/中岡哲郎に 着目しつつ、のべたきた。■それは、おしとどめようもない 過程も みえるが、要は「安ければ、それでいいのか!?」という、ごく まっとうな感覚に、消費者・利用者が たちかえることで、とめられるはずだ。
■「アマゾン化」は、抵抗が むずかしいだろう。交通弱者に、宅配サービスの 後退は、むごすぎる。大都市・地方の格差拡大を ひろげないためにも。■これは、労働現場の 徹底的な監視を 確保することで、労働条件の悪化をふせぐしかない。状況次第では、「送料無料サービス」を禁止し、「最低賃金法」ならぬ「最低送料法」を さだめて、過当競争をおさえこむ 国家介入が必要かもしれない。
■しかし、「マクドナルド化」は、消費者や政府・自治体の 発想転換で、容易に 規制できるだろう。■「食の安全」こそ、至上命題であるという、当然の論理が、「移動の安全」にも あてはまるように、「教育の荒廃」を まねかないためには、「安ければ、それでいい」という、発想から 解放されるしかなかろう。
■「資本家たちは、そんな うごきを、反動的な ラッダイト運動としか みなさず、『顧客至上主義』を 前面に、労働搾取を やめるはずがない」という読者もいるだろう。■しかし、資本家も、過当競争で 利潤は確保しきれないのである。そうしたら、敗者は、きえるか、さるしかない。「ともだおれ」さえ、ありえる。■ま、古代ギリシアの 貴族たちが、奴隷の 家庭教師を おかかえで 利用していたように、そして、東南アジアから 「日系人」の福祉労働力を導入して 高齢化社会に 対応しようとする 構想が うごきだしているように、「安価な教育労働力」が、サッカーや大相撲のように、動員されるかもしれないけどね
(笑)
■工場労働が、「労働単価」が やすい 外国に移転していったように、サービス労働が 徹底的に ねぎられれば、〈若い人〉〈オンナ/コドモ〉はもちろん、〈ガイジン〉導入に なるほかない。■かれらに、貧困脱出の機会を提供するって、哲学があるなら、とめはしない。しかし、要は、前近代の身分社会とおなじく「やすく、おきつかいたい」という、みがってな 欲望があり、それを合理化できるよう、差別意識と経済格差を利用しているだけではないか? ■「かれらに、貧困脱出の機会を提供する」っていいはるなら、労賃ねぎらずに、「熟練労働力」として「厚遇」できるまで、安定雇用しようね。それを する気などなく、「つかいすて」する気しかないくせに、「門戸開放」「合理化」とか、いうなよ。「派遣労働者」や「フリーター」を こきつかっている連中に、いっても ムダか?