■「俗流若者論」批判の急先鋒といえば、後藤和智さんだが(新・後藤和智事務所 ?若者報道から見た日本?)だが、「コトバの みだれ」という非難が集中するのは、きまって、オンナ/コドモだ。オヤジたちの 暴言・放言の 横暴ぶり、熟女たちの「たか飛車」な発言は、まず とわれることはないし、わかものだって、オトコなら 「まあ、しかたがない」で、すまされてしまう。一番、ねらわれるのは、オンナ/コドモが交差する、女子中高生だ(笑。日本語特殊論の特殊性2
■しかし、オニイチャンたちも、その コトバづかいが 攻撃をうける空間がある。職場での上司や、お客さんへの、敬語の駆使の失敗だな。■「ファミレス敬語にも質がある」という、興味ぶかい、「若者論」論が 発表された
(インターネット新聞『JANJAN』2005/08/25)
 ファミレスやコンビニの店員に対して偉そうに接する人が、どうにも許せない。客に対して店員というのは圧倒的弱者である。

 カバン持ちからエレベーターの開閉まで何でもやってくれるホテルのボーイさんに対してなら、持ち上げられた結果としてのやや高圧的な態度も許されるのかもしれないが、さして客に仕える必要のないファミレス・コンビニ店員に向かって高圧的に凄む人がいる。……

 タバコを取り間違えたコンビニ店員に対して「それじゃねーよ」、混雑したファミレスにわざわざ入ってきたくせに「遅せーんだけどまだ?」、このレベルである。が、このレベルだからこそ何だかとってもダサいのだ。おそらくこういう人は親や友人に対する口の利き方をそのまま持ち込んでいるだけなのだろうが、この場は公共性の高い場、という大前提に気付かずにいられる一人よがりな堂々たる振る舞いが恥ずかしい。

 こういう人を遠目から見ていると、終始この人は自分の範囲内で事を済まそうとするのだな、「自分の両手を広げた所までがゴール、さあ、シュートを打って来い」と入るはずのないゲーム設定で構える自己チューなゴールキーパーなのだな、と変な解釈をしてしまう。

 そして、そのシュートがゴールからちょっとでも外れようもんなら「それじゃねーよ」「遅せーんだけどまだ?」と言う。シュートを打ってこない相手には「うぜぇ」で済ます。よく、ダメな若者を「客観的な思考を持たず、どこまでも主観的な人間」と簡単に片付けるが、そうではない。主観的に突っ走るのは良い(ある種の自己弁護)、突っ走ることすらせず「自分の範囲内で事足りる」ように小さく留まるのがダメな若者だと思うのだ。

 take outしにいく場所に自分をtake outして臨むから変に態度がデカくなる。こういう人は見かけのみで嫌気が差す。仕事とはいえ、こういった人種に弱者の立場で触れ合わねばならぬファミレス店員さんやコンビニ店員さんは大変だな、と心底思う。

■ここまでなら、単なる俗流わかもの論の一種、ただ、それに「分類」をくわえた点が、少々洗練され、マシかという程度か? ■しかし、ここからさきが、少々展開がことなる。

 が、どうやら、大人にとって気に障る若者とは、公共の場にやってくる若者よりも公共の場に住む若者らしい。観察力がないのう、と嘆かわしく思っているのだが、ここ最近分かりやすい武器を仕入れたようである。それが「ファミレス敬語(コンビニ敬語も同義)」だ。「言葉の乱れ」はどういうわけか「若者」に直結する。確かにこの「ファミレス敬語」、なかなか褒められたものでは無い。

 しかし、「ファミレス敬語」を一斉に括ってバッシング対象とするのは、いけ好かないのである。一度、「ファミレス敬語」なるバッシング対象の品評をすべきではないか、と思い立ったのだ。一応、質を考えなければならないはずなのだ。


 4大ファミレス敬語は下記の通りである。

1:「○○円からお預かりします」
2:「こちらが○○になります」
3:「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」
4:「○○の方、お使いになられますか」


■対象となるのは、『問題な日本語』をはじめとする、定番だが、批判の視座に慎重さをくわえようとしている点で、いささかちがう。

 順に品定めしていく。

 まず、1:「○○円からお預かりします」。問題は「から」の部分だろう。正解例の「○○円、お預かり致します」から考えると、「から」の必要性が無い、となるのだが、実はこの「○○円から?」という表現は会計用語では平気で使われてきた言葉だという。稚拙な表現と言うよりは専門的な言い方なのだ。伝えたい意味が通じないほどのヘンテコさは無いのだからイイじゃん、と思うのだが、その妥協を見せてしまうから「ファミレス敬語」が括られ固まってしまうのであって、頑張って対抗したい。

 新しい説として「○○円(の中)から(××円を)お預かりします、ではないか」というのを見かけたので挙げておきたい。無意味だったのが今度は略しすぎだよ、との突っ込みを浴びる事になるが、「もろもろよろしく」でいろいろ頼んだ気になっている大人社会なら一定の理解は得られそうだ。しかし、やはりシンプルな正解例が確かに正しく、薦めてよいファミレス敬語では無さそうだ。


■「ただしい」幻想に まどろんだまま、合理性で結論をだそうとしている点で、限界はあるが、会計用語起源説は、はつみみだった。■ありえるはなしだ。大体、おかしなコトバ=文脈に不にあいな用法は、文脈軽視の業界用語/みうちコトバの流出と、相場がきまっている。

 2:「こちらが○○になります」。「んなぁこたぁ知ってるよ、どう見ても○○だろうよ」と突っ込みたくてたまらない人がファミレス敬語に認定して皮肉ってるのだろうが、そこまでおかしいとは思わない。「なります」を「です」に変え、「こちらが○○です」とし、さらに「が」を取り、「こちら、○○です」にすればほぼ完璧だろう。この微妙なファミレス敬語が過度に嫌われるのは、どうしても頭の中に「知ってるよ」という突っ込みが出てきてしまうからなのだ。

 バスツアーに置き換える。バスガイドが「右手に見えますのが富士山になります」と言う、それにわざわざ「知ってるよ」とは言わないだろう。通過儀礼だと思うはず。ファミレスも一緒だ。「私が右手で運んできたのがハンバーグになります」への対応は、無視か、頷く程度の「ハイハイ」でいいのだ。(文章として発表するなどしてまで)「んなぁこたぁ知ってるよ」と突っ込みたくなる人は「どっからどう見ても富士山だろ」とバスガイドに食って掛かる旅客に等しい。場にそぐわないのは無論、旅客である。


■この、「みりゃ、わかるよ」という、よくある批判に対する論評だが、いまひとつ、説得力がよわい。■実は、いわゆる「ファミレス」のように、メニュー表が写真ずりによるばあいは、ほとんど 問題がないはずだが、だされた現物と たのんだ注文品の 対応が、いまひとつ 完全でないことが、実は すくなくない。その意味では、「ちゃんと、たのまれたもの はこんできたはずなんだけど、確認してね。いま ちゃんと しないで、あとで ぎゃあぎゃあ さわぐのは、客として、かなり はずかしいし、責任とりかねるからね。よろしく」って、みせがわ/スタッフがわの ホンネが、正直にでているというか、マニュアルとして固定化したと、解釈するのが妥当なんじゃないか? ■あと、盲人はもちろん、弱視者など視覚障碍者、高齢者、注意力の個人差などを 想定すると、このマニュアル語は、まんざら 非合理でもなさそうな 気さえしてくる。

 3:「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」。これは店の「性質<品目が多い店か単品の店か>」と「状況<注文時か配膳後か>」によるそれぞれの4ケースを考えるべきだと思う。

<品目の多い店での注文時> 
 注文時に「これ以上頼むものはありませんか」の意を含めて、「?でよろしかったでしょうか」と過去形を使うのは明らかに間違っている。しかし、例えば、回転率が命の安い居酒屋での注文時に、わざと「確認」の度合いを強め過去形を用い、「いや、また、後で追加しますんで」の言質を客から自然に取ろうとしていると深読みすれば、これはアリだと判断できなくもない。

<品目の多い店での配膳後>
 確認作業としての「以上で?」、これは問題ないと感じる。追加に追加を重ねる安居酒屋、小鉢に大皿に食い物がやたら行き来する小料理屋、その状態が数十テーブルあるのだから、「あれ、どうだっけ」と聞かれたら答えてあげるのが自然だろう。

<単品の店での注文時>
 イメージして欲しいのは牛丼屋である。食券を出して「ハイ、牛丼並ですね」、この後に稀だが「以上でよろしかったですか」と続くケースがある。牛丼屋の言い分としては「生野菜やキムチなどもいかがですか」なのだろうが、これは如何せん遠まわしすぎる。そもそも、この手の牛丼屋の店員は、大抵、マシーン化している自分に浸っており、「どうしてこう続けるのか」ではなく、「こういう事になっているから」で行動している。

 客の為にどうするこうするではなく、機敏な自分の動きを乱したくないが為に意味もなく「以上でよろしかったですか」と言う事にしているのだ。その無駄なテキパキ感についていけない新人アルバイトを見ると「別にそうなる必要はないのだよ」と助言したくなる。

<単品の店での配膳時>
 これは許せない。牛丼並のみを目の前に出され、「以上でよろしかったですか」とは侮辱である。伝票が長?く、或いは何枚にもなってしまう居酒屋ならまだしも、そこには「牛丼並」と書かれた半券があるわけでそれを見て確認すればいいだけの話。この手の店に来て、「牛丼とカレーライス」を頼む人はなかなかいない。もしいたのならそれくらい覚えておくべき。言葉使いの非常識ではなく、客に対する直接的な非常識である。

 というわけで、「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」にもこれだけパターンがあるわけだ。


■この分析というか、分類は、たしかに、うなづかされる(笑)。

 4:「○○の方、お使いになられますか」
 「お水の方、お入れしましょうか」「おタバコの方、お吸いになりますか」「スープの種類の方は、どうなさいますか」などなどバリエーションも多々。この場合の「方」は方向や方角ではなく、ジャンルを漠然と指す意味(例文:「あいつ、絵を描くのだけは昔から上手かったよな、そっちの方に進むと思ってたよ」)だろう。そうなった時に「お水」「おタバコ」「スープ」という具体には似合わないし、似合う似合わない以前に、人に対して決断を迫る際に、聞く側が早速漠然としていてはならないだろう。漠然を「程よい距離感」を解釈する事も可能だが、そう感じる前の段階で多くの人が慣れてしまっているのだろう。


■うん。利用者の「方が」なれてしまったのだから、いいんでないかい(笑)。

 ファミレス敬語にも質があったのである。勿論、微妙な差ばかりであり、ちょっと無理な弁護もしたが、人それぞれの捉え方次第で変わるものなのは間違いない。許せない人は許せないし、多くの人が許せないファミレス敬語は恐らく正しい言葉使いではない。

 ただ、「ファミレス敬語」は、記号のごとく扱われるべき言葉ではないはずだ。皮肉屋さんで名の知れたお茶の水女子大学教授の土屋賢二氏はワザと謙って、「(例えその敬語の使い方が間違っていたとしても)敬語に値しない人間に敬語を使おうとしてくれているのだから、ありがたい話ではないか」と言ってくれる。これは皮肉じゃなく、ファミレス敬語との付き合い方の1つとして大正解だと思う。

 これが皮肉になってしまうのは、若者バッシングのために「ファミレス敬語」を用いる皆さんが、解析手段すら持たぬまま、どこも経由せずに、ゴールである「若者の言葉の乱れに警笛を」に一路邁進なさっているからなのだ。ファミレス敬語など、強引に深入りしなければ擁護など出来ない。深入りしても無理だったのかもしれない。だが、都合の良いカテゴライズで多くの言葉を囲い込んで「ダメだ」とする封建的な論法は、深層心理の枝葉を辿っていく「国語」の意義を逆流しているのでは、と思ったのだ。

(武田浩和)


■土屋先生の「(例えその敬語の使い方が間違っていたとしても)敬語に値しない人間に敬語を使おうとしてくれているのだから、ありがたい話ではないか」という皮肉は、ただしい。■と同時に、「これは皮肉じゃなく、ファミレス敬語との付き合い方の1つとして大正解だと思う」という見解にも、同意しよう。■たしかに、この市民記者が指摘するとおり、単価のやすい商品しか購入しない利用客には「仕える必要のないファミレス・コンビニ店員」、という、ごくあたりまえの文脈がある。それに そぐわない 「客」の横柄さこそ、問題なのだ。つまり、「マニュアル敬語」で満足すべき利用客が、高級店とかでないと あじわえないだろう「高水準」の 「待遇表現
(国語学者のいう「敬語表現」。笑)」を要求しているという、トンマぶりこそが、「マニュアル敬語」問題の本質なのであった。■量販店やアウトレット・モール、ブランド質屋など、「カネはだしたくないが、商品の質は享受したい」といった、消費者の 図にのった ワガママぶりの 言語論版こそ、「マニュアル敬語」バッシングなのである。■前近代、および近代初期の身分意識が 結構マトモだった、などとは、いわない。しかし、当時は、「仕える必要」を 劣位者自身自覚していたし、それに理不尽さを感じてもいなかった。しかし、みずから ささいな可処分所得を こだしにするだけの ゴミ消費者=大衆は、自分が「なにさま」のつもりなのか、「お客さま」としての役割擬制を カンちがいして、要求するようになった。
■現在の特権階級
(日常的に、敬語で遇されて当然と、自他ともにみとめる層)の大衆蔑視の いやらしさのなかに、以上のような 「カンちがい」への冷笑/憫笑が ふくまれているだろう。しかし、ことの是非はともかく、「ファミレス敬語」など「マニュアル敬語」への 反感が、かなり はずかしい意識であることは、否定できない。
■はっきりいおう。「洗練された敬語」とやらは、高級料亭とか高級ブティック、高級百貨店の外商部の訪問などで、あじわうべき性格のものであり、「マニュアル敬語」に反感をおぼえるとは、まさに、所属階級のひくさ(=可処分所得のひくさゆえの、消費空間のまずしさ。笑)の証明である。■「洗練された敬語」など享受できる身分にないのに、享受して当然かのような誤解をしつづける連中の、ネジれた階級意識こそ、かれらの自己矛盾そのものなのだ。「マクドナルド化」社会の住民の「ロープライス・ハイクオリティ」幻想ね(笑)。あるわけないだろ。■「マニュアル敬語」の批判者諸君! 諸君の規範意識は、「天にツバするものだ」。きみたちの 不全感を解消するためには、おおはばな階級上昇以外にない。そう、「こんなとこ、くるんじゃなかった」と、自分の 居場所の ばちがいさを ものすごく後悔するぐらい、おおはばな上昇以外にね
(笑)


●ウィキペディア「バイト敬語