■ハラナは、大学が集中する南関東で学生時代+α を すごしたが、南関東出身ではない。■おまけに、現在の所在地に居をかまえるようになってから、一度も出身地にはもどったことがない。移動距離の ケタがちがいすぎるが、北米の 社会学者P.L.バーガーらの代表作のひとつ「故郷喪失者たち」(Homeless Mind)という表題の しめす「気分」、感覚は、とてもよくわかる(笑)。■有名な社会学者の おひとり[リンク集にもおさめてあるが]は、自称「さすらいのソシオロジスト」「さまよえるソシオロジスト」(a homeless-minded-sociologist)とまで、かたっている[野村一夫プロフィール]
■でもって、きょうのお題は、地域の進学校がはたしている機能というヤツ。■いまや、ご常連というほかない、木村正司先生のご登場だ
(笑)
田舎のパラドックス
 地方の高校の教員を経験してきた私は進路の季節になると何ともいえない複雑な思いを抱き続けてきた。私は5校これまで経験してきたが、そのうちの三つの高校は、この県でも辺地といってもよい市町村にあった。三カ所ともに自然に恵まれた、風光明媚な土地であった。しかし、この「ふるさと」と呼ぶにふさわしい土地の高等学校が目指し、力を注いでいたことは、一見あたりまえなことであるにもかかわらず、私に戸惑いの思いを抱かせるものであった。
 私が赴任した三つ目の高校は進学校であった。いわば郷土の秀才がこの学校へと集まってくるのである。当然、生徒は大学進学を第一志望として入学してくるのであった。また、この学校には職員の構成上辺地の進学校特有のある特徴があった。それは、教職員の中で本校卒業生の占める割合が大変高いという事実であった。四十四、五人の教職員の約四分の一が本校卒業生なのであった。それは、ある意味では自然なことともいえた。この地域の唯一といってもよい進学校が本校なのである。必然的に本校の卒業生が最も教員養成大学を含めた大学へ進学する可能性が高く、また同時に教員になる可能性も高いのであった。辺地の高校は希望者が少ない。当然、新卒の教員が研修の意味を込めて勤務を命じられるか地元出身の教員が戻ってくるかということになるのである。
 さて、通常この卒業生たちが中心となってどこの学校でも進学実績を上げようと努力する。しかし、この努力にはどこか〈皮肉な〉ニュアンスがついてまわるのである。私も彼らの故郷の学校への愛情がわからないではなかった。しかし、そこには辺地の学校特有の悲劇がついてまわるのであった。


■ハラナは、県庁所在地である小都市の高校にかよっていたから、そこは、「希望者が少ない」ような「辺地の高校」ではなかった。■しかし、母校で「後輩」たちを まえに 授業を おこなうことを、ほこらしく おもう ふんいきは、あったとおもう。すくなくとも、ハラナの同級生が 何度目かの転任のすえ母校に着任したことを、おやごさんは、ほこらしげにかたっていた。そして、「先輩」である帰還教員は、たしかに すくなくなかった。
■地元の教員養成学部に進学する層は、 あつくは なかった。■しかし、もともと、高校教員の専門課程を もつような大学というのが、旧制の高等師範学校を前身にもつ、たとえば、現在の筑波大学御茶ノ水女子大などに かぎられるわけだ。■数学・物理などなら理学部、英語・国語・地歴なら文学部、公民なら法学部・経済学部など、高校教諭を明確に意識するにしても、県外大学の 教育学部以外にすすむことが普通だったからだ。もっとも、ハラナなどは、高校の先生に 教育学部出身者が 少数であり、「なりたかったら、普通の大学の普通の学部で、教職科目を並行してとる」なんてことは、高校時代しらなかったので、意識して高校免許を射程におさめた進学者など、おおくなかったとおもうが。■いずれにせよ、母校に着任するとは、県内の教員採用試験に合格するために、県外に進学しながら、わざわざ もどってきたことを意味した。■つまり、「出郷後、郷里にもどる」というパイプとして、有力なものだったことは、あきらかだ。

……私がある地区会で聞いた父兄から本校への要望とも意見ともつかない次の発言……はこういうものだった。「先生方にお聞きしますが、本校はまあ進学を目標にしています。しかし、大学進学した卒業生は東京へ多く出て行き、戻ってきません。何か、私ら地元に住む人間は、自分の住んでるとこへ戻ってこない人間を送り出すのに一生懸命になっているようで、このままでいいのかと思うんです。どうでしょうか」
 私の所属していた進学校は当然のごとく大学進学者を一人でも多く出すことを目標にしていた。また、先程も述べたように何より生徒自身が大学進学を第一志望としてきていた。……ともつかないこの時の声に学校関係者がどう答えたか、私は全く記憶していない。当時の私は微かな〈疼痛〉を覚えたものの、一つのありうる〈理屈〉という程度にしか、受け止めなかった。しかし、確実に私の中にこの声は沈澱し続けていった。そして、いざ自分が進学指導の先端に立ったとき、はっきりとこの声の意味がわかったのである。
 辺地の進学校の特徴は「輪切り」がおおらかだ……。人口密度が薄いので必然的に成績の上下の散らばりが幅広になる傾向がある。したがって、東京大学、京都大学、私立で言えば早慶クラスを希望し、実際合格してしまうという生徒から、短大、専門学校、就職と進路はバラエティに富んでいた。【中略】いわゆる成績の上位者だが、彼らが四年制なり短大なりを出て地元へと戻ってくる可能性は農業、漁業の他は観光を主とするサービス業が大半を占めるこの地域では、それこそ教員となって戻ってくるか、或いは市町村や県といった役所関係へ就職するか、さもなければ銀行をはじめとする地元に少ないが存在する大手企業へ入るか、といった限られたものになってしまうのであった。せっかく大学を出たのだから、と考えるとそれに見合う就職が地元には存在しないのである。勢い大学を卒業した人間は地元には帰ってこないことになる。わざわざ高卒でも就職できる地元へ戻ってくることはないのだ。つまり、私が勤務した高校の教員たちはこういう事情のなかで地元に戻ってきた人たちなのである。
 私は冒頭、この人たちが自分の母校をよくしようと努力していることを形容して〈皮肉な〉と書いた。そうなのである。彼らは地元に戻ってきて、母校のために、母校の進学実績が上がるようにと努力する。しかし、結果からみると、彼らは地元を去り、戻ってこない人間を育成していることになるのである。それも、大学進学した人間の中では少数派の人間として故郷に帰ってきた彼らがそうした努力をしているところに悲劇とも喜劇ともつかないドラマがあるように思うのである。もう少し厳しくいえば、そうした帰結に無神経でいられる母校愛とは一体何なのか。さらに言うなら、彼らの錦の御旗である〈地域の要請〉とは何なのか。それをさらに言い換えて地域の構成要素の〈家族の要請〉と呼んだとすると、一体その〈家族の要請〉とは何なのか。私ならずとも考えざるをえないのではないだろうか。


■ハラナの母校/郷里は 県庁所在地/近郊に位置していたから、「せっかく大学を出たのだから、と考えるとそれに見合う就職が地元には存在しない」といった状況にはなかった。■しかし、首都圏に進学後、その後のハラナの足跡をみるかぎり、「自分の住んでるとこへ戻ってこない人間」であることは、否定できない。ハラナ自身 ふりかえっても、
(高校の先生にお世話になったという実感はないが。笑)、母校という空間が、「戻ってこない人間を送り出す」機能をはたしていたことは、事実である。■じもと教員や県庁・市町村職員、あるいは地方銀行の行員などとして帰郷することに、興味をもてなかったハラナにとって、それ以外の職種を模索するための、「脱出口」としての やくわりを、一部とはいえはたしたことは、いまふりかえっても、確実にいえる。

 ……普通、高校の教科内容ともなると、親は介入しないものである。いや、余程の教養でもないかぎり介入できないというのが正確なところだろうか。たとえば、数学の微分積分を高校生に教えられるという親は極かぎられているだろう。【中略】
 ……生きる上での基礎的な能力の伝達がいわば高校程度の教育が基本的に目指している目標といってよいだろう。しかし、高校教育にはこの基本原則が殆ど生きていない。通常、私たちの生活に必要とされる〈知恵〉に近い知識と高等学校のそれはかなりのギャップがある。最も専門的な知識を要求される職業社会の知識でさえ、とりわけ地域社会の知識は高校教育のそれとは乖離してしまっている。要するに世のお父さん、お母さんの生活の知恵では通常高校教育の内容は教えられないのである。
 このことが高等学校での生徒の教科の取り組みとも重なり合ってゆく。一般的には高等学校の低学力校は職業系の高校に多い。要するに、学力が相対的に低い学校の生徒が就職者として地元に残る可能性が高いのである。そして、地元に残る可能性が高い職業系の学校の生徒は一般に授業への取組みは甘い。意欲という見方からすれば、意欲に乏しい。それは、大学進学を目指すでもなければ、高校の授業は多くの生徒に欲求の対象とはなっていない、ということを意味している。だからこそ、彼らは学業から逃亡する。皮肉なことに、稀なる人として地元に帰ってきた地元のエリート=教員が、地元へ残ろうとする人間の為ではなく、出てゆくための人間の為の授業に熱心に取り組み、そこから逃げ出す「地元民候補たち」を冷遇してゆく。高校の教育内容のこうした地元との乖離は大学進学者の地元乖離を教育活動の根底において促進する役割を果たしている。


■たしかに、じもとエリートたる高校教員の機能たるや逆説そのものと、いえるだろう。職業高校では、背信行為的な水準にあるとさえ、いえそうだ。■したがって、非常に皮肉ないいかたをするなら、地域の受験校とは、先日とりあげた白川勝彦氏のような、東京とじもととを往復する 「全国区レベル」の人材を輩出することこそ、「出藍[シュツラン]のほまれ」ということになろうか? ■東大法学部に進学し、司法試験に合格、弁護士出身代議士として国政に参加し、大臣にまでなる。震災など「有事」の際には、当然 東京などから、かけつける。国政戦にやぶれても、じもとの市長選に立候補する。……親・近隣・母校にとって、えにかいたような「出世」だろう。■これに、かわるコースとすれば、自治官僚、ないし厚生労働官僚などから、県知事戦に出馬し、「凱旋」か(笑)。あと、東大/京大、ないし外国の有名大学の教授をへて、じもと国立大学の学長として、もどるなんてのもね(笑)。■その意味では、受験校の有力教員は、「東京とのパイプ」を確保する、不可欠な人材だ(笑)
■もともと 学術知は「普遍性=非地域性」を はらむもので、家族をすて、地域をすて、ときには、師匠さえ ほうむりさる 本質を かかえこんでいる。■「出藍のほまれ」とは、「出郷者が 故郷/師匠に対して ひそかに かかえ、あるいは露骨に 表明することさえある 軽侮の念」、いいかえれば、「ある種 恩しらずで おごった 意識」に対して、先行世代が 鈍感であるか あるいは 直視を さけることで 美化された 総括にほかならない。■スラムから脱出した人物は、まずスラムにもどらない、といわれるとおり、人材は一方的にしぼりとられる宿命にあるのだ。近代都市、東京とは、そういった意味で 巨大な吸引=収奪装置であり、北米大陸とは、そういった時空の集合体=空前のブラックホールなのであった。
■そして、「生活綴り方」実践などで有名な教育者 東井義雄[1912-91]の『村を育てる学力』(明治図書)や、『山びこ学校』などで有名な無着成恭[1927-]などが提起し、「地域解体」の進行で「敗北」していったとされる、一連の過程とも、かぶさることは、いうまでもない。

■木村先生の 教育論は、もっと おくぶかい含意があり、さらにおおきな射程におよぶ議論だが、今回は、ここまでで とどめておく。■引用しなかった、重要部分については、後日。