■あすは、防災の日である。小学校なども動員されて、自治体が災害訓練などを、おこなう。■もちろん、9月1日というのが、1923年の関東大震災の日にあたることは、いうまでもない。原発震災など、まともに対策がなされないのに、かたちばかり、集団下校とか、保護者に むかえにこさせるとか、アホらしい ハナシだ。■当時朝鮮人たちが パニックになった「自警団」によって大量虐殺されたり、社会主義者・自由主義者が どさくさまぎれに 軍人らにころされるなどした、集団ヒステリー/権力犯罪こそ、リスクの歴史として、つたえるべきなのに。
■ところで、スイス政府が過去 全国の各家庭に1部ずつ くばったとかいう、危機管理マニュアルの日本語訳、『民間防衛
(原書房)が、やたらとうれているらしい。
■「アルカイダは諜報機関の作りもの(『田中宇の国際ニュース解説』2005/08/18) 、「政治の道具としてのテロ戦争(同,2005/08/23) をみてもわかるとおり、「9・11テロ」をはじめとして、「外部からもちこまれる危機」という論理は、体制がわが、批判を封殺し、支配を容易にするために、でっちあげられている可能性がたかい。■実際には、冷静なリスク計算をしたばあい、体制が内部にかかえているリスクの方に真剣な対策をほどこすことこそ急務なのに、それを指摘されると政治責任につながるので、ひたかくしにするのである。■再三指摘してきた原発震災などが、その典型である。原発震災の現実性を計算するなら、「北朝鮮の特殊部隊が……」といった、村上龍ドラマなどの危険性などを心配して、住民を避難させるうんぬんではなく、地震のばあい、どうなるのに、なるはずなのである。


■さて、くだんの『民間防衛』について、Amazon.comの読者レビューをみると、予想はしていたものの、みんな「平和ボケ日本人」を なじる、大絶賛のあらしである
(笑) 。■なので、そのなかで、ごくわずか異色の書評をひとつだけ、あげておこう。

★★★★★レトロな雰囲気が楽しめる本, 2005/07/28
レビュアー: 九郎政宗   東京都
▼邦訳された『民間防衛』を読んだ人は、その内容のあまりに古臭いのに驚くだろう。政府に批判的な政党や反戦運動は「敵」の手先だという、近代民主主義社会にあるまじき記述が笑いを誘う。イラストなども妙に古臭く、1970年代に描かれたもののようだ。
▼実は、福井県の「国民保護」関連調査によれば、邦訳された『民間防衛』は冷戦時代の本(80年代以前)、「スイスにとっては過去のもの」だという。なるほど、今やスイスは徴兵制を廃止してしまったし、社会民主主義政党も議席を持っている。スイス政府は今でも『民間防衛』Der Zivilschutzというパンフを出しているが、すべて2003?05年に出版されている。
▼古い時代の懐かしい雰囲気を楽しむなら邦訳版『民間防衛』、現在に役立つ知識を知るためには最新版Der Zivilschutz(無料)を読むべきだろう。
▼それにしても、こんな古い本をリサイクルするとは、さすが『天声人語』を発行する原書房。ニッチでフリーキーな需要を掘り起こす、見事な出版企画である。★★★★★を贈りたい。
▼ちなみに、歴史の知識を持つ人ならば、なぜスイスがナチスドイツに侵略されなかったかを知っているはずだ。それは「民間防衛」「国民の自覚」のおかげなどではなく、スイスの金融資本がナチスのスポンサーだったからである。このようなスイスにおける「平和」の裏面を描く、福原直樹『黒いスイス』もおすすめしておく。「国民の自覚」や「民間防衛」で平和が守れると思っている、まさに平和ボケした人々の目を覚ます好著である。


■では、先日『朝日新聞』「読書欄」に掲載された 山崎浩一氏の「ベストセラー快読」はどうかといえば、
「最悪の事態」への覚悟はあるか?
 8月1日付本誌(時流自論)で池内恵氏も指摘されていたように、今、西欧は寛容と非寛容のジレンマに直面している。寛容な社会は「自由を否定する自由」をも認めるのか。たぶん今世紀最大の難問の一つだ。そして「私たち」の社会も例外ではない、と思う。
 冷戦時代のスイス政府が全国民に配布した、戦時を想定した民間防衛マニュアルが、今さら日本でロングセラーとなり、この1?2年で特にネット書店で急速に売れている事実に、時代錯誤を感じる向きもあるだろう。確かにここの記述や対策には古臭さも散見できる。本国でもテロ時代に対応した改訂版が使われていることだろう。
 にもかかわらず、ここに漂うリアリティは、おそらく今まさにこの社会を覆いつつある空気と奇妙に共鳴する。まさしく時代錯誤の冷戦構造がこの地域に残るせいもあるだろう。が、それ以上に、スイスの特殊性も時代背景も超え、本書が「寛容な社会」の抱える普遍的ジレンマを先取りしていること。そのことの方が興味深い。
 後半に展開される「最悪の事態」を仮想したシミュレーションは、私たちが議論どころか想像さえ禁忌にしてきた冷徹なリアリズムに貫かれている。同様のマニュアルを日本政府が配布すれば、どんな情緒的反応が起きるか想像してみるのも一興だろう。おそらく「最悪の事態」を想定することに「非寛容」な社会に私たちは住んでいる。私とてこれが「遠い国のお話」だからこそ偉そうなこそを言っていられる。村上龍の近未来小説を楽しむように。
 「最悪の事態」を冷静に想定しながら「寛容な社会」を守り続け、「不快な隣人」と共存し続ける覚悟を持ち続けることが、私たちにできるのか――今、書店の防災コーナーに置かれている本書が問いかけるののは、そういうことなのだ。さて……どうしよう?[2005/08/21]


■山崎氏の「後半に展開される「最悪の事態」を仮想したシミュレーション」というのか、具体的にどこをさすのか、ハラナには、わからない。単に、被害妄想的で、ソ連圏全面倒壊までは、中欧以東の 国防意識ってのは、こんなファシズム的ふんいきだったんだと、あきれるばかりだ。■はっきりいって、米国の謀略戦におびえる、日本軍の集団ヒステリー的スローガンを おもいおこさせる
(笑)。そして、これを 現在も おきうることだとして、「民間防衛」しなければと、いきりたつ 10万人前後の読者たち(旧版から総計15万部だそうだ。笑)の、被害妄想というか、危機感の神経症的な水準に、むしろぞっとする。■おそらく、読者レビュー氏の、「「国民の自覚」や「民間防衛」で平和が守れると思っている、まさに平和ボケした人々の目を覚ます好著である。 」といった痛烈な皮肉は、全然つたわらないだろう。

■ともかく、後半のふんいきは、つぎのサイトで、わかる
(笑。「スイス政府「民間防衛」に学ぶ」)。■これらへの、痛烈な皮肉は、つぎのページ(「大爆笑!原書房『スイス民間防衛』の正体とは・・・騙された奴がアフォなのさ」)

■以前も指摘したが、「国民保護法」という、「住民支配」法が成立してしまって、自治体のいくつかは、テロ対策として 住民を動員した避難訓練などを計画している。トンデモ本『民間防衛』が、まにうけられるような ファッショ的ふんいきが 支配的になれば、シャレではすまなくなる。■そして、米英政権が、テロ・リスクをでっちあげ、政権批判をそらし、反対派を封じ込める武器にしてきたとおり、『民間防衛』がベストセラー化するようなメディア状況は、為政者にとって、好都合であることは、いうまでもあるまい。70年代のスイスとは、40年代の帝国日本の国防体制と、同質だからだ。
■ちなみに、山崎氏の文章は、冷静をよそおっているが、文面で わらいをとることで はぐらかし、同時に 自分の不安を直視することを さけている。■かれの論旨をつきつめれば、「自由な空間の住民は、みずから自滅をまねくセキュリティー・ホールをせっせとつくることで、ほろんでいく宿命にある」→「したがって、自分のくびをしめないためにも、自由な制限する必要がある」→「いいかえれば、『自由の脅威』となるような危険分子の自由は、否定される」→「社会秩序のリスクとなりそうな人物・層を拘束せよ」という結論に、たどりつくほかない。■それを、ロコツにいえば、カドがたち、タカ派というレッテルをはられるので、「「最悪の事態」を冷静に想定しながら「寛容な社会」を守り続け、「不快な隣人」と共存し続ける覚悟を持ち続けることが、私たちにできるのか」などと、読者に問題提起したかような、自分がつきつめてかんがえているようなポーズを演出しているにすぎない。
■イギリスが 過去数世紀にわたって、世界史上にまきちらした諸悪・憎悪とくらべれば、日本は、たかがしれいている
(笑。だから、反省しなくていいとは、いっていない。いつも、くりかえしているように)。そして、イギリスほどの 異分子の包容と思想信条の自由がたもたれたこともない(笑)。■アメリカとくらべても、同様だ。
■ハラナ自身は、日本は、国会議事堂や旧江戸城に 民間機がつっこんでも しかたがない(東北アジア/東南アジア諸地域から うらまれている)ぐらいの 歴史的経緯を かかえているとおもう。と同時に、英米両国と同程度にうらまれて、テロが頻発するとか、そうなりかねないような空間だとまでは、かんがえない。■過去と現在の悪行の総量、そして世界史への影響力・駆動力という両面で、次元がちがうとおもうわけ。すくなくとも、ムスリムの原理主義者から、自爆テロされるような ウラミは、かってないんじゃないか
(笑)? ■そうかんがえたときに、北朝鮮などをはじめとして、大陸・半島から 「にくしみ」や「うらやみ」でもって、破壊の標的になりそうだと、みがまえるのは、被害妄想だろう。それら 「リスク(外患)」は、おそらく みずからの 抑圧された攻撃欲求の 投影がもたらした、「幻影」「ぬれぎぬ」にすぎない。