シリーズ前回ジャスコの出店戦略に 代表されるような 幹線道路ぞいの 郊外大型店舗と、「コンビニ」こそ、地域の経済構造を激変=画一化させる 「巨大ローラー」なのだから、「ジャスコ/コンビニ化」と よんでおこうと、しめくくっておいた。■三浦展さんの『ファスト風土化する日本』の、趣味のわるいコピーと、法社会学的なトンデモ度に、まどわされてはならないく(笑)。■「ジャスコ」に代表される 資本の地方展開と、それに ふりまわされて 激変=画一化しつつある 「地方」は、おおくの県庁所在地が JR駅前の「シャッター商店街」化していることでわかるとおり、巨大で かつ全国的な うねりなのだ。■一種の トンデモ本でもある本書のなかに ちりばめられた かずかずの 論点は、黙殺するのは おしすぎる 宝石群だとおもう。
■三浦さんは、日本列島の平地面積が12?3万平方キロメートルであるなかに、イオングループジャスコサティだけで 327店舗あり、どこからでも10キロいけば、どちらかに たどりつく計算になるから、犯罪のおきた場所に、ジャスコがある、といった冗談がうまれてしまう原因をのべている〔p.89〕。■三浦さんの 概算方法は、こまかくみると ズサンだが、機械的に計算したときに、半径11kmちょっとの円内に どちらかはある計算になるし、Wikipedia項目の「日本」によれば、「都市部は沿岸の平野部に集中し、国土の1割に人口の9割が住む」といわれるから、大半の生活者にとって、約6km圏内に あるといえる(いわゆる「北方領土」の面積を のぞいた、約37万平方キロメートル×0.1÷327÷3.14=店舗までの平均距離の2乗≒36)。これは、たしかに イオン・グループが さけてきた東京と過疎地以外、クルマで ちょっとの 距離といえよう。■しかも、イオンが戦略的に重点をおいている、北関東以北については、その 展開密度は 相当たかいといえそうだ。「マックスバリュ」など スーパーマーケットまで ふくめると、それは まさに「店舗網」というほかない。■これに、ほかの 企業グループの 店舗展開や、「コンビニ」の 配置をくわえれば、「ジャスコ」「サティ」系(総合スーパー)の すそのに、たくさんの スーパーが 配備され、その スキマを うめるように、他社/コンビニ群が とりまいているといった格好か?■三浦さんによれば、「イオングループ全体の総売場面積は約320万?。ダイエー、イトーヨーカドーのほぼ2倍。茨城県の小売業売場面積に匹敵する」そうだが〔p.93〕、群馬県太田市にいたっては、2002年の小売業売場面積が18万6000?だったのに、2003年に進出したジャスコの商業施設面積は、6万2000?で、既存の3分の1もふえてしまったという。〔p.81〕
 ……イオンは店舗管理、品質管理のレベルが高く、さらに環境問題、高齢社会、食育などにも積極的に取り組み、社会貢献活動にも熱心な優良企業だ。だが、街づくりにはあまり関心がないようだ。……『日本経済新聞』(2002年8月15日付)は、「イオン、人口減少地で優位」という、日本経済新聞社の「新・ビッグストア調査」の結果を発表している。これによると、「イオンは市場の成長力が比較的弱く新規参入も少ない地域を押さえており」「東北のほか、関東内陸(茨城、栃木、群馬、山梨、長野)、北陸(新潟、富山、石川、福井)、近畿でそれぞれ店舗面積が最も高い」という。
 つまり、人口が減少し、ただでさえ市場が縮小している地域に出店し、その地域の商業全体に占める比重を高め、競争優位に立つという戦略なのである。……これで地元商店が生き残れるはずがない」
〔pp.80-1〕
■これを「エゲつない」と、せめるのは、おかどちがいだろう。資本の論理=必然として、利潤のあがる投資さきに 移転するのは、さけられないのだから。地元消費者の おおくも、よろこんでいるのだし。■しかし、「地元商店」関係者はもちろん、「地元消費者」にとっても、長期的に福音かどうかは さだかでない。

 ……ジャスコが上越市に出店してきたのは、1970年代半ばだ。駅前に長崎屋が出店したことにより地元百貨店の売り上げが落ち込んだために、その百貨店にてこ入れすべく、ジャスコが乗り込んできたのである。その後、上越市の郊外化は進み、駅前商店街自体の力が低下すると、ジャスコは郊外のロードサイドに移転した。百貨店は潰れ、解体され、ホテルになった。そうして郊外に移転したジャスコは、20年ほどそこで営業していた。しかし、上越ウィングの開業で一時期客を取られると、上越ウィングの近くに移転したのである。古いジャスコはいま上越市の会議室として使われているという。
 ジャスコがなくなると、コバンザメのようにジャスコのまわりにできていた小さなロードサイド店も退店する。だからジャスコのあった一帯が全体として衰退し、いわば廃墟の街のようになる。
 どうも、イオンという会社には街をつくるという気持ちがないのではないだろうか。ただ客が集まりやすいところに店を出す。客が減れば退店する。その後の街については何も考えない。もともと地元の資本ではない。地元に根付くという気持ちはない。だから地元の商業や街がどうなっても構わないのだろう。
 ……もちろんジャスコだけでなく、どんなショッピングセンター企業でも同じようなものであろう。そごうにしても、多摩ニュータウン木更津など首都圏の重要な業務核都市の駅前に出店しておきながら、経営に失敗するとすぐ退店する。大企業として、街の中心に店を出すことの社会的な責任、都市計画的な責任がまるでわかっていない。ただ金儲け、土地ころがしのためだけに出店したといわれても仕方がないであろう。
〔pp.95-6〕

■これについても、なげくのは おかどちがいだろう。半径10km程度、つまり みちのり15?20km程度で、クルマで 15?25分程度の距離にあり、なんでも 一応そろう、とあれば、消費者は かいにいく。それが 集積して、巨大な商圏として 存在感が維持されれば、大規模店/専門店街が それを みすてるはずがない。それが、ジャスコに 代表されるように、高速道路のインターチェンジ付近に 集中することこそ、「ジャスコ化」なのだ。■もし、大規模店/専門店街が それを みすてるとすれば、そこを 圧倒するほど のみこむ 巨大集積地が 周辺にできて たちうちできなったか、人口が急減して たちいかなくなった、だろう。■巨大資本と「コバンザメ」たちが、そこを みすて、「移転」していく 姿勢を 「地元の商業や街がどうなっても構わない」とか、「街をつくるという気持ちがない」、と、なじるのは、まちがっている。三浦さん自身 みとめているとおり、「もともと地元の資本ではない。地元に根付くという気持ちはない」のだから。■「地元に根付くという気持ち」など ヘタにもって、「ひきぎわ」の みきわけを あやまったりしたら、本体もろとも 総くずれなのだから、無用な なさけなど、かける ユトリなどない。■もちろん、「ただ金儲け、土地ころがしのためだけに出店したといわれても仕方がない」ふるまいをしたなら、はなしは別だが。

 とはいえ、ジャスコのような店が出店してくれなければ、その自治体の消費者はほかの市町村に取られるだけだ。だから中心市街地が衰退しようと、ロードサイドが廃墟となろうと、自治体はジャスコのような大型店を誘致するしかないというのも現実なのである。
〔p.96〕

■「ジャスコ化」とは、「市場の成長力が比較的弱く新規参入も少ない地域」、「つまり、人口が減少し、ただでさえ市場が縮小している地域」という、「イオン」など 「よわいものイジメ」資本が、めを つける 空間だからだろう。■「病原菌」とか「ハゲタカ」などに なぞらえたら、「優良企業」イオン関係者が いかりだすだろうが、「体力」の よわった 地域が、「ねらわれる」のだ。■「ジャスコのような大型店を誘致するしかない」自治体とは、住民を 満足にくわせる だけの 産業/ブランドを 充分に そろえられなかった、あるいは うしなった 地域の 役所の別名なのであり、「ジャスコ」など 「ハゲタカ資本」に対する 抵抗力が たりないのだ。■いや、「ハゲタカ資本」に ねらわれるだけ、まだ「商圏」という 「色香/魅力」が のこっているとさえ、いえよう。「投資」の 「欲望」が 食指をのばす 余地が まだあるということだ。■皮肉でいっているのではない。そういった地方都市の 周辺には、「欲望」の対象とされない 過疎地が広大にひろがっているはずである。


■ちなみに、さすがに 経済産業省も、こういった「資本の移動の自由」を放任しているわけではなく、「ジャスコ」や「そごう」、なきあとの「空洞化」対策を 一応かんがえている。■たとえば、経済産業省のなかに、商務流通グループ 流通産業課 中心市街地活性化室というところが、「創業・起業促進型人材育成システム開発等事業」のなかで、「大型閉鎖店舗再生等対策の総合プロデュース人材育成事業」ってのを公表している。■「平成14年度創業・起業促進型人材育成システム開発等事業(大型閉鎖店舗再生等対策の総合プロデュース人材育成事業)報告書」とか、「中心市街地における大型閉鎖店舗の再生・再活用のための総合プロデュース人材育成事業(中間報告)」〔2003/07/10〕、「総合プロデュース人材育成」のセミナーもあるらしく、「社会経済系」と「商業系」のテキストまである。

■この「人材育成事業」どおり、ホントに 「駅前シャッター街」が解消されるのか、それはわからない。お役所だって、「なんとかしなくちゃ」と、対策には のりだしているんだね。■そして、三浦さんの 指摘に対して、「不安だけあおって……」とか、「バブル期に、いいとこどりで、くいちらかしておいて……」とか、「地方の人間だって汗水たらして再生・改善努力にいそしんでいる」とか、いかりを あらわにする反応が、いくつもあったが、三浦さんなりの、吉祥寺/下北沢などをモデルとした、打開案を提出している
〔pp.192-8〕。■つまり、三浦さんたち分析者が 単なる無責任野郎たちではない ことは、たしかなのだ。
■たとえば、三浦さんが やりがいいっぱい、といった感じで東奔西走しているようすを、「いい気になって」と、ムカつく読者がいるとすれば、それは みずからの「やっかみ」の 産物ではないかと、うたぐった方がよさそうだ
(笑)。■問題を指摘する人物に、邪気を感じるのは、「自分も やってみたいのに、できないでいることへの、いらだち」の おそれがある。分析だけに とどまらず、一応の打開策を提示している人物に、「問題のあげつらいだけしやがって」というのは、いいがかりをつけて、からんでいるだけであり、それが ゆるされるなら、医者や弁護士、警察官などもふくめた すべての 「問題」担当者たちを、「ひとの不幸で、メシをくいやがって」と、からまないかぎり、自己矛盾だろう(笑)

■この、「流通と不動産の資本論」ともいうべき 一冊は、すでに のべたとおり、法社会学とか 社会調査論的な 次元では、トンデモ本の一種かもしれないが、そういった「タマにキズ」さえ、目をつぶれば、なかなか あじわいぶかい文化論だし、社会変動論なのである。
【後日、つづきを】