森本忠夫『マクロ経営学から見た太平洋戦争』(PHP新書)は、20年まえの刊行物『魔性の歴史?マクロ経営学からみた太平洋戦争?』(文芸春秋)の復刊だそうだ(あいだに、91年文庫版、98年光人社NF文庫版として復刊しているが)。■旧社会主義圏とのビジネスにたずさわってきた企業人が、第二の人生として、経営学研究者として大学人となったという、ある種典型的なキャリア形成をへた人物の書物だが、もちろん専門書といった筆致ではない。
■意外なのは、戦後60年の企画として復刊された新書版なのに、検索エンジンで、大してひっかからない点だ
(9月27日早朝段階、Googleで100件弱)。なにやら、「陰謀」を感じるぐらい、着目されていない(笑)
■軍事オタクといっては失礼だが、その方面からの 太平洋戦争史、日中戦争史は、それこそ、くさるほど 蓄積されてきただろう。ネット上の「もりあがり」も、そういった方面からの 技術論的なもの、あるいはナショナリズム/反戦思想、双方にもとづいた、擁護/断罪という基本構造をくりかえしたきたんじゃないか? ■ハラナが8月を中心に何度もかいた文章だって、その系譜といわれれば、そのものだ(笑)。■しかし、軍事技術のなかに、「ロジスティック=兵站(ヘータン)輸送」という基礎部門があるように、そして官僚組織である以上、人事管理/労務管理/会計などが不可欠だったのはもちろんであるように、「たりぬ、たりぬは、くふうがたりぬ」式の、無謀な精神主義など、現実の中長期的戦線維持に 有害無益であった。■軍事オタクをきわめるなら、そういった現実主義的な 細部(地味ではあるが)まで、是非こだわってほしいところだが、そういった「死角」となってきた領域を、経営学的に冷徹にえがいた力作だ。

この本を読んでいると吐き気がしてくる。なんと言う無能無策が、日本のみならず他国の多数の命を奪うことになったか。無謀きわまりない戦争企図、さらに、そのことに対する無反省無批判。われわれは、どういうプロセスが生起したかその事実を知るべきである。
遅れてきた近代国家日本が明治維新後わずか70年で破綻したそのプロセスは、貧困な自己イメージと他者に対する正確な情報収集とその分析の欠如、そうした欠陥を糊塗する精神主義への根拠なき飛躍と三点にまとめることにできよう。太平洋戦争の敗因分析にとどまらないところがこの国の構造的な欠陥と思えてくることがさらに悲しい。

という書評(『読書と夕食』)があるが、至言といえるだろう。

■筆者は、1926年うまれ。この世代は、完全にヤキがまわっていた、というか、敗色濃厚だった大戦末期=首脳部も 終戦工作をかんがえはじめた時期で、海軍航空隊員として招集されている。■著者には、みずからの体験が原点となっている『特攻―外道の統率と人間の条件
(光人社NF文庫)という著作もあるが、とことん、日本軍組織のアホさ加減に、あいそがつきたのだろう。■そして、戦後も、あいかわらず アホな経営オンチを くりかえしている同胞たちに、いらだちをかくせないのだとおもわれる。■工学系から「失敗学」という分野が おこされ、経営理論にも くみこまれつつあるようだが、「プロジェクトX」あたりで元気をつけようといった、精神のタルミをみるにつけ、「失敗にまなび、事故をおこさないよう常時緊張度を維持する」といった、地道な努力は、うけないのであろう。■いや、「ロジスティック」や 広義の「危機管理」が、ウラ街道とかんがえられている(もっとも、暴力団対策の総務部長が、実は出世コースという会社もあるようだが)日本企業/官庁の体質からすれば、筆者のように、体制内から歴史的に「暗部」を実証しつづける作業は、左翼の批判よりも やっかいだし、なにより「正視にたえない」のだろう。■なんたる、精神のヤワさ加減か。なんたる「売国奴」的姿勢か。ナショナリストを自称するなら、兵器装備/イデオロギー的な防衛だけじゃなくて、ロジスティック面での防衛も責任もつのが当然だろう。

■なにに利用するかで、まったく性格は激変するが、ともかく、軍事技術は「やくだつ」。とりえわけ「物流」がらみの冷徹な管理技術は。■その意味では、おなじ著者の『特攻』が、「特攻の物質的基礎」という章をわざわざさいているとおり、日本軍は米軍とたたかうまえから、まけがみえていた。マンガやB級映画じゃあるまいし、「奇跡の逆転劇」など、絶対にありえなかった。日露戦争が、ある意味、当然のように「日本勝利」でおわったような意味での「物質的基礎」が、完全にかけていたからだ。というか、戦争目的自体 あいまいで、当事者自身理解できていなかったからなぁ。■ともかく、ハラナのような しろうとが、ヘタにまとめるのは ロクでもないだろうから、是非 2冊あわせて、味読いただきたい。できれば、以前紹介した 保坂正康『あの戦争は何だったのか大人のための歴史教科書』(新潮新書)と こみでね。
■特に、体制をささえているという自覚のある層は、必読書とおもっていいとおもう。■「国民の安全をまもる」とか、「利用客の安全第一」とか、そういった責任者の責務というのは、こういった、「正視にたえない現実」の再検討からしか、意味ある改革は はじまらないと、ハラナは信じる。

■もっとも、戦後の日本軍(法律上「自衛隊」とよばれている組織)は、この「ロジスティック」、ちゃんと重視しているらしい。よほど、こりたのであろう。■だから、うえで、「エリート」さんたちに、よめとは、すすめたが、これを、ホントとに エリートたちがよんで、タカ派的に徹底して応用・実践されると、先日とりあげた、スイスの『民間防衛』の現代版みたいに、いきぐるしい社会(=監視社会)が出現しそうだ。■それでは、こまる。ハラナのように、政治がきらいな層まで、「地下潜行してゲリラ」は、さけたいなぁ(笑)。
■それに、「危機管理」っていっても、単に官僚主義的な組織防衛ばかり、こざかしくなっても、こまる。再三とりあげている Amazon.co.も、ことトラブルが発生すると、どこぞの管理主義国家なみに、硬直するらしい。■こんなふうに、シャチちこばらずに、しなやかに危機回避してほしいなぁ。■現場からは、ムリって、ひとことで きりすてられそうだが、「顧客重視/労働者保護/長期的安定」っていう、三拍子のバランスをとるシステムはできないのだろうか? 物流の物質的合理性を追求しても、トヨタの労務管理みたいに キツキツにしめあげないで、利用者/労働現場/投資家が、みんな損をしない 「平和なシステム」ってものが。