■つなわたり状態で、おちついて まとまったものが かけそうにないので(「貯金」もないし)、最近展開している議論の「おちぼひろい」「補足」で、お茶をにごす(笑)。■なお、これは、コメント/トラックバックをくださった、ワタリさんへの おかえしトラックバックでもある。
■1.きのうは、紹介しなかったが、うえしんさんは、高田理惠子『グロテスクな教養』書評「なぜ日本の世間は反知性主義なのか」をかいている(2005/9/11)。■全文、転載させていただく〔配列は、こちらが、かってに かえている〕

この会社の中の教養禁止の雰囲気はサラリーマンの業務に対する自己評価の低さにあるのではないかと思う。知性はつりあわないのである。会社では仲良しごっこのほうが重要で、知性はその障壁になるのである。日本的謙遜の土壌が悪いふうに作用しているように思える。私はだから知識を自分だけの楽しみにしまいこむことにしたが。

日本では秀才と優等生は侮蔑語である。だから高学歴者は文学書や哲学書を読むことで、ガリ勉の非難を排することが、日本の教養主義の発生源だったということである。


■ただ、ほかの批評は、非難におわっていると、おもう。たとえば、
第一章はかなりつまらなくて、二章三章とおもしろくなってくるのだが、いつのまにか尻すぼみで終わってしまうような著作であった。たくさんの資料ばかり寄せ集めてきて、てんで結論めいたことも、なぜなのかも説明しないからだろう。
おもしろいテーマにもっと絞込み、余計な資料を排して、なぜなのか整理してくれればもっとおもしろくなったのにと思う。
私がいちばん知りたかったのは、なぜ日本の世間は「反教養主義」「反知性主義」なのかということだ。会社のなかで学校出の教養なぞ振りまわしていたら、かえって人間関係がうまくいかなくなり、世渡りにはマイナスになるのである。なぜなのかをもっと提示してほしかった。

■高田先生、「はじめに」で、
それではすっきりさせてやろうではないか、というのが本書の目的ではない。この問題については、何を述べても、どう語っても、すっきりしないとはじめから居直っておきたいぐらいである。「そうだ、そのとおりだ」と感じさせてしまうような教養論・反教養論は、むしろ危険でさえあるかもしれない。
だから、ここでは、すっきりしない諸言説そのものを提示し、いわば「教養言説の展覧会」を試みるつもりである……
〔p.7〕
と、はっきりことわっている。したがって、うえしんさんの、ないものねだり。

第四章の「女、教養と階層が交わる場所」も、教養と知性が異性探しのどのような武器になったり、戦略になったか、もっと皮肉っぽく見せてくれたらおもしろかったのにと思う。

■ま、これは読者の願望として、理解できなくはない
(笑)。悪趣味といわれても、いや、うえしんさんの提起するように、あえて「低俗」趣味をいきるなら、こここそ、肝要という気がする。まあ、女性が女性論を展開するのを、オトコ読者が ニタニタ たのしむというのは、下品そのものではあるが(笑)。■しかし、高田先生 充分ご明察だろうが、本書の主要読者は、オジサンないし、その「予備軍」としての 青年たちである。うらわかい女子高生にも 「耳年増/目年増」の 愛読者がいることが 判明したが(笑)、あくまで例外的であろう。■これを、たとえば オジサマ共同体である、大学なんぞで 冷笑ないし苦笑まじりに、かたりあうなんて光景は、それこそ「ホモ・ソーシャル」で グロテスクな しろもので、おそらく「紳士」たるもの、そういった「低俗」で「下品」な話題は禁欲されるであろうが(笑)、高田先生、ご自分の同業者と その周辺こそ、「そこがたい読者層」と、設定して おかきのはずである(笑)。■ある意味、資料集的な、データのおおさ、未整理とさえ おもわれる 論点整理の禁欲は、そういった 戦略・戦術の産物と推測される。

私がいちばん知りたかったのは、なぜ日本の世間は「反教養主義」「反知性主義」なのかということだ。会社のなかで学校出の教養なぞ振りまわしていたら、かえって人間関係がうまくいかなくなり、世渡りにはマイナスになるのである。なぜなのかをもっと提示してほしかった。
■ま、サラリーマン諸氏など、「みやづかえ」の組織人にとっては、死活問題で、一番しりたい部分であることは、みとめる。しかし、高田さんの作品の主眼は、歴史的に「教養主義」の成立と本質と「風化」をたどることだ。これも、「ないものねだり」だろう。■そして、うえしんさん自身の仮説は、冒頭ちかくに引用したとおりなのだが、現実の半分しかとらえていないだろう。「知性・教養のひけらかし」ととられるような 言動が きらわれるのは、たしかでも、それは「業務に対する自己評価の低さ」などではなく、自分の所属階級/社会身分への「自己評価の低さ」というべきだろう。■中央官庁のキャリア組や大学の教員でもないかぎり、「みやづかえ」のサラリーマンたちは、みな「ひけらかし」を ひかえるはずだ。そして、それは「日本的謙譲」でなどなく、ムラ社会的なシット心圧力への配慮/自己防衛の産物だろう。■キャリア官僚や大学教員は、大衆の一部にほかならないことをわすれ、「エリート」であるかといった「カンちがい」をするやからが、すくなくないから、ひけらかしが、一部ゆるされるが、日本列島の大半は、「知性と教養」は、秘すべき資本なのだ。「知性と教養」は、社会の上層を暗示し、「一兵卒」、せいぜい「下士官」程度の地位しかえていない自分たちという自覚はあるから、につかわしくないのだ。■ま、うえしんさんの指摘は、普通のサラリーマン
(大手企業もふくめて)と、官僚/大学人との差異は説明できるけどね。後者の異様な自己評価のたかさという感じで(笑)
■また「会社の中の教養禁止の雰囲気はサラリーマンの業務に対する自己評価の低さにある」という分析は、企業文化批判という意味でも、はずしているとおもわれる。■民間企業周辺で「教養禁止の雰囲気」が はびこるのは、「業務に対する自己評価の低さ」などではなく、むしろ「サラリーマンの業務に対する自己評価の高さにある」と、おもわれる。「戦闘状態のなか、知性・教養なんて、やくたたず」という、「兵卒」「下士官」たちの実感が、強烈なのだ。顧客のごく一部の上客の自尊心をじょうずにくすぐれるような知性でもないかぎり、営業上も、「知性・教養」は、有害無益な つかえない「装備」なのである。■戦地で、陣頭指揮をとる将校たちには、大所高所からの戦況判断に「知性・教養」がやくだつだろうし、将校同士の階級的な文化資本の確認行為には、有意義であってもね。企業文化のなかだって、一流企業の重役さんたちの相当数は読書家だし、「知性・教養」の もちぬしのようだし。かの『日本経済新聞』の文化面なんぞは、なかなか「ハイ・クオリティ」だよ(笑)。
■もっとも、きのうかいたとおり、その頂点のひとつともいえる人物が ナベツネでは、その実態も、「お里がしれる」けどねぇ
(笑)。■それと、例の別の渡辺先生の連載小説を、Wikipedia「日本経済新聞」は、「ポルノ小説」と断じている。女性購読者層が かなり はなれたという うわさだが、このヘンのも、オジサマ経済人の「知性/教養」の、ありようを象徴しているかもしれない。■『日経』についての、批判的な検討をするのに、かっこうの情報源としては、「にっけいしんぶん新聞」。