円満字 二郎『人名用漢字の戦後史』岩波新書は、戦後日本社会の 漢字意識をてらしだす意味で、非常に 画期的なものといえる。■資料的に問題があるのではないか、という批判もあるが、ハラナは、そんな こまかな歴史的経緯の真偽なんて、どうでもよい。日本人の なまえ幻想と漢字神話を、これほど みごとに うきぼりにしている本も マレだろうから。
■評論家の野口武彦さんが、バランスのよい書評を『朝日新聞』によせているので(05/09/25)、拝借。

 人名に使えない漢字がなぜあるのか。
 わが子の名前に自由に漢字を使いたい親と、制限を加えたがるお役所とのトラブルは果てしない。人名用漢字の移り変わりには、戦後60年の歴史が反映している。本書は、漢和辞典の編集を仕事にしている著者ならではの《漢字で読み解く戦後史》である。
【中略】
 人名用漢字の制限は、戦後民主主義と共に始まった。1947年の戸籍法改正で人名には「常用平易な文字を用いなければならない」と決められたのである。省令で定めるとされた範囲は、1946年に「現代かなづかい」と共に内閣訓令・告示として公布された「当用漢字表」1850字の枠内に限定された。
 漢字制限は、国会で議決されたのではない。戸籍法改正とワンセットにして《強制》されたともいえる。難しい漢字の廃棄を反封建闘争ととらえる国語審議会の「表音派」がリードした経過もあり、一部にはこれを《GHQ国語改革》とか《押しつけ漢字制限》とか呼ぶ極論もあったそうだ。
 しかしこの聖域は、その後絶えず民間からの漢字自由化の要求にさらされ続けることになる。中でもいちばん強いのは、せっかく名付けた子どもの名前を漢字が不適当という理由で役所から突き返された親の怒りであり、方々で起こされた裁判が、実際に制限枠を緩める力につながっていった。
 1951年には「人名用漢字別表」が公布されて92字が追加された。主導権は法務省に移って、1976年には「人名用漢字追加表」でさらに28字ふえた。以後、何回か改訂が行われて今日に至っているわけである。大勢は相次いで解禁される方向に進んできている。


■「戸籍法」第50条「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。」が、猛攻撃をうけ、「人名用漢字」という、妙な制度が拡充されてきたんだね。■保守派の方では、野口さんも指摘するとおり、漢字制限については、「戰後民主主義即ち日本社會主義のイデオロギー的要求に應へるべく考案された」といった、被害者意識さえある。■GHQの初期の改革方針が、リベラル左派的であったことは、たしかであるとしても、それがソ連など社会主義諸国の意向と無縁なことも事実であり、完全な「妄想」の域に属する(笑)

 著者は視野をたっぷり深く取り、問題を複雑にした諸要因として、(1)法務省と文部省との縦割り、(2)市民と行政との対立を材料豊かに分析しているが、とりわけ面白いのは、(3)テクノロジーからの観点であり、制限論の背景には、活字を作るコストがかさむ新聞社や印刷会社の利害がからんでいたという指摘は初耳だった。
■野口先生、この件は、うえにリンクした「妄想」氏がのべるとおり、かなり有名な事実ですよ(笑)。■基本的に、活字を有限の数に限定しないかぎり、業者さんは、やっていけないんですよ。そして、以前の和文タイプも原理はおなじ。■ところが、てがきは、誤記をふくめて、無限に 変質していう可能性をかかえているわけ。てがきで かいたものを、基本的に そのままみとめてしまった 初期の戸籍簿は、もともと お役所/業者なかせの、こまりものだった。■よくつかう特殊な苗字は、特注でくむにしても、ともかく 苗字以外の人名用漢字が制限されるのは、関係者にとって まちこがれた福音だった。■円満字さんが指摘するとおり、「人名用漢字が撤廃されることで、正字と誤字との境界線があいまいになること」を戸籍実務家を中心におそれているといった現実〔『人名用漢字の戦後史』,pp.140-4〕は、単なるディジタル技術とか、モジ・コードの整備とかいった次元をこえた、漢字文明の致命的問題なのだ。

 パソコンの普及は、漢字制限問題の客観的条件を一変した。和文タイプライターの漢字数は2000そこそこだった。今やJIS漢字は6355。誰でも漢字が「書ける」ようになった新しい時代の到来である。
 それはまたわが子の名付けにも特異性を競い合う「個性の時代」でもあった。漢字に制限はあっても読み方は野放しなのだ。漢字自由化の前衛は、不思議に難読漢字を好む暴走族のネーミングだといっているのは卓見である。
 著者は「漢字の唯一無二性」と表現しているが、たしかに漢字には、起源的な呪術性から発するのか、今なお「この字でなくては」とこだわらせる神秘性がこもっている。
 反封建から暴走族までの歴史を刻んできた戦後日本の漢字は、打たれ強く生き延びる。

■広義の複製技術である、電子タイプライター=ワープロは、よめ=識別できさえすれば、一応かける条件を ととのえた。こういった技術的激変に、高校全入化/大学のマス化といった高学歴化もあいまって、国民総「せのび」化を助長した。ますます 交換可能性をたかめる複製技術は、労働力も分解し、労働者の交換可能性を加速化した。それへの 不安のあらわれか、高学歴化ゆえの個性信仰の大衆化は、「個性的ななまえ」を急増させた。■この延長線上に、ヤンキー系ほかの超絶的な漢字名が大量発生するのは、円満字さんの指摘どおり。
■このヘンについては、評論家の呉智英さんが、『朝日新聞』での書評で、皮肉っぽくかたっている。。

 ……ところが、この構図、ワープロの出現で崩れてしまった。皮肉なことに、近代化・工業化された日本社会が漢字使用を容易にしたのだ。もう一つ、人名漢字という皮肉も現れた。「自由に名前を付ける権利」である。つまり、漢字という前近代的で反動的な文字を制限せよという潮流に対し、難しい漢字を使う個人の自由を認めよという主張が、同じ戦後民主主義の中に現れたのだ。昭和25年以後、たびたび裁判にもなっているし、亀井勝一郎が朝鮮人への強制的な創氏改名と関連させて批判もしているという。学校教育から落ちこぼれた暴走族が当用漢字(常用漢字)以外の画数の多い漢字で族名を付けるのも、同じような逆説だという指摘もある。

 私も、複数の大学で学生を教えていて面白いことに気づいた。大学の偏差値と学生の名前(特に女子学生の名前)に相関性があるのだ。高偏差値の大学には、名前が平易で「子」の付く学生が多い。逆に、低偏差値の大学には、画数が多く万葉仮名のような読みにくい名前の学生が多い。「夜露死苦」系である。本誌も、高校別大学合格者発表より、名前別大学合格者発表をすればいいのに。

 子供の名前には親の願いや期待が込められるだけではない。我が子の「唯一無二性」も強調したい。誰もが「唯一無二」の存在であるという民主主義のウソは夜露死苦となって結実したのである。

■呉先生、博識のはずが、基本的なカンちがいに おちいっている。■野口さんも要約しているとおり、人名用漢字の膨張は60年代以外、くりかえされてきた。ヤンキー系の難読漢字命名だって、なにも パソコンが助長したわけじゃない。暴走族の旗も、パソコン印字じゃなかったはず
(笑)。■ちなみに、「○○子」という女子名が、命名にかぎらず 保守的な意識を象徴するもので、学校文化とは相性がいいので、成績がよいという仮説は、金原克範『“子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族』(洋泉社新書y)などで、展開されている。■金原さんの意味づけは 強引で、本質的には トンデモ本に 分類すべきかもしれないが、女子名の分布と経済階層や文化資本の相関があるらしいという指摘は、妄想ではなく、かなりの妥当性がある。俗っぽい例をあげるなら、皇室に はいっていった女性たちは、全員「○○子」型だ(笑)。■社会学者の一部も、単なるトンデモ本とはきめつけず、「こうした著者の分析手法は正統的な社会学の手法にのっとっており、メディア社会論の仕事として確かな手応えのあるもの」と位置づけて、テキストにしてさえいるほど(笑)。■金原さんや呉さんは、階層差別的な視線で 議論を立論しているかもしれないが、漢字表記を媒介にした文化資本の階層差は実在するという仮説には、ハラナも反対しない。■くりかえしになるが、ヤンキー系をふくめた 漢字表記に過剰に依存した「個性化」志向は、ワープロの普及で激増した漢字表記と同様、劣等感/焦燥感を基盤とした「せのび」という悲喜劇とみるべきだろう。■「この漢字=ヨミでしか、この子の独自性、この子への両親の愛情=おもいいれは表現しえない」という、妄想をおもちのかたがた、冷静になってほしい。「歴代の偉人たちが、そんなに個性的な表記でしたか?」

■くわえて のべておくなら、GHQの日本去勢化政策の一環として、漢字廃止/ローマ字教育導入が こころみられた、といった「被害妄想」は、日本の独自性を 天皇制と漢字かなまじり表記にしか みいだせない、かなしいナショナリズムの産物といえるだろう。合掌。


■漢字表記に議論はとどまっていないが、田中克彦名前と人間(岩波新書,1996年)は、10年ちかくまえの本だが、特異な言語学者の人名論として、よんで損はしないだろう。■これを批判的に 検討した人名論も、紹介しておく。



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