■きょうで、「新潟県中越地震」から ちょうど1年になる。■Wikipediaがまとめているとおり、50名以上が死亡、5000人ちかい負傷者、避難住民は10万をこえ、家屋の全半壊約1万6千棟といった、大被害ではあったが、「一部で火災が発生したものの、瞬間的に兵庫県南部地震を越えた規模と比べれば被害ははるかに少なかった。山間部で人口が密集する都市が少なかったこと、豪雪地帯のため雪に押しつぶされないよう建物が頑丈に作られていたこと、また小千谷市などでは阪神・淡路大震災以来災害に備えた街づくりを進めていた事などが、被害を抑えた要因だといわれている」。■しかし、当然のことながら、被災のツメあとは、きえさっていないし、「上越新幹線脱線事故」や電話網のパンク、そして「柏崎刈羽原子力発電所」の安全性など、いまも 再検討すべき ことがらは、すくなくない。
■今回は、地震実際上予知不能であり、であるがゆえに、おこってしまうことを前提にした、善後策をどうすべきかを 冷静にかんがえるために、島村英紀 『公認「地震予知」を疑う』
〔柏書房〕を紹介する。
■ハラナは、いまではA新聞の大物支局長にまで出世した人物と、同席する機会を十数年まえにもったが、かれは、東海地震対策の予知関連の諸施策がいかにすごい水準か、とうとうとのべた。もう具体的な内容はわすれてしまったが、「最前線の努力をしらない しろうと、えらそうに」と、実に はないきがあらかった。■しかし、島村先生にいわせると、つぎのような理由から、地震の短期予知は事実上不可能にちかいものである。■?活断層の調査は、ふかく ほりこまねばならないのに、全然できないし、長期予測が一応できそうな海溝型とちがって、数百年?数千年単位であること。■?予測が一応できそうな海溝型でも、1年後か50年後かを特定できるわけでなく、「いつ、どこで、どのくらいの規模の地震がおきそうか」といった「短期予測」は できそうにないこと。■?大地震はごくマレにしかおきないため、たとえば天気予報などとちがって、データ蓄積の数量がすくなすぎ、仮説的な「方程式」さえ成立していないし、もともと「破壊現象」は古典物理学的な予測が不可能な本質をかかえていること。■しかも、?天気予報とちがって、%を発表されても、市民は どう行動すべきか、全然指針としてつかえない。「琵琶湖西岸断層帯での地震発生率は30年以内に0.09?9%、50年以内に0.2?20%、100年以内に0.3?30%とされている〔p.128〕そうだが、たしかに、その「長期」ぶりと、100倍も ハバをもたせた 数値なんてのは、全然意味をなさないだろう(笑)。■おどろかされるのは、「阪神淡路大震災」の原因だった「野島断層」の評価確率だ。「評価時から30年以内に地震が起きる確率は、0.4?0.8%にしかすぎなかった」し、「この断層での大地震の繰り返しは1800?3000年ということにされている」そうで、「この程度の確率のところは、日本中どこにもある。そのうちのごく一部では兵庫県南部地震のような地震が起きるかも知れない。しかし、そのほとんどは、私たちが生きている間には地震が起きないのは確かなので」あって、「長期的予知の確率がこんなにも低いものなら、政府がわざわざ数値を発表して備えを薦めることにどのくらいの意味があるのだろう」という〔p.129〕
■現在欧米では「地震予知を謳う研究はそのタイトルだけで審査に落ちる。つまり、地震予知は研究に値しない、というのが世界の科学者の常識となっている」し、とびぬけた予算と人員をえている東大の地震研究所の「地震予知情報センター」という部門の英文名称を日本語訳すると「地震の情報センター」となっており、「地震予知」が世界であいてにされないという実態を、皮肉にも露呈してしまっているという
〔p.65〕。「現在、日本のどの大学でも、地震予知を教えている講義はない」のだそうだ〔p.68〕
■要するに、某記者さんが ハマったのは、いわゆる「記者クラブ」制度の おとしあなだった。原発・宇宙開発ほか、大規模科学の当局発表同様のタレながし構造は、ここでも くりかえされたと。

 一方、私たち地震学者から見て不満だったのは、本来ジャーナリズムの命であるはずのチェック機構が地震予知研究には働かなかったことだ。
 発表者は自分の結果に都合の悪いことは発表しない。かくして、新しい前兆の発見はもちろん、地震予知とはほとんど関係がない基礎研究まで、「地震予知に役立つ」として発表される。多くの場合、発表者は官庁の予算獲得の「先兵」としての役割を担って発表をしているのである。
 各省庁にある記者クラブの「利点」は最大限に利用された。ただでさえ複雑で多岐にわたる科学情報を、親切に資料を用意して説明してくれる各省庁の受け売りをするだけで当面の科学記事はできてしまう。下手に官庁に楯突いて、その後記者クラブで情報をもらえなくなったりしたら困る、という判断もあったろう、私たち同僚の科学者から見ても、その程度の観測からそんな結論が言えるのだろうか、と首を傾げるような発表がそのまま記事になったり、歯の浮くような宣伝をそのまま受け売りしたり、という記事がめだった。
 ジャーナリズムにも事情があったのだろう。裏をとろうにも、評価できるのは同じ学会に属する科学者仲間しかいないので、客観的で厳しい評価にはなりにくい。他方、科学者の側にも事情がある。たとえば、他人の研究に厳しい評価をしたことが報じられたり、報じられなくてもいずれ知れわたると、従来の昇進や科学研究費の配分にも響きかねないのが科学者の世界なのである。
〔pp.98-9〕

■おいおい、カンベンしてよという感じ(笑)。ただ、「本来ジャーナリズムの命であるはずのチェック機構が地震予知研究には働かなかった」って、キレイごとは、島村先生、自己矛盾でしょ? 巨大科学や公共工事のアセスメント関連の当局発表で、本来ジャーナリズムの命であるはずのチェック機構がはたらいたことなんて、ないはずでしょ? 当局かぎらず、巨大科学に前線でたずさわる研究者も、この「記者クラブ」制度を悪用して、市民をだましつづけ、官庁から予算獲得をとりつけつつ、国家機構をささえてきたってことだよね。■「チェック機構が地震予知研究には働かなかった」って、妙な限定は やめてほしい。原発ほか安全/環境アセスメントの相当部分で、当局「タイコもち」をさせられているという構図は、普遍的にくりかえされているんだとおもう。■「大本営発表」〔pp.84-5〕という、島村先生ご自身の表現は、大規模科学全般の構造でしょ?

■ま、このほかにも、予算が旧帝大系にだけ配分されたとか、旧帝大でも、地球物理学の講座がなかった阪大ははずされただの、東海地震のじもとであるはずの静岡大や、大地震研究で有名な富山大などは、有能な研究者がいても予算配分・人員配置がなされなかったとか、おいおいバナシは、たくさんある〔pp.92-4〕。■1976年の「東海地震」説と、予知可能論への幻想がからまったところに、1978年1月、25人の死者をだした伊豆大島近海地震が「東海地震ちかし」という、不安をあおった。「大規模地震対策特別措置法」は、わずか2か月で成立したのだという。地震学者は予知できるなどとうけおわなかったのにである。予知は不可能という悲観論が、まだ確立しておらず、希望をもちうる状況もあったからだが、予知計画に30年間で1800億円という巨額の予算がついた。■しかし、これらの予算は、あたらしい予知研究にふりむけられたのではなく、単に急増された観測網の維持、日常の観測業務にきえてしまったそうだ〔pp.85-92〕。■「予知不能」にしても、被害を最小限におさえこむための、気長で地道な基礎研究に充分な予算が投入されるのなら、ムダとはいえない。しかし、現実には、以上のような浪費がくりかえされたし、宇宙開発原子力開発件研究には、ケタがちがう予断がさかれているというのだから、人命なんかよりも、国威発揚、国際競争の方が重要なんだよね。■しかも、文科省として、旧文部省と合併した旧科学技術庁は、国策をトップダウンで実施しようとする体質をもっていて、研究者の意見をすいあげる姿勢をもっていない、っていうんだから、統合されても、マシになる気体はもてないよね。

■さて、地震予知が実質的に無意味となると、あとは、被害はさけられないから、最小限にくいとどめること、復旧をいちはやくするには、どうするかになる。■「予知」ができずに、震災が生じてしまうという状況は、さすがに官僚たちも、かんがえて対策をはじめているようだ。たとば、坂 篤郎/地震減災プロジェクトチーム監修『巨大地震』〔角川oneテーマ21〕などがある。たとえば「専門調査会では、鉄道の脱線事故による死者数は、東京湾北部地震の朝8時のラッシュ時で、JR在来線、私鉄、地下鉄で約200人、新幹線で約100人と想定している」といった、もっともらしいシミュレーションは発表されている〔p.75〕。■しかし、これが、市民をいたずらに不安におとしいれたくない、という当局よりの「希望的観測」であることは、JR西日本の福知山線脱線事故の被害状況をみれば、すぐわかる。■新幹線については、1年前の「新潟県中越地震」での上越新幹線脱線事故を、ふりかえるのがよかろう〔Wikipedia「鉄道事故」から〕。

上越新幹線脱線事故
2004年(平成16年)10月23日 17時56分頃
17時56分頃に新潟県中越地震が発生。震源地に近い、上越新幹線浦佐?長岡駅間を走行中だった東京発新潟行きとき325号(200系10両編成K25編成)の7・6号車を除く計8両が脱線した。乗客155人に負傷者はいなかった。地震発生当時、同列車は長岡駅への停車のため時速約200kmに減速して走行中であったが、早期地震検地警報システム「ユレダス」による非常ブレーキが作動し、長岡駅の東京寄り約5kmの地点で停車した。当該車両は脱線はしたものの、横転は免れたが、全車廃車となった。
新幹線の早期地震検地警報システム「ユレダス」は地震発生時の第一波(初期微動、P波)を感知して作動するシステムであるため、直下型地震だった今回のケースでは、激しい揺れの到達前に列車を停車させることはできなかった。1964年10月1日の東海道新幹線開業以来、新幹線の営業列車では初の脱線事故となった。


■これは、たまたま、事故にならなかっただけである。■実際には、対抗車両がせまっていたし、市街地で脱線したら、福知山線どころの被害ではすまない可能性がたかいだろう。■ともかく、緊急ブレーキは、直下型大地震のばあい、まったく無効だったことが、証明されたことを、どう評価するのか?
■それはともかく、島村先生、4章「「東海地震対策大綱」の周りにある穴」という箇所で、原発審査や新幹線事故が「想定」「計算」されていないと、おっしゃる。やっぱりね。阪神大震災でも、「想定外」で、高速道路がネジまがったし、専門家の「想定」は、ことごとくハズれた。■島村先生が指摘する「地震後の対策は「国益」優先」なんて指摘も、「心臓がとまらないよう、ゆびはきりおとす」式の発想がすけてみえて、こわいなぁ
〔pp.195-6〕