■きょうで、「JR福知山線脱線事故」から半年をむかえた。■概要というにしては、かなり詳細な経緯は Wikipedia の 記事のとおりだし、事故原因が完全には解明されていないこと、すでに 何度も この事故について論及してきたが〔「人材補充計画という責務」「集団神経症としての列車ダイヤ」「「想定外」の大事故(その2)」「なぜ福知山線脱線事故は起こったのか」〕、「鉄道事故再論1」で、「後日、つづきをかく予定」と、かきながら、放ったままだったので、おぼえがき風に かきのこした論点を列挙しておく。
■Wikipedia「JR福知山線脱線事故」では、「JR西日本の経営姿勢」として、つぎのような問題を指摘している(強調部:ハラナ)。

・JR福知山線は、阪急電鉄の主要な複数の路線(宝塚本線、神戸本線、伊丹線)と競合しており、他の競合する路線対抗策と同様に、秒単位での列車の定時運行を目標に掲げていたとされる。また、目標が守られない場合に、乗務員に対する処分として、日勤教育という再教育などの実務に関連したものではなく懲罰的なものを科していた日勤教育については事故が起こる半年前に国会で国会議員より「重大事故を起こしかねない」として追求されている。また、日勤教育は「事故の大きな原因の一つである」と、多くのメディアで取り上げられることになった。
当該運転士は過去に運転ミスなどで3回日勤教育を受けていたが、十分な再発防止の教育が行われていなかった
他の時間の列車よりも所要時間が少なかった最速運行だった。特に、塚口?尼崎間の所要時間が最も少なかった。
余裕の無いダイヤのうえ、停車駅が増加したのにも係わらず余裕時間が全く考慮されずに制限速度を超えての運行と遅延が常態的であった
・事故調委が全国のJR・私鉄・公営鉄道事業者のダイヤを調べたところ、余裕時間の無いダイヤを組んでいたのはJR西日本だけであった
スピードアップによる所要時間短縮や運転本数増加などの見せかけのサービスや利益を優先し、安全対策が十分ではなかったと考えられる。
車輌のメンテナンスが大味である。ほかの鉄道会社の車両でも日常的におこっている車輪が滑走した際にできる偏磨耗の補修放置が最たる例で、放置すればするほどに車輪が真円でなくなり、走行中に非常に耳障りな音がでる。裏を返せばそれだけの負担を車輌にかけなければならない運行体制であるともいえる。
4年に1度速度計の精度を検査するよう義務付けられているにもかかわらず、車両メーカーからの納入後1度も検査していなかったことがわかる。2%までの誤差は許容範囲とされているが3?4%の誤差があった可能性があるという。このため、運転士の意思に関係なく速度超過をしていた場合もあったと考えられる
・JR西日本が絡んだ列車事故として信楽高原鉄道での正面衝突事故があるが、JR西日本は信号システムを信楽高原鉄道に全く連絡せずに改変するなどの行為があったのに刑事責任を追及されなかったため、自己反省が無く当該事故を招くことになったとの指摘がある。

■これらは、おおむね 妥当な指摘=批判なのだとおもう。■しかし、ハラナは、たまたま JR西日本の福知山線で、ふきだしただけで、同様の矛盾をかかえた路線・鉄道会社は、ほかにもあるのではないかと、にらんでいる。いいかえれば、「JR福知山線脱線事故」というのは、JR西日本の企業体質と福知山線という路線という、ここまで矛盾が集約点だったとはいえ、おおかれすくなかれ、同様な体質・構造的な矛盾が、ほかで ホントに みあたらないのか、徹底的に調査がおこなわれるべきだと、かんがえている。■なぜなら、以前も 紹介した、三戸祐子『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』
〔新潮文庫〕でも、富井規雄『列車ダイヤのひみつ 定時運行のしくみ』〔成山堂〕でも、その芸術的ともいうべき 「つなわたり」構造が 強調されているからだ。■ラッシュアワーを、非常にせまい駅構内およびレール網でさばこうとする、過去の経済的貧困に起因する 物理的貧困は、それこそ、「みずも もらさぬ」ダイヤグラムを、モジどおり 「ピストン輸送」で フル稼働させないと たちいかない 構造を再生産しているのである。
■三戸さんらがいうとおり、ダイヤグラムをみだす要因は、起伏・駅間など地理条件/自然現象/事件/故障/操作ミスなど、定時運行をさまたげそうな要因がすぐ、おもいうかぶが、つねに そして もっとも主要な「リスク」とは、乗降客なのである。■地理条件は あらかじめ こまかな予測ができ、かつ安定的な部分だし、自然現象/事件/故障/操作ミスなど不確定要素は、当然予測がきかないので、統計学的に予想にふくめつつ、おきてしまったときの復旧を善後策としてくむほかない。■しかし、毎日の、とりわけラッシュ時の乗降客のうごきは、なにか突発的な要因がらみのときはもちろん、のりおりのリズムの みだれなど、こまかではあるが、蓄積すると収拾がつかなくなる基本構造をなしているのだ。■修学旅行の集団しかり、アメの日のカサやコートがドアにはさまって、……など、それは さまざまで、おびただしい要因を、混雑という大状況がかかえこんでいる。■しかも、駅間がみじかく、起伏・カーブが たくさんある線路を大都市部のなか ぬうようにはしる電車網。ひとつの車両ドアでおきたトラブルが、後続の列車に影響をおよぼすだけでなく、のりつぎできるはずの、周辺ダイヤにのれない客が、また カクラン要因となる、……といった、「定刻発車」「定時運行」をさまたげる原因が、連鎖的に発生してしまう。まさに、タマつき状態なのだ。■ダイヤグラムが、いっぱいいっぱいで、列車間隔が、ツメツメ状態なのだから。
■三戸さんによれば、欧米の大都市の線路設備は巨大であるのに、東京・新宿はせまい設備のなかで、ニューヨークの1.5?3倍の乗降客をさばいているそうだ
〔pp.317-9〕。要は、後発資本主義国として欧米の鉄道システムを急ごしらえで導入したから、狭軌など、貧弱な線路設備で鉄道事業がはじまったが、人口急増や資本主義・戦時体制維持のために、設備投資が後手後手にまわり、気がついたら、大都市部の駅舎敷地の確保や複々線化が困難なぐらい、都市部の混雑と地価高騰がすすんでしまったのである。■もう、どうにも 抜本的改善の余地がのこされていないのだ。平野部がすくなく、人口が集中しがちな国土環境、大都市構造をかんがえれば、計画的な都市整備の一貫として、鉄道インフラの拡充が不可欠だったはずが、全部、泥縄式にことがすすんでしまったのだ。
■以前もかいたとおり、大正期にすでに、乗降客の整然とした整列乗車文化が確立し、20秒前後で、発着ができるという異様な「定刻発車」システムがもとめられてきた。戦後の混乱でそれが、少々くずれたにしても、高度成長期をへて、急増した輸送需要をのみこむかたちで、まさに秒きざみの「定刻発車」文化は完成されたのだ。■そんななかで、「民営化」による過当競争と労働現場の軽視が、今回の大惨事の基盤だったといえそうだ。■そうかんがえれば、福知山線での破綻は、単なる例外的な不祥事でなどないし、JR西日本の特異体質として かたづけられないのではないか?■ほかのJR各社はもちろん、周辺の私鉄各社も、「うちは、あそこまでは、ひどくない」と、いいきれるかどうか? そこでの、徹底的な再検討がないかぎり、同様の、あるいは構造上通底した 別種の大惨事がおきないともかぎらない。