草薙厚子『子どもが壊れる家』〔文春新書〕という本が話題になっているようだ。■しばしばご登場いただく、後藤和智さんの俗流若者論批判でも、いわゆる「ゲーム脳」論の支持者として後日とりあげられるようだ

【著者略歴】法務省東京少年鑑別所元法務教官。退官後、地方局アンウンサーを経て、ブルームバーグL.P.に入社。テレビ部門アンカー、ファイナンシャル・ニュース・デスクを務め、フリーランスとして独立し、ジャーナリストに。テレビ、ラジオ番組のコメンテーターとしても活躍中。著書に、『少年A 矯正2500日全記録』他がある。
と、おくづけにある。■実は、神戸の児童連続殺傷事件の加害者の情報を職務上しりうるたちばにあることを利用して、暴露本をかいてメジャー・デビューした人物なのだ。
■実は、本書には、すでに「(書評)子どもが壊れる家」(『たこの感想文』2005.10.24)という、詳細な書評がある。■まずは、引用させていただきながら、本書の概要をさらってみよう。〔改行・段落おち・リンク・強調などは、ハラナ〕

……著者は、近年増えている(としている)凶悪少年犯罪は、家庭での過干渉とゲームの悪影響だ、とする。第1章では、過干渉が増えてきたという概論。第2章で、神戸の酒鬼薔薇事件、佐世保の小6女児殺害事件、佐賀のバスジャック事件のケースファイル。第3章でゲームの悪影響、第4章でゲームと凶悪事件の関連…という構成になっている。……
 まず、第1章に関してだが、一切、客観的なデータが無い。いくつかの、マスコミで大々的に報道された事件と、ベテラン教師がこう言っている…というものばかりである。その中には事実を都合よく捻じ曲げているとしか思えない箇所も多い。例えば、少年犯罪が「生活苦」から「遊び型」になったとして、検挙者の中の万引きの率が急増した、というのだが、これはむしろ少年事件の少なさによる部分が多い。事件が少ないから、万引きなどにも手が回るのである。殺人事件と万引き、警察はどっちを優先するか、言うまでもあるまい。また、HIV講習に若い女性が多く行くようになったことまで、「金のために、売春なども厭わないためだ」の補強材料にするのは酷過ぎやしないか?
 3章に関してもそうだ。ゲームの悪影響として、前頭前野が発達しない、というものが予想通りに出てきたがこれも凄い。川島隆太氏と森昭雄氏が出てくるのだが、111頁に出てくる川島氏の言葉は、川島氏自身が「忌まわしい過去」として否定しているものだし、森氏のゲーム脳が理論破綻甚だしいものであることは言うまでもない。しかも、川島氏に関しては、「ゲームに癒し効果があるから完全否定できない」というものを「癒しなんか無い」と完全否定しまう。川島氏の否定したものを取り上げ、川島氏の主張で、著者に都合の悪い部分は見なかったことにするのはどうなのだろう。その他の「脳に悪影響」は、片岡直樹氏、澤口俊之氏という、ゲーム脳を根拠に主張している人々なので、意味が無い。
 4章も凄い。神戸・佐世保の取材を通して「ゲームが少年事件の特別に重大なきっかけなるのだ」と「直感」で確信したのだと言う。直感かよ。しかも、その取材というのが凄い。「これらのケースで親の過干渉がどのように行われたのか、あるいはなかったのかについては、完全に取材することはできませんでした」と言ってのけてしまう。これまで1・2章で散々、過干渉を訴え、その典型例として扱ってきたのにである。しかも、その「不完全な」取材を元にした「直感」でゲームが原因、などと言ってしまう神経に感服する。
 「完全に取材できなかった」ことを元にした「過干渉」と、理論破綻甚だしい「ゲーム脳理論」などを元にしたゲーム悪影響。これが凶悪事件の元凶だ、とはこれ如何に。


■もう、多言は不要だろう。■基本的にはトンデモ本である。後藤さんが おいつづけている「俗流若者論」の典型であり、社会学や教育学などのゼミあたりで 素材とすると、非常によさそうな シロモノといえそうだ。■?「家庭でのシツケなど育児環境が激変して、ごく普通の子が突然凶悪犯罪にはしるなど、理解不能な現象が急増しているが、そこには あきらかに構造上の変化がみてとれるのだ」という断定。■?「家庭でのシツケのなかでも、とりわけ テレビやテレビゲームなど、動画媒体への長時間依存が、コドモの大脳を異常にさせている」と、ほぼ断定。■?「母親や祖母などによる 過度の干渉がコドモを異常にさせた」という、単純な因果論。など、世間うけはするけれども、識者が慎重に判断を留保したり、こぞって 再三トンデモ性を批判しつづけてきたことばかりだ。
■「たこ」さんが指摘するとおり、万引きなど軽犯罪の検挙数激増は、一部たしかに、コンビニ/スーパーなどの流通業界の店舗形式に起因するものも否定できないし、規範意識のゆるみなどをあげることが不当ではないだろう。が、基本的構図は、少年犯罪担当部局がヒマなので、アリバイ的に 微罪を大量検挙しているという、権力組織の逆説/逆機能だ。■少年犯罪の激増化/凶暴化/低年齢化という3題バナシが、当局の利害もからんだ、マスメディアのデッチアゲ報道による虚像であることは、再三のべてきた。■HIVについての意識のたかまりは、性体験の低年齢化というみかたが不可能ではないが、基本的には社会階層によって、性病知識などの格差が極端におおきくなりつつあることをかんがえれば、お勉強しようという層は、タイヘンこのましいとさえいえる。■ちなみに、性体験の低年齢化を単純に問題視する姿勢・発想が、歴史的な視座をかいた、規範主義的な俗論であることは、いうまでもない。「若衆宿/娘組」など、性体験を低リスク化させるような、年長者=先輩による 自生的なシステムが ほんの1世紀ぐらいまえまでには、村々にあったことが、民俗学などによってしられているし、文部省唱歌であるはずの「赤とんぼ」の歌詞の「ねえやは15でよめにゆき……」は、当然、かぞえどしでの換算のはずだから、いまでいえば中学生で 結婚が当然視されていた空間が、さほど突出してはいなかったことの証拠になるだろう。■基本的には、大塚英志さんあたりのとく、近代家族の結婚戦略=「箱入り娘」化志向によって、「純潔」教育が学校を中心に大衆化していったから、現在が、「性体験の低年齢化」がめだてみえるだけだろう。■少年の矯正機関につとめていながら、こういった教育史的/社会史的知識に無知で、世間の俗論にドップリだったのには、あきれるが、それよりむしろ、こういった「教官」に「指導」「監督」される 少年たちが あわれだ。 

■ちなみに、筆者の 人格というか、取材方法や発表の姿勢が、あやしげでえあることは、「やられたらやり返せ?」『My Diary』といった文章にくわしい。■神戸の児童連続殺傷事件の関係者はもちろんのこと、少年鑑別所の関係者も、衝撃はおおきいだろう。しかし、当局についていえば、こんな人物を矯正機関の「教官」にすえてしまうという、人事配置上の致命的ミスをおかした せめは、まぬがれない。■せめては、この「不祥事」を猛省して、「守秘義務」にそむいた もと係官を厳罰に処せられるよう制度改革をいそぐべきだろう。第二の筆者を、少数ならも確実に養成しておるのだよ。かれら・かのじょらが、退職後どうふるまうか、なにも予測していなかったんでしょう? 大問題だよ。

■こういった粗雑というより、野蛮な出版物がベストセラー化するのは、本邦の知性の平均水準をみわたせば、容易に予想がつく。出版資本に倫理をもとめるのは、ムダというものだろう。■これらを当局が とりしまるというのは、思想監視社会であり危険すぎる。
■してみると、ベストセラーといえども、トンデモ本として、嘲笑の対象とする読者がふえるよう、公教育やネット上の情報流通/消費の水準をあげねばなるまい。■そして、情報公開と守秘義務という、むずかしいバランスが必要ではあるが、こういった、情報格差による二重構造を監視しなければなるまい。それは、先日紹介した『産廃ビジネスの経営学』がとくように、オモテとウラの 「二重構造=分業」体制が温存されるかぎり、腐敗も くりかえされるという構図と本質は通底していると、いえそうだ。

■ちなみに、著者のメジャーデビュー作品『少年A 矯正2500日全記録』が、かれの退院の時期にあわせた刊行だったこと、本書とおなじ文藝春秋からであったことは、強調しておく必要があるだろう。