■廣川州伸『週末作家入門  まず「仕事」を書いてみよう〔講談社現代新書〕は、アマゾンの著者からのコメントとして、つぎのような文がそえられている。

今、みんな元気がありません。
理由はいろいろありますが、何よりもまず「ものづくり」をしなくなったということがあります。

ものをつくる、とくに「ものを書く」という行為は、実は脳の活性化にも大いに役立ちますし、何よりも、とっても楽しく、充実した時間をすごすことができるんです。

もし、みなさんに「仕事」をした経験があるなら、ぜひそれを書いてみてください。あなたが、日々の暮らしで苦労が絶えないなら、ぜひ、それを書いてみてください。そう、日々の苦労を逆手にとって、ちゃっかり「作家」を目指しましょう。

本書は、わたしの五十年間の人生のすべてをかけて、心をこめて書きました。仕事でも遊びでも、人生のシーンはすべて「モチベーション」が基本と、わたしは考えています。
モチベーションさえあれば、いずれ「なりたい自分になれる」のです。

今日からみなさんも、週末に作家気分ですごしてみませんか?
そのスタートを、本書の購入から始めていただければ幸いです。


■いい「自己紹介」だとおもう。■レビューは3人と、けっしておおくはないが、全員が★★★★★で、しかも レビューが参考になったかというアンケート、のべ14人全員が参考になったと、こたえている。■こんな本は、はじめてだ。
■『若者はなぜ「決められない」か』(ちくま新書)など、たくさんの著作をもつ 長山靖生さんが、実は本業が自営の歯科医師で、「週末作家」であることは、『若者はなぜ「決められない」か』にもかきこまれている。■そして、「二足わらじ」で、「週末作家」的な人物は、実際にはかなりおおいことが、わかる。いわゆる専業の作家として、執筆料・印税・講演料などだけで 生活がなりたつ「作家先生」は少数派だからだ。大学の先生たちはもちろん、ビジネス書は副業としてかかれていることがおおいし、タレント本が、ゴーストライターによる宣伝ものでないなら、これも、本業のスキマの産物だろう。■江戸時代にも、武士である身分をかくしながら、戯作者としていきた人物がいるが、文章の刊行というのは、本質的に「週末作家」的な性格をかかえているのであり、明治期以降の専業の作家、たとえば夏目漱石のような層は、少数派といってもよさそうだ。■ま、森鴎外のような、「二足わらじの王者」みたいな人物は例外にしても。

■廣川
〔ひろかわ〕さんは、積極的に「二足わらじ」をすすめる。作家として専念したいといった願望を、おさえこむように。■実際、専業の作家は、長山さんが漱石らを論じているくだりでもあるとおり、すきなことをプロとして やりつづけるという、苦行になりかねない。というか、長山さんのいうとおり、プロとは、業界のつごうや市場の動向に妥協して、「すきなこと」を 日常的に くりかえさねばならないという、奇妙な 人種である。スランプは、全人生の否定につながりかねないし、因果な商売としかいいようがない。
■その点、「二足わらじ」前提の「週末作家」は、本業のいきづまりや「不完全燃焼」のストレス解消になるし「自己実現」ははかれるし、ちょっとしたプチ有名人になった気分もあじわえる。職場の同僚や上司にバレて、イジメにあったりするリスクさえ さけられるなら、これほど ちいさなリスクで 人生をゆたかにしてくれるものはないと。■低コストで 自己表現を発信するなら、ネット上のサイト/ウェブログなどが やすいし てっとりばやいし、世界中に配信も可能だが、編集者や市場原理の選抜をへている、著書とは、やはり おもみがちがう
(笑)。■ご自身が「週末作家」とはいえ、廣川さん 議論がたくみだし、商魂もたくましい。実際、この本に 勇気づけられて、「週末作家」をめざす層が、どっとあつみをましそうな予感がする。■そして 本書は、どうやって「二足わらじ」を可能にするという、ノウハウ・姿勢を、実にていねいに具体にときあかしている。■どうやって 執筆時間やネタをひねりだすか、どうやって編集者にうりこみ、どう交渉すべきか? 企画のまえの段階で、パクられ、すてられたりしないための企画書の秘訣はどこにあるのか? などなど、実に やくだちそうな話題満載だ。
■とりわけ、「週末作家」の もっともおおきな 潜在的集団として、会社員と主婦に焦点をしぼった指南が、なかなかにくい。「ビジネス書」と「経済小説」は、たしかにかけそうな気分にさせられるよね
(笑)。「まず「仕事」を書いてみよう」という副題と「日々の苦労こそ「ネタ」になる!」は、実に そそられる 表現だ。

■サービス残業におわれ、ときには過労死/過労自殺の不安などもかかえる層もあるわけで、こんな お気楽な提案はないという いきどおりをおぼえるひとびともいるだろうが、みんながみんな、それほど おいつめられているわけではない。■おいつめられていないならば、人生に はばをもたせるために、こういった「副業」を こころのかてにするというのは、わるくない提案だろう。

■とまあ、紹介は このくらいにして、本書を土台にした、余暇論・人生論を少々、つけくわえておきたい。
■?NHKが5年ごとにおこなう「国民生活時間調査」が、とりあげられている。「拘束時間/必需時間/自由時間」の3分割で、24時間が分類されていて、たとえば「男性勤め人平均」だと、平日自由時間 3時間17分,土曜自由時間6時間08分,日曜自由時間 8時間01分で、年間66日と5時間28分。「専業主婦」だと、それぞれ、5時間40分,5時間48分,6時間17分で、年間87日と13時間40分だとか。■ハラナは、こういった「平均値」というのは、まったくといっていいほど、無意味だとおもう。たとえば 母乳で育児している専業主婦に、一日いったい何時間「自由時間」があるだろう。■「十人十色」といいたいのではない。しかし、かなりの程度、おかれた状況によって、それぞれの属性内部は、最低でもいくつかの類型化しないと、統計としての平均値という意味が空洞化する。■「専業主婦」でいうなら、年齢,配偶者の職種と所得,コドモの人数と年齢構成,高齢者や障碍者の介助の必要性,居住地の人口規模,……。これらが、分類されずに、「合計」されるなら、実態の差異は全部相殺〔ソーサイ〕/捨象〔シャショー〕されて、平均値計算の目的が消失する。
■?「ものをつくる、とくに「ものを書く」という行為は、実は脳の活性化にも大いに役立ちますし、何よりも、とっても楽しく、充実した時間をすごすことができる」と、廣川さんはおっしゃるが、文章作成は、けっして「ものをつくる」行為なんかじゃないし、「脳の活性化」をはかるなら、料理や散歩の方が数段うえだろう。■原稿を版下にまでしあげる編集者、それを実際の本へとしあげる印刷所スタッフの仕事は、まさに「ものをつくる」作業だけどね。■ちなみに、Wikipedia「作家」では、「作家(さっか)とは芸術・工芸作品の作者をいう。単に「作家」といった場合は著作家、特に小説家を指す場合が多い。」となっているが、そういった「定義」とは ウラハラに、具体例としては、陶芸作家とか木工・金工の作家たちはもちろん、ノンフィクション作家でさえ、とりあげられていない。■これをみてもわかるとおり、ひとびとの大半は、「作家」を、実際に、物理的なモノを直接を工作する主体とは、あまりみなしていない。あくまで、情報生産者であり、モノづくり現場から、一歩ひいている業界人のことなのだ。■いや、陶芸作家とか木工・金工の作家たちだって、「職人」とよばれる社会的身分を脱して、「芸術品」として愛好され、手間賃以上の「作品の芸術性」に使用価格がハネあがっていくにつれて、それは 通常いう、モノづくり 作業からの 距離化がすすんだということだ。■陶芸作家の先生が、気に入らない「作品」を、バンバンたたきつけて、わってしまうでしょう。あの おシャカの大半は、日用づかいには、なんらさしつかえない完成品のはず。つまり、作家先生とは 「ブランド/芸術等」をおつくりになる「作品制作家」なんであって、実用となる「モノ」をおつくりになる気なんか、ないんです(笑)。
■?充実感とか虚栄心・名誉欲などをみたすためには、ネット上の発信では不足かもしれない
(笑)。しかし、編集者のチェックをへなければならないという、時間的・精神的コスト、そして、実際に 一部は確実に かみクズとして廃棄処分にいたるだろう 書物を あたらしく 世にとうことの、環境負荷との比較は、どうなるのだろう? ■編集者との やりとりで、自分が向上し、作品自体の質があがるとか、ネット上の配信にはたどりつけない層にとどくとか、そういったことをかんがえれば、「環境負荷」にまさる意義をみとめる層はいるだろうが、それが「うぬぼれ」ではないかどうか? ■ハラナの個人的見解では、「週末作家」をめざす層こそ、ネット配信を重視すべきだとおもう。だって、実利としての副収入なんて、かんがえる必要ないんだから。■それに、印税でくってる層なんて、ごくごくわずかでしょ。日垣隆さんの『売文生活』(ちくま新書)や「原稿料の研究 」なんぞは、苦笑なしには、よめないぐらいだ(笑)。


■あと、こまかいとこだけど、「二足わらじ」から出発した経済小説作家のトップに、城山三郎さんがあがっているが、その「前職」が、「私立大学教員」となっているのは、まちがいですよ。城山さんの前職は、愛知学芸大学(現・愛知教育大学)教員。