皇室典範の改正問題やら、大相撲外国人力士の人数わくなど、血統を 気にした議論が、近年かまびすしい。■ペットや競馬の「血統表」をはじめとして、「血統」概念が、ホ乳類において 母体と胎児が 「ヘソの お」をとおして、まさに 血流として 生命がひきつがれるという、生物学というよりは、医学的/獣医学的な なまなましいイメージを 基盤にしていることは、いうまでもない。■しかし、ひとびとは、国籍問題における血統主義や、有力家系の人物を「サラブレッド」とか、「毛並みがいい」といった 俗っぽい表現もふくめて、その政治学的な射程をとらえそこなっているとおもわれる。
■たとえば、「生物学というよりは、医学的/獣医学的な なまなましいイメージ」とかいたが、医学/獣医ひろい意味での生物学にふくまれることは、いうまでもない。■しかし、すくなくとも 人物に ついて「血統」がかたられるとき、その相当部分は、父親の属する階級・階層・身分である。いや、はっきりいって、母親が特筆すべき「血統」にないかぎり、ふれられないことさえ マレではない。■人名事典という、差別的な装置を参照すれば、はっきりしている。

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach, 1710年11月22日 ? 1784年7月1日)とは、ドイツ人で、クラシック音楽の作曲家のヨハン・セバスティアン・バッハの長男であり、バロック音楽の作曲家である。別名「ハレのバッハ」、「ドレスデンのバッハ」。……

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ (Carl Philipp Emanuel Bach, 1714年3月8日、ヴァイマル - 1788年12月14日、ハンブルク)は、ドイツの作曲家。テレマンと並び多感様式を代表する作曲家である。 ヨハン・セバスティアン・バッハの次男であり、他のバッハ一族の作曲家と区別するために「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」などとも呼ばれる。
 ヨハン・セバスティアン・バッハ(大バッハ)とその最初の妻マリア・バルバラの次男としてヴァイマルで生まれた。……

金田一春彦(きんだいち はるひこ、1913年(大正2年)4月3日 - 2004年(平成16年)5月19日)は、言語学者、国語学者。国語辞典などの編纂、方言の研究でよく知られている。東京都出身。東京帝国大学国文学科、同大学院卒業。東京外国語大学名誉教授。言語学者の金田一京助の長男にあたる。また,息子の金田一秀穂も言語学者。……


■これらの実例が、家族名を代表しているのが父親であるとか、音楽家や言語学者として、「同業者」として2代目・3代目にあたるとか、父親の階級・階層・身分が基本的に継承されているとか、そういった ありきたりな 解釈ですますのは、つまらない。■音楽家や言語学者としての資質が遺伝するのではないか、といった「含意」があるのなら、一層、母系の出自もとわれてしかるべきだろう。なにしろ、「胎盤」と「ヘソのお」とで、血脈が通じているのは、母親なのだから。■父親は、あくまで遺伝子上半分の要因でしかなく、しかも媒介経路は、精子という、貧弱な タンパク質組織にすぎない。輸血でもしないかぎり、断じて、父親と血脈など通じたことなどないのである。■しかし、家系図の大半は、母系を軽視ないし無視して成立してしまうのである。

松岡 修造(まつおか しゅうぞう、1967年11月6日 - )は、日本の元プロテニス選手である。シングルス自己最高ランキングは46位(1992年)。
【中略】
父親の松岡功は東宝の会長及び東宝芸能社長。母親は元宝塚歌劇団星組でダンスの得意な人気男役として活躍した千波静(同期に松本悠里・葉山三千子(宝塚音楽学校教頭)・今西正子などがいる)で、曽祖父は阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝をはじめとする阪急東宝グループ創立者の小林一三(雅号・逸翁)である。……

小林一三(こばやし いちぞう、1873年(明治6年)1月3日?1957年(昭和32年)1月25日)は日本の実業家で、阪急電鉄・阪急東宝グループの創業者。山梨県出身。慶應義塾卒。阪急ブレーブス、宝塚歌劇団の創始者としても知られる。
【中略】
長男・富佐雄は早世した。次男・辰郎は松岡家に養子入りし、後に東宝社長を務めた。辰郎の子が現在の東宝会長・松岡功で、曾孫は元プロテニス選手の松岡修造である。三男・米三(よねぞう)も父と同じく阪急電鉄社長を務めたが、現職のまま1969年(昭和44年)に逝去した。


■社会、とりわけ大組織の中枢部を中高年男性がにぎっているという、性別役割分業=権力問題は、こういった「系図」的記述にロコツにふきだしていることがわかる。■プロテニス選手としての資質と、企業家との資質に関連性があるはずがない。母親が宝塚歌劇団の男役だったというのは、いわゆる運動神経とかかわりがあるかもしれないが、記述の「含意」は むしろ、宝塚歌劇団という興行組織の人脈を強調するものだろう。■しかも、「母親は元宝塚歌劇団星組でダンスの得意な人気男役として活躍した千波静……で、曽祖父は阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝をはじめとする阪急東宝グループ創立者の小林一三……である」という記述は、まるで、母方の曽祖父が小林一三であるかのように、よめてしまうが、「次男・辰郎は松岡家に養子入りし、後に東宝社長を務めた。辰郎の子が現在の東宝会長・松岡功で、曾孫は元プロテニス選手の松岡修造である」とあるとおり、実はちがうのである。■母親である女性は、芸能人として たまたま 有名な人物だったために、「華麗な家系」を演出するために 動員されたにすぎない。めだった活躍をしなければ、バッハ家同様、ふれられさえしなかっただろう。■そして、特筆すべき活躍がなかったらしい 母親である女性の父親も、ふれられない。要は、男性のなかで社会的に有力な地位までのぼりつめた人物だけが ひろいあげられ つごうよく「連結」されるのだ。■雅子さんが、結婚するときに、作家の江藤淳や、チッソ社長だった江頭豊などの「家系」がとりざたされたのも、こういった原理によるとかんがえられる。

■大相撲の大横綱のひとり、大鵬の 父親は ウクライナ人だったが、その一生がとりざたのは、大横綱の父親という偶然と、日ロの歴史的激動にもみくちゃにされた悲劇的後半生のコントラストなしには、ありえなかっただろう。■日ロ間の国境線変動や国籍変動に翻弄された住民は、相当数にのぼるはずなのに、その悲劇のほとんどは まともに話題化することがない。■いや、平凡な一女性であった、大鵬の母親は、日本人であることと、大鵬の戸籍名が「納谷」姓となった経緯を説明する素材にすぎない。父親との 対照的なあつかいは、その含意をロコツにしめしているといえよう。

■はなしを もとにもどそう。■くりかえしになるが、「血統」がかたられるとき、そこには、あきらかに「血液」を媒介とした、「医学的/獣医学的な なまなましいイメージ」が まとわりついている。■しかし、「母系」が 徹底的にさかのぼられるのは、おそらくサラブレッドだけだ。天皇家をふくめた王族でさえも、母系を4代以上さかのぼることは困難だろう。王妃の父親の社会的身分や生涯は あきらかにされるだろうが、母親についての 関心は ずっとうすく、母方の祖母にいたっては、ほとんど関心がはらわれないはずだ。しかし、父系については、王族なら 5代であれ、10代であれ可能ではないか?
■これらの構造は、コドモの属性を決定的に規定するのは、「父親の属する階級・階層・身分」であり、その家族名も 大半が父系であるという歴史的経緯の産物だ。■しかし、「血液」を媒介としたイメージが まとわりついた「血統」がかたられるとき、社会学的/政治経済学的な父系原理=現実とは、矛盾をきたすことも、あきらかだ。■「生物学というよりは、医学的/獣医学的な なまなましいイメージ」と、わざわざ冒頭でかいたのも、「血液」を媒介しない遺伝子上の連続性、しかも事実上父系の「血統」だけが 社会学的/政治経済学的に重視されることを、再検討する意義を強調するためだった。

■天皇家の皇位継承問題で、いわゆる「Y染色体」という、「性染色体」が、とりざたされたのも、以上のような、イデオロギー的文脈を除外しては、理解不能であろう。■そして「Y染色体」が、「血液」を媒介しない「分子生物学的」連続性であるという事実が おおいかくされていること、なんのことはない、父系の社会学的/政治経済学的地位を、「かてば官軍」的に合理化=正当化しているにすぎないことを、みのがしてはなるまい。
排外主義的民族差別の知的基盤である優生思想をふくめた 生物学的イデオロギー、「社会ダーウィニズム」=「疑似科学の一種」の政治的猛威も、以上のような 正当化作用とあわせて吟味する必要がある。
【つづく】