■三輪裕範『四〇歳からの勉強法』〔ちくま新書〕は、「1957年兵庫県生まれ。神戸大学法学部を卒業後、伊藤忠商事に入社する。鉄鋼貿易本部を経て、ハーバード・ビジネススクールに留学し、MBAを取得する。その後、大蔵省財政金融研究所、経団連21世紀研究所、伊藤忠商事会長秘書等を経て、現在は伊藤忠商事調査室長。TOEIC985点取得」という、かがやかしい経歴をもつ、「スーパー・サラリーマン」ともいうべき人物による、「ビジネスマン」むけの指南書だ。■「まえがき」「あとがき」に、ビジネスマンという属性=経験をもとに、当事者として ご同業あてに、方法を提案するむねが あきらかにされているとおり、あくまで、「おつとめ」ないし「実業家」むけ。主婦とか農場/牧場経営のオジサマなどは、対象外になっている(笑)。
■本書の問題意識は、単純にいうなら、「みやづかえ」している身、そして「やとわれ」の身でないにしろ 「ビジネス」で忙殺され 自由な時間がかきられている層にとって、類書の大半が、ピントはずれの設定で 方法/方法論をかたってきたことへの、批判的のりこえである。
■つまり、組織やクライアントなどに しばられて、やりくりがつく時間帯が限定されている層にとって、大学人や評論家などが、参考にもならないような 自慢をくりかえしてきたと、ホンネではいいたいのだとおもう。■その点、本書のばあい、現役サラリーマンとして、9時5時にとどまらない 週日の拘束の すきまをぬって、ビジネス英語の達人にはなるは、重役連中への レクチャーをするべく アメリカの政治動向のレポートをまとめるべく、その英語力を駆使して情報分析をくりかえすはと、「サラリーマンの カガミ」のような人物の、経験則が 展開されている。迫力と説得力があるわけだ(笑)
■本書の問題意識は、単純にいうなら、「みやづかえ」している身、そして「やとわれ」の身でないにしろ 「ビジネス」で忙殺され 自由な時間がかきられている層にとって、類書の大半が、ピントはずれの設定で 方法/方法論をかたってきたことへの、批判的のりこえである。
■つまり、組織やクライアントなどに しばられて、やりくりがつく時間帯が限定されている層にとって、大学人や評論家などが、参考にもならないような 自慢をくりかえしてきたと、ホンネではいいたいのだとおもう。■その点、本書のばあい、現役サラリーマンとして、9時5時にとどまらない 週日の拘束の すきまをぬって、ビジネス英語の達人にはなるは、重役連中への レクチャーをするべく アメリカの政治動向のレポートをまとめるべく、その英語力を駆使して情報分析をくりかえすはと、「サラリーマンの カガミ」のような人物の、経験則が 展開されている。迫力と説得力があるわけだ(笑)
4 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
★★★☆☆ 新味に欠ける。ちょっと退屈。, 2005/11/15
レビュアー: 冬の暖かな鎌倉の海岸で - レビューをすべて見る
全般的に地味ですね。
しょっぱなに時間の作り方が出てくるのはいいのだけれど、早起きしようとか通勤時間やちょっとした空き時間を有効活用しようとかありきたりなことしか書いてないんだよね。
他の章もおしなべて新味に乏しい。
英語は文法や読解力が重要、というのも一面の真理だとは思うが、そこだけ強調されるとちょっと違うんじゃないかと疑問がわいてくる。
ただ、現役ビジネスマンでありながら著作を出しているバイタリティには敬意を払いたい。
といった、事実上、こバカにした書評もあるが、おそらく 大半のサラリーマン諸氏は、「なるほど」と、ひざをうつか、「でも、早朝を活用せよって、いわれても、おきられないから……」といった反応がおおいはず。■しかし、後者のひとびとだって、年間600時間ひねりだせるはず、という、本書の第1章には、元気づけられる層が 相当でそう。■新聞・テレビ・お酒が、かなりすきという筆者が、それをほどほどにおさえて、毎朝1時間確保しましょう。土日と祭日に3時間ずつ午前9時までに確保しましょう。それだけで、600時間ぐらい うみだせますよ。■おひるどきだって、節約すれば 年間計100時間うくという計算は、なかなか説得力がある。家族との休日を犠牲にすることなくね。■筆者自身は、毎朝2時間確保しているそうだから、1000時間は 1年間に うかしているようす。これなら、ビジネス書系の新書6冊を 40代後半に かきあげてしまうという はなれわざも うなづける。
■この はやおきの すすめ。全然「ありきたり」なんかじゃない。■土日に、まとめてやろうとすると、間隔があきすぎて、やった勉強の大半がわすれられてしまう。つまり勉強の継続・蓄積にならないという、とても重要な点を計算してなんだね。■しかも、土日に 長時間確保するっていう戦術は、先日紹介した『週末作家入門』にもあてはまるが、ひとりぐらしでもないかぎり、なかなか 実行困難なんだよね。いわゆる 家族との かかわりを犠牲にするって、かなりヘンクツ、ないし「わがまま」な態度を なっとくしてもらう必要がある。■ま、普通はできない。というか、家庭内離婚とか、コドモたちから、あいてにされないとか、そういったリスク覚悟になりかねない。■その点、土日に長時間といった、負荷ばかりかかって 能率もあがらないし、家族生活が犠牲になるといった姿勢をきっぱりやめるという方針は、普通のサラリーマン諸氏にとって、実に具体的な提言だとおもう。■「四〇歳からの勉強法」と、あえて40歳代以降に 読者層をしぼっているのも、コドモがちいさくて、タイヘンな時期が一応おわって 配偶者の育児負担が一段落、っていう、人生設計の問題が 背景にあるとおもう。■会社や官庁で、こきつかわれて、まわりを冷静にみるユトリがない 20?30代という 組織上の位置ってのを のりこえて、中間管理職として、自分のペースで 段取り設定が可能な年代にさしかかっているとかも、あるだろうけどね。
■コマギレ時間の活用についても、通勤時間帯を語学につかえとか、月刊誌・経済誌の 一部をやぶったり、コピーしたりしたものを 5?15分ぐらいの スキマ時間で、チョコチョコ よんでしまえという、提言などは、類書もしているだろうが、毎朝まとまった1時間確保というリズムとのセットでかんがえれば、全然「新味に欠ける」なんてことはないだろう。同様のビジネスマンむけの類書を100冊よんだという筆者が、そんな「ありきたり」の ことばかり かくはずがない。■毎朝の1時間についても、2種類以上の異質なものをよんで、気分転換と同時に、柔軟性をかちとろうとか、実に、バランスのとれた 時間活用術が展開されているとおもう。■マックス・ヴェーバー御大にならって、新聞はごく一部の例外をのぞいて、みだしだけをよむにとどめ、週末にまとめよみせよ、なんても、時間の有効活用として、なかなか見識かも。特に、毎日の記事にひきずられることなく、大局観がえられるとか、新聞社の力量が冷静に判断できるとかいった副産物もふくめてね。
■2章3章の、本や新聞・雑誌のよみかたも、なかなか あじわいぶかいし、つかえる。■?ネットや新聞・雑誌でも 情報はひろえるが、信頼度やふかみなど、結局は本をよむのが、一番効率がよいとか、?図書館でかりとよもうとしても、充分な活用ができないから、てもとに自分のモノとして確保すべく、自腹をきれ。しかも、そういった「授業料」をはらうことで、ダメ本をさける感覚がやしなわれるとか、?生活空間に即した、なじみの本屋を何種類か用意しろとか、古書店・大学生協などへの めくばりも、こまやかだ。■?「目次」と「前書き」で、内容を判断しろは、ありきたりにせよ、?接続詞や形容詞の つかいかたで筆者を鑑定しろというのは、なるほどとおもうし、?ジャーナリストをさけ、30歳代?40歳代前半の講師・助教授クラスの力作か60歳代の教授の本をねらえといった、ひねた基準も、おもしろい。■30歳代?40歳代前半の講師・助教授クラスは業績ほしさに、かなり力作がみこめる(ハズレもおおいけど)とか、えらいさんになってしまった有名教授が、政府委員とかにとびまわるあまり、専門がおろそかだとか、60すぎて地位をえたあとも ちゃんと本をかきおろそうという教授は、やる気があるとか、対談本/口述筆記本はカスだとか、多作な筆者は しこみが おろそかで水準がおちるとか、なるほどねぇ、とおもう。■ただし、60歳代の教授さまの著作が 「若い研究者に負けずに勉強していると考えてほぼ間違いない」てのは、どうか? 経済学・経営学関係は、そうなのかもしれないが、長年のライフワークをしあげましたとかいう例は、ごくわずかだとおもうぞ。60代以降で本をだしている教授さまは、ほぼ2種類。筆者のいうとおり、バリバリ現役か、くされ縁の出版社が 義理でだしてくれる マンネリ本=勤務校〔「出前」の非常勤のコマもふくめて〕の受講生と、弟子すじ以外かわんたぐいか、われるんじゃないか?(笑)。■ま、子分もいなければ、論文を10年ぐらいかいていないとか、ゾロゾロいるから、だせるだけマシだけどねぇ。■そんなことより、きあいの はいった読者なら、専門家でなくても なんとか よみとおせる 学術書と一般書の中間領域として 意欲的にかかれたものなのか、てぬきして 読者を ナメて かきおろしてあるとか、あるいは、紀要あたりに かきちらした クズ論文を かきあつめただけの 論集とかなのかの、ちがいだとおもうけどな。「めやす」ってのは。
■入門書として、『早分かり○○』といった たぐいの 「お手軽本」や、大学受験用の参考書/問題集、コドモむけ本が、バカにできたものでなく 意外にやくだつこと、それどころか 中途半端な 学者さんのかいた入門書などよりも、ずっと みとおしが よくなるとか、自分の専門分野の整理にさえなる、といった指摘も おもいきった 提言だとおもう。■たとえば 現代思想を理解するうえで 重要な「構造主義」を 理解するうえで、内田樹『寝ながら学べる構造主義』〔文春新書〕や、橋爪大三郎『はじめての構造主義』〔講談社現代新書〕などは、「全く予備知識のない人間にとっては、著者の考えや説明がすんなりと理解できるわけでは」ない。「まず、『図解雑学 構造主義』(小野功生監修、ナツメ社)から読み始め、そのあとに」2冊へと「読み進めるのが最も効果的だと」〔p.100〕。そのとおりだとおもう。■予備校の講義を再現したとうたう、臨場感あふれる『実況中継シリーズ』〔語学春秋社〕などへの着目もさすが。
■新聞・雑誌類の情報処理も、なかなか 実践的で ためになる。■日刊紙の国際面のベタ記事は、軽視できない。後日、大問題化しそうなネタで満載だ。など、いろいろ。
--------〔以下、酷評モード〕----------
■第4章は、英語上達法だが、文法軽視・読解力軽視を批判している点は、重要。ごく まっとうな 英語学習論だとおもう。■ただ、筆者がアメリカのパワーエリートの政治的・経済的動静をよむという 本業に ひきずられすぎているきらいはある。「ニューヨークタイムズ」や「ワシントンポスト」が、良質で かつその影響力をみても必読媒体というのは、あくまで アメリカに へばりつく必要のある層にだけ、あてはまるだろう。■唯一の超大国アメリカが世界の動向を 決定的なまでに規定しているというのは事実。しかし、EU/ロシア/中国/産油国など、世界は多極的に うごいていく。■インターネットの言語が 8わり英語だから、英語ソースをのがしたら、世界の主要な情報源をみすごすことになるというのは、一見説得力があるが、イラク戦争をみても、アングロケルティックの発信が、親イスラエル勢力をふくめた「国益」にひきずられたものであることは、明白。■アルジャジーラとか、フランス語/ドイツ語媒体はもちろん、ロシア語/北京語/広東語/スペイン語などとしてしか 発信されない情報を とりこぼしている危険性を、どう みるか、第4章からは、よみとれない。■この章は、ひたすら 「英語の達人への道」なのであり、いまどきの 企業人のイメージする「国際派」の限界内なのだ。
■ところで、本書は あくまで 「ビジネスマン」という、オジサマがたむけの指南書=自己啓発=「学問のすすめ」なのだから、「四〇歳からの勉強法」という表題名はともかく、これで充分良書ではないか? ともいえそうだ。■しかし、この本が ひとつだけ 致命的に おとしている部分が ひとつある。それは、本書が、読者層を暗黙のうちに、「?やるべき分野/こなすべき課題が明確であり、?年間数百時間も自己啓発にさけるだけの意志力と、それをささえうる心身の健康をそなえている」という大前提を もとにしているということだ。■しかし、実際には、この両者が そなわっている層は、そうおおくないと推測できる。
■「そんなこと、各人の課題。指南書は、そこまで オンブにダッコなど、ありえない」という意見はもっともだが、それにしても「?しろうとが、独学で 一家言をもつ特定分野の専門家にまでなりえるか?」という課題に、本書はこたえていない。時間と、媒体の処理技術だけであり、具体的媒体の紹介・評価については、アメリカ事情関連だけなのだ。■これは、実は かなりかたよったノウハウ本というほかない。これは、おなじ ちくま新書として 4年ちかくまえにでた、東郷雄二『独学の技術』と比較すると、はっきりする。■東郷先生、大学教員ということもあるかもしれないが、事実上「独学はムリです」といっているようなものなのだ。なんだか「カンバンに イツワリあり」みたいだが、放送大学や通信制講座、聴講生/科目履修生制度や、行政の公開講座などは もちろん、大学院をふくめた社会人入学、勉強なかまや個人レッスン、図書館の司書の活用などを、すすめている。■要は、「孤軍奮闘」は、「ひとよがり」で、効率がわるいばかりでなく、カンちがいが 修正困難ということなんだな。これは、すこしかんがえてみれば、よくわかること。指導者や試験・勉強会などが必要なのは、なにも資格試験だけなんかじゃない。■特に、東郷先生が強調する、大学以上の勉強=学問が、実際上「模範解答」が存在しない質の 学習過程であり、より本質的には、「課題」を みずから 設定していく いとなみだという構造は、おもたい イミをもつ。■「卒業論文」で、マネごとのように くりかえされること。それは、「どこかに蓄積されているはずの既知情報を 体系的・網羅的にしらべあげ、整理したうえで、だれも指摘していないはずの 新規情報=付加価値をつける」ということだよね。■一定の問題関心のもと、整理された既知情報が集積される(=ちいさな専門図書館の 案内図と、収集文献の索引・解題みたいなもの)だけで、リッパな学問的営為だが、これに あたらしい オマケをつける。これが、卒論の本旨だ〔数千に1つぐらいかもしれんが(笑)〕。
■議論を整理しよう。東郷先生「独学の技術」は、実は いろんな 「すけっと」の たすけを総動員すること、という「独学=ひとりよがりからの脱出」だと、のたまう。■そして、それは、いまうえにのべたような、一定の問題関心から、課題を設定し、資料を網羅的にあつめ整理し、分析したうえで批判的に検討することで、せまい分野であっても、前人未到の到達点に達するということ。つまり、アカデミックというより、オリジナリティを追求したら、そこに たどりつくほかない 方向性が しめされてしまうと。■もちろん、三輪さん、「ビジネスマンたるもの、学問をやるんじゃありません。余人をもってかえがたい人材として ひかれば、それで充分」というかもしれない。■しかし「余人をもってかえがたい人材として」 周囲に差をつけるとは、ネット上や文献上にあたれば 即収集可能な 「複製情報」なんかでは たりないはず。■「複製情報」を てびろく バランスよく そろえる程度の人材なら たくさんいるはずで、それこそ、交換可能な リストラ予備軍でしょ? ■ビジネスマンが、不安定な雇用情勢のもと、きられずに しのぐことができる 専門性を みにつけるってことは、結局、アカデミックな方向性とかわらないわけ。■「みずから課題を設定し、一応の結論にたどりつく」という、孤独な作業こそ、実は「独学」は「独善的」で危険なのだとのたまう東郷先生の「技術」論の含意をふまえたとき、本書は 無力なのである。■「そこまで やるべきことが すっきりみえていれば、時間のヤリクリや、情報収集の 媒体など、当人が 早晩みつけてしまうだろう副次的な課題」だってね。
■たとえば、ビジネスマンにとって、国際社会や日本国内の動静の本質をつかむうえで、現代思想とか構造主義などが、どうして 必要なのか? おそらく サラリーマン諸氏の大半は、ピンとこないだろう。■そういった意味でも、本書は、?問題の所在がわかっていない層には、やたらと高揚感と誤解だけあたえて、失速・忘却という、ありきたりの悪循環に おとしいれる危険性がたかく、?よくわかっている層には、「そうかい そうかい、ホント そうだよね」という 既視感をもよおさせる、中途半端な指南書のような 気がする。
■それと、当然、三輪さんの議論は オジサマだけはなく、ビジネスに かけるオバサマがた、いや F1層〔20-34歳〕にも、あてはまるだろう。「キャリア・アップ」ってね。■しかし、どうも こういった お勉強時間の捻出〔ネンシュツ〕は、家族との 日常生活と きりはなされた時空のような 気がする。■いや、主婦だって、家族の世話から 解放されたいって ねがうわけだし、大半の主婦は みじかい時間ではあれ、それをみいだす。でも、コドモ/としより/障碍者、つまりは支援を必要とする なまみの人間と 半日以上つきあうよう ような、そういった層には、この本は、ほとんど 役だたないかもしれない。三輪さんは、ビジネスマンは拘束時間がながく、それ以外の層は、時間の ヤリクリがラクって おかんがえのようだけど、「年間数百時間も自己啓発にさけるだけの意志力と、それをささえうる心身の健康をそなえている」層って、ビジネスマンだけじゃなくて、ほかでも 多数派じゃないとおもうよ。
■そして、最後に、東郷先生の本もふくめて、ツッコミをいれておこう。■おふたりとも、激動する現代社会をいきぬくためには、一生勉強の連続だと、おっしゃる。しかし、ホントそうなんですか? ■後日、別稿で 論じるつもりだが、「たゆまぬ勉強が不可欠な(そうでないと、おいていかれる)現代社会」とは、異様な空間ではないのか? ■小柳晴生(おやなぎ・はるお)さんの『大人が立ちどまらなければ』(NHK出版)などでは、「情報について静脈が必要になる」=「精神的なバランスを崩すほどに吸収した情報や知識を整理したり消化したり、不必要な情報を捨てる」機能/装置が必要だ(それだけ、過剰に情報生産がなされており、ヒトの処理能力をこえている)、といった議論がでているぐらいなのに、おふたりは、まなぶことばっかり、強調する。「学習社会」とか「生涯学習」とか「市場価値」とか、これって みんな集団神経症=ヒステリーなんじゃない?
★★★☆☆ 新味に欠ける。ちょっと退屈。, 2005/11/15
レビュアー: 冬の暖かな鎌倉の海岸で - レビューをすべて見る
全般的に地味ですね。
しょっぱなに時間の作り方が出てくるのはいいのだけれど、早起きしようとか通勤時間やちょっとした空き時間を有効活用しようとかありきたりなことしか書いてないんだよね。
他の章もおしなべて新味に乏しい。
英語は文法や読解力が重要、というのも一面の真理だとは思うが、そこだけ強調されるとちょっと違うんじゃないかと疑問がわいてくる。
ただ、現役ビジネスマンでありながら著作を出しているバイタリティには敬意を払いたい。
といった、事実上、こバカにした書評もあるが、おそらく 大半のサラリーマン諸氏は、「なるほど」と、ひざをうつか、「でも、早朝を活用せよって、いわれても、おきられないから……」といった反応がおおいはず。■しかし、後者のひとびとだって、年間600時間ひねりだせるはず、という、本書の第1章には、元気づけられる層が 相当でそう。■新聞・テレビ・お酒が、かなりすきという筆者が、それをほどほどにおさえて、毎朝1時間確保しましょう。土日と祭日に3時間ずつ午前9時までに確保しましょう。それだけで、600時間ぐらい うみだせますよ。■おひるどきだって、節約すれば 年間計100時間うくという計算は、なかなか説得力がある。家族との休日を犠牲にすることなくね。■筆者自身は、毎朝2時間確保しているそうだから、1000時間は 1年間に うかしているようす。これなら、ビジネス書系の新書6冊を 40代後半に かきあげてしまうという はなれわざも うなづける。
■この はやおきの すすめ。全然「ありきたり」なんかじゃない。■土日に、まとめてやろうとすると、間隔があきすぎて、やった勉強の大半がわすれられてしまう。つまり勉強の継続・蓄積にならないという、とても重要な点を計算してなんだね。■しかも、土日に 長時間確保するっていう戦術は、先日紹介した『週末作家入門』にもあてはまるが、ひとりぐらしでもないかぎり、なかなか 実行困難なんだよね。いわゆる 家族との かかわりを犠牲にするって、かなりヘンクツ、ないし「わがまま」な態度を なっとくしてもらう必要がある。■ま、普通はできない。というか、家庭内離婚とか、コドモたちから、あいてにされないとか、そういったリスク覚悟になりかねない。■その点、土日に長時間といった、負荷ばかりかかって 能率もあがらないし、家族生活が犠牲になるといった姿勢をきっぱりやめるという方針は、普通のサラリーマン諸氏にとって、実に具体的な提言だとおもう。■「四〇歳からの勉強法」と、あえて40歳代以降に 読者層をしぼっているのも、コドモがちいさくて、タイヘンな時期が一応おわって 配偶者の育児負担が一段落、っていう、人生設計の問題が 背景にあるとおもう。■会社や官庁で、こきつかわれて、まわりを冷静にみるユトリがない 20?30代という 組織上の位置ってのを のりこえて、中間管理職として、自分のペースで 段取り設定が可能な年代にさしかかっているとかも、あるだろうけどね。
■コマギレ時間の活用についても、通勤時間帯を語学につかえとか、月刊誌・経済誌の 一部をやぶったり、コピーしたりしたものを 5?15分ぐらいの スキマ時間で、チョコチョコ よんでしまえという、提言などは、類書もしているだろうが、毎朝まとまった1時間確保というリズムとのセットでかんがえれば、全然「新味に欠ける」なんてことはないだろう。同様のビジネスマンむけの類書を100冊よんだという筆者が、そんな「ありきたり」の ことばかり かくはずがない。■毎朝の1時間についても、2種類以上の異質なものをよんで、気分転換と同時に、柔軟性をかちとろうとか、実に、バランスのとれた 時間活用術が展開されているとおもう。■マックス・ヴェーバー御大にならって、新聞はごく一部の例外をのぞいて、みだしだけをよむにとどめ、週末にまとめよみせよ、なんても、時間の有効活用として、なかなか見識かも。特に、毎日の記事にひきずられることなく、大局観がえられるとか、新聞社の力量が冷静に判断できるとかいった副産物もふくめてね。
■2章3章の、本や新聞・雑誌のよみかたも、なかなか あじわいぶかいし、つかえる。■?ネットや新聞・雑誌でも 情報はひろえるが、信頼度やふかみなど、結局は本をよむのが、一番効率がよいとか、?図書館でかりとよもうとしても、充分な活用ができないから、てもとに自分のモノとして確保すべく、自腹をきれ。しかも、そういった「授業料」をはらうことで、ダメ本をさける感覚がやしなわれるとか、?生活空間に即した、なじみの本屋を何種類か用意しろとか、古書店・大学生協などへの めくばりも、こまやかだ。■?「目次」と「前書き」で、内容を判断しろは、ありきたりにせよ、?接続詞や形容詞の つかいかたで筆者を鑑定しろというのは、なるほどとおもうし、?ジャーナリストをさけ、30歳代?40歳代前半の講師・助教授クラスの力作か60歳代の教授の本をねらえといった、ひねた基準も、おもしろい。■30歳代?40歳代前半の講師・助教授クラスは業績ほしさに、かなり力作がみこめる(ハズレもおおいけど)とか、えらいさんになってしまった有名教授が、政府委員とかにとびまわるあまり、専門がおろそかだとか、60すぎて地位をえたあとも ちゃんと本をかきおろそうという教授は、やる気があるとか、対談本/口述筆記本はカスだとか、多作な筆者は しこみが おろそかで水準がおちるとか、なるほどねぇ、とおもう。■ただし、60歳代の教授さまの著作が 「若い研究者に負けずに勉強していると考えてほぼ間違いない」てのは、どうか? 経済学・経営学関係は、そうなのかもしれないが、長年のライフワークをしあげましたとかいう例は、ごくわずかだとおもうぞ。60代以降で本をだしている教授さまは、ほぼ2種類。筆者のいうとおり、バリバリ現役か、くされ縁の出版社が 義理でだしてくれる マンネリ本=勤務校〔「出前」の非常勤のコマもふくめて〕の受講生と、弟子すじ以外かわんたぐいか、われるんじゃないか?(笑)。■ま、子分もいなければ、論文を10年ぐらいかいていないとか、ゾロゾロいるから、だせるだけマシだけどねぇ。■そんなことより、きあいの はいった読者なら、専門家でなくても なんとか よみとおせる 学術書と一般書の中間領域として 意欲的にかかれたものなのか、てぬきして 読者を ナメて かきおろしてあるとか、あるいは、紀要あたりに かきちらした クズ論文を かきあつめただけの 論集とかなのかの、ちがいだとおもうけどな。「めやす」ってのは。
■入門書として、『早分かり○○』といった たぐいの 「お手軽本」や、大学受験用の参考書/問題集、コドモむけ本が、バカにできたものでなく 意外にやくだつこと、それどころか 中途半端な 学者さんのかいた入門書などよりも、ずっと みとおしが よくなるとか、自分の専門分野の整理にさえなる、といった指摘も おもいきった 提言だとおもう。■たとえば 現代思想を理解するうえで 重要な「構造主義」を 理解するうえで、内田樹『寝ながら学べる構造主義』〔文春新書〕や、橋爪大三郎『はじめての構造主義』〔講談社現代新書〕などは、「全く予備知識のない人間にとっては、著者の考えや説明がすんなりと理解できるわけでは」ない。「まず、『図解雑学 構造主義』(小野功生監修、ナツメ社)から読み始め、そのあとに」2冊へと「読み進めるのが最も効果的だと」〔p.100〕。そのとおりだとおもう。■予備校の講義を再現したとうたう、臨場感あふれる『実況中継シリーズ』〔語学春秋社〕などへの着目もさすが。
■新聞・雑誌類の情報処理も、なかなか 実践的で ためになる。■日刊紙の国際面のベタ記事は、軽視できない。後日、大問題化しそうなネタで満載だ。など、いろいろ。
--------〔以下、酷評モード〕----------
■第4章は、英語上達法だが、文法軽視・読解力軽視を批判している点は、重要。ごく まっとうな 英語学習論だとおもう。■ただ、筆者がアメリカのパワーエリートの政治的・経済的動静をよむという 本業に ひきずられすぎているきらいはある。「ニューヨークタイムズ」や「ワシントンポスト」が、良質で かつその影響力をみても必読媒体というのは、あくまで アメリカに へばりつく必要のある層にだけ、あてはまるだろう。■唯一の超大国アメリカが世界の動向を 決定的なまでに規定しているというのは事実。しかし、EU/ロシア/中国/産油国など、世界は多極的に うごいていく。■インターネットの言語が 8わり英語だから、英語ソースをのがしたら、世界の主要な情報源をみすごすことになるというのは、一見説得力があるが、イラク戦争をみても、アングロケルティックの発信が、親イスラエル勢力をふくめた「国益」にひきずられたものであることは、明白。■アルジャジーラとか、フランス語/ドイツ語媒体はもちろん、ロシア語/北京語/広東語/スペイン語などとしてしか 発信されない情報を とりこぼしている危険性を、どう みるか、第4章からは、よみとれない。■この章は、ひたすら 「英語の達人への道」なのであり、いまどきの 企業人のイメージする「国際派」の限界内なのだ。
■ところで、本書は あくまで 「ビジネスマン」という、オジサマがたむけの指南書=自己啓発=「学問のすすめ」なのだから、「四〇歳からの勉強法」という表題名はともかく、これで充分良書ではないか? ともいえそうだ。■しかし、この本が ひとつだけ 致命的に おとしている部分が ひとつある。それは、本書が、読者層を暗黙のうちに、「?やるべき分野/こなすべき課題が明確であり、?年間数百時間も自己啓発にさけるだけの意志力と、それをささえうる心身の健康をそなえている」という大前提を もとにしているということだ。■しかし、実際には、この両者が そなわっている層は、そうおおくないと推測できる。
■「そんなこと、各人の課題。指南書は、そこまで オンブにダッコなど、ありえない」という意見はもっともだが、それにしても「?しろうとが、独学で 一家言をもつ特定分野の専門家にまでなりえるか?」という課題に、本書はこたえていない。時間と、媒体の処理技術だけであり、具体的媒体の紹介・評価については、アメリカ事情関連だけなのだ。■これは、実は かなりかたよったノウハウ本というほかない。これは、おなじ ちくま新書として 4年ちかくまえにでた、東郷雄二『独学の技術』と比較すると、はっきりする。■東郷先生、大学教員ということもあるかもしれないが、事実上「独学はムリです」といっているようなものなのだ。なんだか「カンバンに イツワリあり」みたいだが、放送大学や通信制講座、聴講生/科目履修生制度や、行政の公開講座などは もちろん、大学院をふくめた社会人入学、勉強なかまや個人レッスン、図書館の司書の活用などを、すすめている。■要は、「孤軍奮闘」は、「ひとよがり」で、効率がわるいばかりでなく、カンちがいが 修正困難ということなんだな。これは、すこしかんがえてみれば、よくわかること。指導者や試験・勉強会などが必要なのは、なにも資格試験だけなんかじゃない。■特に、東郷先生が強調する、大学以上の勉強=学問が、実際上「模範解答」が存在しない質の 学習過程であり、より本質的には、「課題」を みずから 設定していく いとなみだという構造は、おもたい イミをもつ。■「卒業論文」で、マネごとのように くりかえされること。それは、「どこかに蓄積されているはずの既知情報を 体系的・網羅的にしらべあげ、整理したうえで、だれも指摘していないはずの 新規情報=付加価値をつける」ということだよね。■一定の問題関心のもと、整理された既知情報が集積される(=ちいさな専門図書館の 案内図と、収集文献の索引・解題みたいなもの)だけで、リッパな学問的営為だが、これに あたらしい オマケをつける。これが、卒論の本旨だ〔数千に1つぐらいかもしれんが(笑)〕。
■議論を整理しよう。東郷先生「独学の技術」は、実は いろんな 「すけっと」の たすけを総動員すること、という「独学=ひとりよがりからの脱出」だと、のたまう。■そして、それは、いまうえにのべたような、一定の問題関心から、課題を設定し、資料を網羅的にあつめ整理し、分析したうえで批判的に検討することで、せまい分野であっても、前人未到の到達点に達するということ。つまり、アカデミックというより、オリジナリティを追求したら、そこに たどりつくほかない 方向性が しめされてしまうと。■もちろん、三輪さん、「ビジネスマンたるもの、学問をやるんじゃありません。余人をもってかえがたい人材として ひかれば、それで充分」というかもしれない。■しかし「余人をもってかえがたい人材として」 周囲に差をつけるとは、ネット上や文献上にあたれば 即収集可能な 「複製情報」なんかでは たりないはず。■「複製情報」を てびろく バランスよく そろえる程度の人材なら たくさんいるはずで、それこそ、交換可能な リストラ予備軍でしょ? ■ビジネスマンが、不安定な雇用情勢のもと、きられずに しのぐことができる 専門性を みにつけるってことは、結局、アカデミックな方向性とかわらないわけ。■「みずから課題を設定し、一応の結論にたどりつく」という、孤独な作業こそ、実は「独学」は「独善的」で危険なのだとのたまう東郷先生の「技術」論の含意をふまえたとき、本書は 無力なのである。■「そこまで やるべきことが すっきりみえていれば、時間のヤリクリや、情報収集の 媒体など、当人が 早晩みつけてしまうだろう副次的な課題」だってね。
■たとえば、ビジネスマンにとって、国際社会や日本国内の動静の本質をつかむうえで、現代思想とか構造主義などが、どうして 必要なのか? おそらく サラリーマン諸氏の大半は、ピンとこないだろう。■そういった意味でも、本書は、?問題の所在がわかっていない層には、やたらと高揚感と誤解だけあたえて、失速・忘却という、ありきたりの悪循環に おとしいれる危険性がたかく、?よくわかっている層には、「そうかい そうかい、ホント そうだよね」という 既視感をもよおさせる、中途半端な指南書のような 気がする。
■それと、当然、三輪さんの議論は オジサマだけはなく、ビジネスに かけるオバサマがた、いや F1層〔20-34歳〕にも、あてはまるだろう。「キャリア・アップ」ってね。■しかし、どうも こういった お勉強時間の捻出〔ネンシュツ〕は、家族との 日常生活と きりはなされた時空のような 気がする。■いや、主婦だって、家族の世話から 解放されたいって ねがうわけだし、大半の主婦は みじかい時間ではあれ、それをみいだす。でも、コドモ/としより/障碍者、つまりは支援を必要とする なまみの人間と 半日以上つきあうよう ような、そういった層には、この本は、ほとんど 役だたないかもしれない。三輪さんは、ビジネスマンは拘束時間がながく、それ以外の層は、時間の ヤリクリがラクって おかんがえのようだけど、「年間数百時間も自己啓発にさけるだけの意志力と、それをささえうる心身の健康をそなえている」層って、ビジネスマンだけじゃなくて、ほかでも 多数派じゃないとおもうよ。
■そして、最後に、東郷先生の本もふくめて、ツッコミをいれておこう。■おふたりとも、激動する現代社会をいきぬくためには、一生勉強の連続だと、おっしゃる。しかし、ホントそうなんですか? ■後日、別稿で 論じるつもりだが、「たゆまぬ勉強が不可欠な(そうでないと、おいていかれる)現代社会」とは、異様な空間ではないのか? ■小柳晴生(おやなぎ・はるお)さんの『大人が立ちどまらなければ』(NHK出版)などでは、「情報について静脈が必要になる」=「精神的なバランスを崩すほどに吸収した情報や知識を整理したり消化したり、不必要な情報を捨てる」機能/装置が必要だ(それだけ、過剰に情報生産がなされており、ヒトの処理能力をこえている)、といった議論がでているぐらいなのに、おふたりは、まなぶことばっかり、強調する。「学習社会」とか「生涯学習」とか「市場価値」とか、これって みんな集団神経症=ヒステリーなんじゃない?