■三浦氏の『下流社会』については、みるべき点と、トンデモな点双方を指摘してきたし、それは、「働きすぎの時代 」「フリーターにとって「自由」とは何か」「プロレタリア宣言(その1)」「(その2)」で補足したので、もう充分とおもっていた。■しかし、三浦氏自身が「下流化しているのは自分だけじゃないんだと安心する読者が少なくない」などと〔『朝日新聞』「be on Saturday」2005/12/24〕、しゃあしゃあとコメントしているのをよまされると、そうともいえなくなってきた。■50万部突破で、各方面でも依然話題そうだし、第一「新語・流行語大賞」の候補語にもならなかった 表現が、「社会を写すラベリング」という特集記事のなかで、「05年末の今、最も勢いのあるラベリングは……」と特記されるというのは、尋常ではない。
■実際、この日記への毎日のアクセスURLの記録をみても、「Google」など、検索エンジンで「下流社会」「下流社会 三浦」といった検索結果から、たどってきたひとが、かならず数名は、いる。毎日である。これも、よくかんがえると、尋常ではない。■ひさしぶりに、Amazonの読者評を確認したら、いつのまにか150件をこえている。しかも、12月にはいっても、おとろえをしらない(笑)。これも、ちょっと異様だ。
■それはともかく、Amazonの読者評が 世間の標準的な反応ではなく、ある種かたよったものであることは いうまでもないが、絶賛しているものは ごくわずかだし、「下流のひとが いるってわかって、安心した」なんて、若者の感想は、みあたらない。■三浦氏のマーケットリサーチは、どうなっているのだろう。まあ、三浦さん「社会的な関心の高い年配の読者」を想定していたそうだから、市場の把握力は激減しているとおもうけど
(笑)
■ともかく 読者評くに、?意識調査の あやしさ、?アタマごしに分類された不快感、?異常なうれゆきに対する嫉妬心らしい非難、などが めだつことは事実。■?は、心情的にはわかるが、「自分はふしあわせとおもっていない。経済力だけで分類するな。」といった感情的反発は、誤読の域にある。■また、?「階層帰属意識」自体は、方法論的に意味のある項目であることは、すでにのべた。先日『不平等が健康を損なう』という社会疫学の概説書の紹介でも指摘したとおり、階層帰属意識は 重要な要素である。不平等感がつよい社会は、平均余命の格差がおおきく、平均値ものびなやむという統計データをみても、単なる個人的主観なんかじゃない。■?にいたっては論外で、それこそ 読者の問題関心の質/量で、書物の資料的価値は千差万別になる。800円もしない新書にやつあたりするのは、おとなげない
(笑)
■そんななか、非常に冷静な総括したと、好感をもてるのは、以下の文章。


53 人中、46人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

★★★☆☆ この本が売れていることの意味は・・・, 2005/11/23
レビュアー: 未来少年 - レビューをすべて見る
 山田学芸大教授の「希望格差社会」を読んだときのような発見はない。 各種の統計から読み取る結論もかなり強引でしょう。 だが、なぜこの本が売れているのか、かなりの拒否反応を呼ぶのか。
 それは「小泉改革」や「成果主義」といったものが、 これまでの社会の「お約束」を壊しつつあるものであり、 多くの人が格差社会の到来、全国民強制参加型の大競争時代に巻き込まれてしまうという不安を感じているからではないか。
 この本に書かれている内容が示唆に富むのではなく、 この本が売れているという事実、 この本への反応自体が現実社会への示唆に富んでいるのではないか。


■しかし、こういった冷静な位置づけは、なかなかむずかしいのだろう。■つぎのような反応も、わからないではない。

13 人中、10人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
★☆☆☆☆ 最悪の書物, 2005/11/23
レビュアー: plumvalley (千葉県) - レビューをすべて見る
 著者の作品には、伝説な『大いなる迷走:団塊世代さまよいの歴史と現在』から目を通してきたが、この本は最悪の出来。
 消費社会論とはいえ、、例数の少ないアンケートでものを言っているところから危うさを感じていたが、この本はなまじ社会科学的装いをしているだけにだまされる人続出である。
 社会科学としてこの問題に興味のある向きは、この本が依拠している白波瀬佐和子『少子高齢社会のみえない格差』の方を読むべきである。
 科学的装いというものがどんなものかわかるという点では教訓的な書物だが、言葉をはやらすことには長けている著者のこと、「勝ち組」「負け組」という吐き気を催おす言葉のように、「下流社会」の人間だから・・・なんて使い方をされないことを切に願うばかりである。


■三浦氏が、最初の読者設定を「年配」層にさだめたくせに、わかものに対して「社会から使い捨てにされるという危機感を持ってほしかったのですが」などとは、「よくいうよ」とおもうが、ばかオヤジたちが、本書をより一層俗流化して、わかものバッシングを展開する危険性は、かなり おおきい。■したがって、本書の消費のされかた、っていう知識社会学的なモデルづくりと、対策を一応かんがえておく必要はありそうだ。■そんななか、社会学者による、かなり詳細な書評を発見。階級論の橋本健二さんが、ごくみじかく「うまいタイトルですね。書店でも、平積みになっている新書のなかでひときわ目立つ減り方で、ずいぶん売れているようです。しかし内容は、調査データの分析結果の解説が延々続く報告書スタイルで、かなり急いで書かれた本のようです。この著者としては珍しい部類の駄作でしょう。終わりの方には、私の勤める大学の話が出てきて、ちょっと笑えます。(2005.9.22)」と、そっけない以上、貴重。社会学者は、みなさん慎重な姿勢みたいなので(笑)。

「下流社会」 三浦展
 「家族と幸福の戦後史」「ファスト風土化する社会」など、鋭い視点で大変興味深い本を書き続けている彼だが、ベストセラーにもなった今回の本は、読んでいてかなりイタかった。
 ごく少数の限定されたデータから大胆な結論を導いているところは、これまでの本も一緒なので、データの扱いのいい加減なところを問題にしたいわけではない。それならそれで、ここに書かれたことは単なる一つの仮説と位置づけ、その検証はきちんとお金をかけて調査しなおせばいいことだと思う。 
 不愉快になった理由は、個人的に内容がイタいだけでなく、社会に対する不安や落胆を感じさせる内容になっているからだろう。読んでいて元気の出るような本ではない。
 ただし、そうしたイタい部分もよくよく考えると数字のトリックであったこともわかり、安心できた。
 この本において(一見)興味深かったポイントをいくつか挙げると

1 団塊ジュニアやさらにその下の階層意識が、年を取るにつれて下がっていくということ。

 「階層意識が、年を取るにつれて下方修正されていく」というのは日本ではかつてなかった事態だ、というのが筆者の主張だが、それは確かに注目に値することだと思う。またこのデータは内閣府の調査によるものだから、信用に値する。
 僕自身は年齢的にはこの直前の世代だが、大学院に進学して社会に出るのが遅くなった分だけ、同じような実感がある。 
 なお、この変化に関して筆者は「少年期に豊かな消費生活を享受してしまった世代であるため」と解釈しているが、この解釈はおそらく間違っている。社会全体としての消費の豊かさは、こども一人一人の階層意識を全体として上げることにはつながらないはずだ。こどもは年齢的に輪切りになった同年齢集団で生活しており、その同年齢集団の中で自分を位置づけているはずだからだ。自分自身を振り返ってみても、自分が「高い階層にある」と感じた原因は、消費生活などよりも私立の進学校に通い、京大に入学したことにあった。 
 ここから考えると、彼らが若い頃に持った高い階層意識の本当の原因は、大学進学率の上昇にあり、それが下がったのはバブル崩壊による就職難によるものだろうと考えられる。大学生は、自分が大学生であるというだけで、自分の階層を高めに誤認する傾向があることは著者が行った調査からも確認される。大学院の進学率も上がっているが、それも同じ効果をもたらしたはずだ。
 「消費中毒ですっかり勤労意欲をなくした者はフリーターとなり(p.102)」というのも、おそらく事実誤認であろう。フリーターは勤労意欲をなくしたわけではなく、個性を強調する教育の効果や大学進学率の上昇などにより、「自分にふさわしい」と考える仕事のレベルが上昇したにも関わらず、全体的には不景気でかつてのようによい条件の仕事につけない、というギャップに直面し、フリーターを選択せざるを得なかったというのがよりありそうなことである。
 しかし原因がなんであれ、こうした文字通りのアノミー状況(注1)は社会不安を拡げることになるだろう。そうしたときに文科省のやるべきことは、大学の入学定員総数を削減し、進学率をまず下げることなのに、利権に蝕まれ何のリーダーシップもはっきできずにいるのは大変悲しいことだ。

2 団塊の世代と団塊ジュニアの世代では、「自分らしさの重視」と社会階層の関係が逆転する。団塊の世代では、上層のものほど自分らしさを重視するが、団塊ジュニアの世代では下層のものほど重視する。

 これは一体どういうことなんだろう。
 後者の団塊ジュニアに関する著者の解釈はこうだ。
 個性、自分らしさを追求するものは、仕事においても、自分らしさをつらぬこうとするので低収入となり、低階層となる。また「自分らしさ」を強調するのは、学力など、社会の平均的なモノサシにおいて脱落した者に多い、という説明もしている。ある種の「すっぱいブドウ」の論理であり、単なる言い訳、とも考えられる。
 このことをさらによく考えてみれば、著者の考える因果の方向性とは逆に、「自分らしさ」を強調するから下層になったのではなく、下層になったから、自尊心を保つ言い訳として「自分らしさ」を強調しているにすぎないことになる。 
 そのように考えれば、「自分らしさ」を強調する見方(というよりもアンケートでの回答傾向)は、家庭の中で得たようなものではないということになり、上層の家庭で育ったものが「自分らしさ」をあえて強調しない理由もわかる。
 著者は述べていないが、調査の中でも「自分らしさ」の中身として、上層の女性ほど「個性的」で「自分の考えをしっかりもち」「大胆」で「自己主張があり」とポジティヴなものが並び、下層のものほど「のんびりした」「地味な」「目立たない」というものが多くなる、という結果が出ている。これは、結局のところ「自分らしい」ということが、ポジティヴでないことの言い訳になっているとさえ考えられる。


3 趣味に関して、男性は下ほどコンピューターを趣味とする割合が多く、女性は下層のものほど、楽器を演奏し、絵を描き、踊るものが多い。

 僕自身趣味に打ち込んでいる者として、またそうした趣味に打ち込んでいる女性に親近感を覚えている者として、そうした「趣味の良い」人たちが、自分を下層と見ているというのはかなりショックだったが、よくよくデータを眺めるとそれほど気にするほどでもないようだ。
 というのも、女性では下層のものほど「楽器を演奏し、絵を描き、踊るもの」の割合が高いというが、よく見るとその人数はどれも2、3人であり完全に誤差の範囲内である。
 またアマゾンのレビューでもある人が指摘していたが、この調査はWEBでたまたまそのHPを見た人が答える、というような「街頭調査」よりさらに安易な方法で行って調査をしているため、回答者のほとんど全てがコンピューターを趣味としている、という異常な結果が出ている。女性でさえ、コンピューターが趣味だ、というのが全体の7割程度なのだ。
 このような偏った人たちだけを取り出して、さらにその中で、趣味の階層差を見ること自体がナンセンスともいえる。

4 派遣・契約社員は子供が持ちにくい。

 個人的に、うちの妻がこうした形態で長いこと働いていたので気になったところだ。しかしこれもよく考えてみると、派遣社員で子供を持っているものが少ないのは、単に派遣の女性は子供ができれば主婦に移行しやすいからだと気付いた。常勤の女性の一部は出産・育児休暇などで仕事を続けようとするだろうが、派遣では辞めざるを得ないだろう。それだけのことを意味している。

 というわけで、まともな結果は1だけなので、読むに値する本とはちょっと言いづらいかもしれない。
 
注1 デュルケームの用語。自分の社会的位置づけがはっきりしなくなることにより、欲求が適切にコントロールされなくなること。

■貴重な指摘がたくさんある。しかし、自分の趣味や周囲の人脈にかかわる記述には感情的に反応しているね。正直といえば、それまでだが、みずからの「不愉快」を解消し「安心」するためによみすすめる、っていうのはプロとして、どうなんだろう。■「うらんかな」の計算ぬきなら、かならずしも「読んでいて元気の出るような本」である必要はない。『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』や『フリーターにとって「自由」とは何か』が、読者のおおくを不安におとしいれるように。■社会学者自身が「不愉快になった理由」をふりかえるような きっかけをつくった本書は、それだけで意義があるとはいえるけど。