■いわずとしれた、北原保雄 編著『問題な日本語』〔大修館書店〕の続編。■よくある、「二番煎じ」「でがらし」感はない。■第一作で おもしろかった読者は、かって損しないし、不満を感じた層には 同様の感情がわきあがるだろう。ただ、ハラナには なかなか タメになる記述がおおかったし、以前も紹介したとおり、いのうえさきこの シュールな ギャグ・さしえだけでも、かいだとおもう(笑)。AMAZONの カスタマー・レビューの 筆者「ががんぼん」のいうとおり、さしえと 4こまマンガは、れっきとした「用例」群であり、みようによっては、これは筆者たちをわらいのめす、非知識人による 知識人への、キツーい ツッコミ集である。■国語学者や日本語教育関係者は、その 水準のたかさに、ついていけるか(笑)
■それはさておき、前作について以前もふれたことだが、読者の「大半は、「冷静で客観的な基準にそった正誤判定」を もとめているんだな。そして、それらが、音声言語の動態(「うつろいゆく束の間のもの」)ではなくて、たやすく モジ化可能な水準だけに とどまっている」と。■70万部突破という、その読者層のうち、言語学の素養をみにつけたひとが、10万人以上しめるとはおもえない(笑)。してみると、かなり誠実に言語学的な分析に禁欲し、安易に「誤用」ときりすてない本書の記述方針も、読者は、そううけとめていない。■編者はもちろん、執筆陣も自覚があるとはおもうが、感情的な規範主義で きめつけないという姿勢をどんなにつらぬこうと、読者層の大半は「ただしいのは、どれ?」という意識で、かいもとめるのであって、「意外に複雑な現象の冷静な解析過程」にまなぶ、という姿勢は、ごくわずかの読者にしか、うけつがれないだろう。
■しかし、こういった、一種の「誤読」
〔いや、読書というのは、生産的かどうかは別にして、かならず「誤読」という、よみての解釈過程がつきまとう宿命があるし、だからこそ、meme論として、その消費/継承過程が、冷静にうけとめられれるできなんだが〕が、横行するというか、それが読者の大半であるという逆説をともなうことでベストセラーいりする〔いや、この「ベストセラー」というヤツも、膨大なカンちがい読者の累積の産物だが(笑)〕という現象の、原因の一端は、執筆者自身に帰せられるものだとおもう。■いいかたをかえるなら、筆者たちは、「正誤判定の権威者であってほしい」という、大衆的欲望を意識して登場したし、自分たちも「当座の、あるいは歴史的な正誤判定は、可能だ」という認識から解放されていないのだ。■その意味では、「言語現象の記述・分析者として禁欲せよ」という倫理をふみはずしている。「ブルートゥス。おまえもか!」という感じ。

■ともかく、実例をあげてみよう。■まず、「正誤判定」ではない例から。
■実は、表題の「問題日本語」自体が、「どこがどう問題な」のか?という、課題としてとりあげられている(編者ご自身の執筆)。■分析は 65点というところか?

A「の」だけが付く
   都会の人  ニュースの時間 デパートの売り場
B「な」だけが付く
   曖昧な態度  単純な作業  派手な洋服
   静かな午後  綺麗な海
C「の」も「な」も付く
   ありがち の/な 話  底抜け の/な 明るさ
   格別 の/な 事情  小柄 な/の 人

■分析によれば、Aの「都会」「ニュース」「デパート」は名詞で実体そのもの。Bの「曖昧」「単純」「派手」「静か」「綺麗」などは形容動詞の語幹で、「態度」「作業」「洋服」など実体がそなえている属性(性質や情態)をあらわしていると。■Cのばあいも機能的に、ABに対応していて、「浮気の相手/浮気な相手」や「やくざの商売」「やくざな商売」のように、対が まったく ちがってしまう用例もある。■「問題の?」は、?「問題として出されている」「問題となっている」などを意味する「実体」系と、?「問題のある。おかしい。変な」を意味する「属性」系が ある。■「問題の日本語」は 属性的な?の意味にあたる。これで充分だし、「問題な?」という用法は普通つかわれないので、違和感がでると。■しかし、「問題な?」は、?の「実体」系の意味をもたず、?の「問題のある」系の意味に限定されて便利だと。
■で、「問題」がすっきりしたのかといえば、そうでもない。結局、CとA、つまり 両方つかえる名詞と、「の」しか つかえない名詞との 区別が、みえてこないから。■「問題な?」が、Cに分類されるのかといえば、そうではなかろう。ききて/よみてが A系の語群だと認識しているから違和感をおぼえるという、現状での現象が確認されただけで、結局宙ぶらりんだ。■「現金だ」「罪な」など、実体をあらわす名詞が、「な」をともなって?属性系に機能するようになる例が以前からある、といった補足では、「問題な?」の違和感がまったく説明できない。「問題」は まさに、「現金な」「罪な」などが なぜ違和感をうまず、「問題な」は なぜ うむか なのだ。■まして、「最近は「な」の多用が度を越しているよう」だといった判断をくだすのは、やりすぎだろう。中村明ほか編『表現と文体』には、村木新次郎「「神戸な人」という言い方とその周辺」という論文が収録され、そこに「江川な人」「田舎な群馬県」など、「新しい例がたくさん載って」いると、ご本人確認ずみなのだから、現実を直視し、それでも違和感がきえない理由をさらに追求すべきだろう。

■さて、このての本には、つきものの 構図ではあるが、「判定」基準は、?語源、?正書法、?論理矛盾、?違和感である。■?論理矛盾については、ある意味「誤用」といってよかろう。また、?違和感については、「多数決」原理にそった定着度なので、ただ実態を 偏見なく 記述すれば、それで問題ない。■しかし、「十階」について、「十」が本来「zip」といった音形で、それが「じふ」といった かなづかいで かきとられ、……といった歴史的経緯で、「じゅっかい」は あやまり、「じっかい」が正解といった判定は、語源主義で、いかにも ふるい。■「茶葉」を、NHKや国立国語研究所まで「ちゃば」と よんでいるのに、日本茶業技術協会編『茶の科学用語辞典』が「ちゃよう」とかいてあるから、「ちゃば」がただしい、といった判定も同様。■総じて、脚注欄外の「使うのはどっち?」シリーズは、??にもとづいた規範主義で、現状=現象の分析・解明になっていない。実は、このヘンに、執筆陣と読者層の 大多数の問題関心=意識水準の合意点があるような 気がしてならない。
■そして、このコラム的な 箇所が たくさんあるからこそ、本書は 大量に うれたとおもわれるし、そこには 「正誤判定」をくだしてくれる 典拠を えることで 安心したい読者の不安が、象徴的に あらわになっていると みた。


■ところで、前作の副題は「どこがおかしい? 何がおかしい?」だった。これは、つまるところ 「正誤主義」「規範主義」を象徴する表現である。ただし、前作には、「副々題」として、「へんな日本語にも理由わけがある。」という、補足をおこなうことで、かろうじて 単純な規範主義をまぬがれ、社会的事実としての言語現象を冷静に分析しようという姿勢が表現されていた。■それに対して、今回の副題は「何が気になる? どうして気になる?」と、かわった。これは、話者/筆記者と 聴者/読者との 意識のズレという、すぐれて社会言語学的な問題意識が反映されている、モジどおり、「すぐれた」課題提案となっている。
■そうなのである。「コトバの みだれ」やら「誤用」問題の大半の本質は、「よかれとおもってつかっている話者/筆記者」の意識と、「ききなれた/みなれた表現以外には違和感をおぼえる聴者/読者」の、基準のズレがあるところに発生する現象を、「正誤」として処理しようという攻防現象なのだ。■そこに 執筆陣は かなり 自覚的なのに、みずからの規範意識に まけてしまったのだ。というか、言語学の命ずる倫理にしたがいきれず、規範主義的な聴者/読者意識を、おもわず さらけだしてしまったと。
■このように、言語学者が自己矛盾をきたしてしまうという、『ピュグマリオン(マイ フェア レイディ)』的な喜劇の実演としても、本書は、非常に興味ぶかい。■かりに、同業者=言語学者/国語学者が、本書をよんだとしたら、それは「体系的で一貫性をもった分析に失敗している実例」として、批判的によむだけでは、不充分きわまりない。それは、おのれ自身をうつしだすカガミ、「他山のいし」「反面教師」に ほかならない。■そして、経済動向や政治状況の観測をあやまって
〔本来、理科系学問でないかぎり、予測はご法度なのだが(笑)〕、するどい市民から わらいものにされる、経済学者/政治学者は、キズがあさい。しかし、社会状況の観測をあやまってしまう社会学者/心理学者が悲惨なのと同様、「みんなが参加できる日本語論」では、言語学者は、はなはだ 分がわるいのである(笑)。■言語学者は「オレが ルールブックだ」は論外だが、「オレが アナリストだ」も そろそろ自重した方がよさそうだ。「しろうと」を、「こどもだまし」できる時代は、おわりつつある。

■言語研究者は、こういった 現象の解明を不徹底におこなうのでとどまるのではなく、?現状=現象を徹底的に つきはなした研究をすすめること。?しかし、大衆の規範主義的な不安をとりのぞくべく、語源主義イデオロギーを徹底的にうちくだき、現状については、論理矛盾の指摘などに とどめること。?語源主義イデオロギーを主軸とした 規範主義的俗論を 徹底気的に批判して、大衆的不安のモトをたつこと。■これらが、今後の課題だとおもう。それを、率先して 展開する言語研究者は、でるだろうか?

■なお、本書でとりあげられている「問題」用例のおおくは、敬語法であり、わかものコトバであることも、つけくわえておこう。