■ひとつきほどまえにかいた「フェロシルトと御用学者 2」の続編。■ただし、本題から だいぶ ハズれて 放射線リスクを しろうとが どうかんがえるかという、問題整理。
■実は、その きっかけになったのは、毎日の 当 日記へのアクセス解析の結果。
■以前 かなり アクセスがあった関岡英之氏の『拒否できない日本』は、あっというまに 下火になってしまって、この国の市民の意識の低調ぶりというか、「熱しやすく さめやすい」姿勢が心配になるが、まず とぎれることがないのが、三浦展氏/「下流社会」 関連と、フェロシルト関連。■でもって、そこで ほぼ毎日のように みせつけられる画面というのが、検索エンジンの GoogleYahoo での「フェロシルト」の検索結果なわけだが、双方の第一位が、ずーっと「フェロシルト問題の見解」というヤツなんだな。これが、なんとも あやしいフンイキなわけだ(笑)。■このリンクによって、ますます「マタイ効果」がはたらいて 検索エンジン上の評価が上位安定化する方向での「おいかぜ」になってしまって、シャクだが
(笑)、ともかく こういったネット上の情報発信の政治性をかんがえるうえでも、イミは ちいさくないとおもう。【リンク等は、ハラナによる】
フェロシルト問題
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 岐阜県端浪市での廃棄物の問題が連日報道されています。
現在(2005年11月)は廃棄物中に六価クロムが混入されているとして報道され、議論になっております。安心科学アカデミーで以下の論評をした時点(2005年6月)では、廃棄物に放射能があるという報道が中心で、議論になっておりました。これをふまえて論評しております。
 視点がずれているという読者からのご指摘を受けましたので申し添えておきたいと思います。
 なお、安心科学アカデミーは各分野の専門研究者がおられますので、重金属などの環境問題に詳しい専門家からのコメントを準備中です。お待ちください。
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【フェロシルト報道】
 岐阜県端浪市で「フェロシルト」問題が地元紙に報道され波紋を呼んでいます。
報道内容によると、フェロシルトは酸化チタンを製造する際にできた廃液を再利用したもので放射性があり、酸化チタンの原料そのものにも放射性があるとして、これらの廃棄物の野積みに問題がありとして報道されております。
 安心科学アカデミーHPは一般に公開されている情報サイトでありますので、なるべく一般の方々にも理解しやすい内容であることを念頭に編集いたしました。ご意見いただければ幸いに存じます。
  <安心科学アカデミーHP編集委員:輪嶋隆博

(新聞報道)はこちら ↓
 フェロシルト報道 ?

 フェロシルト報道 ?
■ここまでは、実に客観的。しかし、このあとは、原発推進派らしい、政治性がロコツ。
<視点>
 フェロシルト野積み廃棄物が放射性廃棄物として捉えられ、その環境影響が問題とされていることから考えて
 ?フェロシルトが放射性廃棄物か否か
 ?放射性ゆえに環境に影響を及ぼすか否か
の2点が論点と考える。

?フェロシルトが放射性廃棄物か否か
 物質の放射性の有無を問われた場合、厳密に言うとすべてのものには放射能がある。人を含め、生物・水・空気・化学製品・建物・食べ物・土壌、金属そのほか、ありとあらゆるものには微量であるが放射能がある。これは地球誕生以来からの自然放射線環境である。太古の時代ではもっと多かった
 そのなかで「比べてみて放射能が高い」ものには 地下水、温泉水、化学肥料、コンクリート材料、墓石、化石燃料灰などがある。しかしこれらが社会問題になったことなどない
 要するに放射性物質と定義されるのは、放射線量、放射能量を基準に法的に線引きされた指定された核種、または供用されたモノである。また、法的な線引き(物質の指定や放射能量、放射線量の制限)は健康被害量を基礎に算定されたものではなく、厳密な放射線管理を遂行するための管理目標であって、健康影響量の考えとは別物である。
 いっぽう、放射性物質の定義が社会的なもの(とりきめ)であるから、いったん放射性と認定されたものは実質的に放射能がなくなった状態でも、未来永劫放射性物質ということになる。このために医療分野では「放射能がなくなった短半減期放射性廃棄物の山」に頭を痛めている実情がある。

 野積み廃棄物の放射線量の記述が記事にある。そこには”法的な線引き”に満たない状況が窺がわれる。このことからフェロシルトが放射能があるかないかと問われたならば、生活周辺にある放射能があるものの1つとして考えるのが妥当である。
 これらのことから、行政当局はフェロシルトは放射性物質とは定義されていないために放射性物質として扱わないし、その対応もしない。これは当然とも言えるだろう。

?放射性ゆえに環境に影響を及ぼすか否か
 「放射線は微量でも害」という考えがフェロシルト問題に関して研究者からコメントされているので、これについて言及する。
 今回のフェロシルト問題ではフェロシルト及びそれらの廃棄物についての線量率について線量測定がおこなわれ、「環境放射線の数倍」と報道されていることから、この量の健康影響について問われることになる。
 環境放射線は自然放射線と同義に使われることがあるが、環境放射線の中身は地殻(大地)からの放射線、宇宙から降り注ぐ宇宙線、建築物などからの放射線で、これらを併せて環境放射線量という。大地からや建築物からの放射線は大部分が、ウラン、トリウムから派生するものである。ウラン、トリウムは地球誕生時にできた物質と考えられている。このために地球上にはウラン、トリウムは、あらゆる場所に、くまなく存在している。放射性壊変という性質があり、時間とともにエネルギーを放出しながらその姿を様々に変えていく。生活に馴染みの深い、金属の鉛はこれらの”なれのはて”の姿である。
 環境放射線の量は地域差があり、日本国内では『西高東低』の傾向がある。日本国内でも地域の比較をした場合、数倍の変動は普通であり、また屋内では地域差以上の変動がある。建物によって屋外の倍以上あることも普通である。大地からのγ(ガンマ)線量では 0.46ミリグレイ/年が世界平均値である。
  環境放射線の地域調査報告例はこちら
 以上のことから言って「フェロシルトからの放射線の程度量でも怖い」ならば、少しでも放射線を浴びる機会を少なくするために コンクリートの建築物には住まない、住居を東日本地域に移すことも考えなくてはいけない、ラジウム温泉などはとんでもない、ということにもなる。これは放射線の怖がりすぎである。

 微量放射線被ばくの健康影響については、健康影響仮説に基いた解釈が適用される。
 ひとつには、「放射線の害は下限がない」とする直線仮説で、大きな線量でおきた障害は小さな線量でも縮小しておきる可能性があるだろうと仮定した考えである。この仮説は実証科学の面では異論が多いが、現在の放射線防護学の基本となっている。
 直線仮説での考え方ではフェロシルト問題の放射線量の評価は無害領域と考えるのが妥当である。なぜならこの量は地球上の自然放射線の変動範囲のもので、地球上には桁違いに多い地域がいくつも存在するが、健康被害の実態がないからである。
 次に放射線の毒性には しきい値があるという仮説、さらには微量域では逆に健康に良いとする放射線ホルミシス仮説がある。この仮説を基にした考えでは、フェロシルト問題の量では害を生じる量には満たないから無害、という考えになる。

 以上、これらの健康影響仮説をあわせてみても、フェロシルトの放射線が環境に悪影響(健康被害)を与えるといった指摘はあたらない


<編集者のひとりごと>
 多くのマスメディアにとって、放射線は少しの量でも怖いことであるほうが利益があるようだ。このことによりニュース性(報道の商品価値)が保たれる。
 毎度のことであるが、マスメディアの放射線絡みの報道をみると、一定のパターンがある。原発トラブル、医療被ばくで発がん増加、宇宙線被ばくと航空パイロット、チェルノブイリ被災者、核実験と海洋汚染・・他。
 研究者、環境団体からのコメントが添えられているが、環境団体の人は主張の根拠に「放射線は怖い」を感性的に訴え、一部の研究者は定量的に正しく評価せずに必要以上に危険性を強調している。もっと言えば、マスコミへの迎合がそこには感じられる


 放射線を正しく怖がることは なかなか難しいが、正しく怖がる術を伝えるのがマスメディアの使命だと私は思うが如何であろうか。


■もうおわかりのとおり、「フェロシルトぐらいの 放射線量なんて、全然心配ない。メディアと左派系市民/研究者のさわぎすぎ」ってイメージを 配信するための作文だ。■ちなみに、「放射線を正しく怖がることは なかなか難しいが、正しく怖がる術」って、最後の方のくだりは、寺田寅彦のエッセイ「小爆発二件」のなかの「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた」という一節で、大阪大の放射線基礎医学講座の教授だった近藤宗平氏が 『人は放射線になぜ弱いか―放射線恐怖症をやわらげる〔講談社ブルーバックス〕で、引用したことから「有名」になった。■「有名」といっても、「放射能あるいは化学物質のリスクを研究する人によく引用される」ということにすぎず、その一部は、どうみても、リスクを過小評価することで、市民の不安を封殺しようという たくらみが、うたがわれる。
■基本的に、放射線業界の 「専門家」は、「しろうとの こわがり過ぎ」を、冷笑ぎみのようだ。たとえば、「放射線技師の独り言(1)?(5)」などは、典型的だろう。■しかし、「こわがり過ぎ」を こバカにしてきた専門家は、「チェルノブイリ」「スリーマイル島」「東海村」などで、深刻な原子力事故をひきおこしたことに、充分な説明責任をおったことがない〔原発震災リスクなど〕。
■しかも、「微量域では逆に健康に良いとする放射線ホルミシス仮説」 の旗手である御仁=近藤宗平先生、ジャーナリストの広河隆一さんから、「甲状腺ガンが増えているのも、スクリーニングした結果多くなっているように見えるだけだなどという考えは、今やWHOをはじめ世界の医学界、研究者によって否定され、今でもそういう考えを支持しているのは一部原発産業の関連の学者にすぎません」と、『人は放射線になぜ弱いか―少しの放射線は心配無用〔前述の新書の改訂版〕批判されている。■こういった「専門家」の 「こわがり過ぎ」論を ホントに信用できるだろうか?

■「原子力に関する情報のほとんどは推進派、または撤退派いずれかの立場で活動する原子力の受益者から発信されているので初学者は注意が必要である」という指摘は重要である。■「原子力教育を考える会 ―持続可能な社会をめざして―」では、つぎのように主張する。

 原子力には、多くの人達がその安全性について漠然とした不安を抱いています。知らないことが不安の原因だとして、政府は莫大な予算を組み、原子力教育を推進しています。学校教育では昨年度から始まった「総合的な学習の時間」での「エネルギー・環境教育」の中で原子力発電について教える学校も増えてきました。その時間に向けて多くの教材が、無料で広く配布されています。これらの教材で共通していることは、不安を解消することに主眼がおかれているために、原子力の持つ根本的な問題点についての充分な記述がなされていないということです。

 さらに「総合的な学習の時間」では、自分で調べる学習が望まれていますが、調査対象として紹介されているのは、東京電力のPR館、原子力発電所、電力会社のホームページが圧倒的多数を占めています。これまでの、そしてこれからの原子力政策の負債を引き継がねばならない次代を担う人たちには、原子力について正確な知識を持つことが望まれます。その上で、これからどのようなエネルギー政策を選択してゆくのか考えて欲しいと思います。そのためには原子力のマイナス面をも含めた公正な情報が提供されなければななりません。

 このホームページでは、調べた教材について共通してみられる問題点を取り上げ、書き直した方がよいところ、足りないところなどを、ビデオ、本、ホームページなどの資料を紹介しながら、みなさんと一緒に考えてゆきたいと思います。

■「安心科学アカデミー」と称する、原発推進は組織の うえに転載した「フェロシルト問題」なる作文も、まさに「不安を解消することに主眼がおかれているために」、放射線の「問題点についての充分な記述がなされていない」と、直感した。■「チェルノブイリ級大事故」とか「原発震災」といった 巨大災害=「レベル7」のリスク/深刻度と、フェロシルトの健康リスクは 比較になりえないと、「専門家」はいうだろう。しかし、民間人居住地の すぐそばに、たとえば「堆肥」などという詐称によって大量廃棄される構造が放置されてきた以上、「しろうとの こわがり過ぎ」などと、冷笑/無視するのは、カンベンだ。「専門家」には、充分な説明責任がある。リスク/コストについての 第三者的な情報提供と、しろうとにも 理解可能な 判断基準の提示だね。

■くわしいかたのご教示をいただきたいものだ。