■かなりまえに とりあげたことのある、評論家 永井俊哉氏が、少々まえに関岡英之氏の『拒否できない日本』を書評している。■かなり トンデモな論点の爆発ぶりなので、ネタとして とりあげる。
日本がアメリカの政治的従属国であることはよく知られている。アメリカ主導の世界標準の押し付けを日本は拒否するべきなのか否か、『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』を読みながら、日本の将来の進路を考えよう。

1. 回収命令が出された問題作?
この本は、売れていたにもかかわらず、アマゾンその他のオンライン書店上では手に入らなくなったことで話題になった。

ネット上では、「米IT企業の代表格として日本に進出したアマゾンは小泉改革を推し進めたい。先の総選挙では、小泉陣営の邪魔になるから売らないのだ」との憶測が飛び交っている。

著者の関岡氏は「私も売れ行きが気になり、しばしばアマゾンを訪れました。昨年4月の発売直後は問題なかったのですが、数カ月後から品切れ状態が続いている。もう1年以上です。中古本も経済原則を無視した高値が付けられており、作為的なものを感じます」と指摘する。

[ZAKZAK:ナゼ読めない…「アマゾン」で1年超も品切れの本]

今でも、アマゾンで手に入らないのかどうか知らないが、私が9月16日に楽天で注文したところ、当初在庫ありのはずだったのだが、「品切れ」と言われて、入手できなかった。楽天では、今でも取り寄せ状態である。結局近くの本屋で注文して手に入れたのだが、これは異様な事態である。

こういう経過で入手したので、私はかなり期待して本書を読んだ。きっとこの本には、回収命令が出るほどに、広く読まれることが危険な極秘情報が書かれているに違いないと思って読んだのである。しかし、読んでがっかりした。この本には、私が期待したような極秘情報は何も書かれていなかった。それもそのはずである。著者は「あとがき」でこう書いている。

今回私が使った資料はすべてインターネットの公式サイトで公開されている公式文書や、国公立図書館などで一般市民でも閲覧可能なものである。

[関岡 英之:拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる, p.224]

情報源が平凡でも、画期的な新解釈が行われていれば、それはそれで読む価値はあるのだが、本書は、80年代から大量に出回るようになった嫌米本の域を出るものではなく、従来からある議論をたんに蒸し返しただけという感じがする。

ただし、冒頭は著者の個人的体験にそって書かれていることもあって、結構面白かった。本は、冒頭が面白ければ、売れる。なぜならば、みんな冒頭しか立ち読みしないからだ。それにしても日本のアメリカ追従に初めて気がついたのが1999年というのは、遅すぎはしないだろうか。

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■「日本のアメリカ追従に初めて気がついたのが1999年というのは、遅すぎはしないだろうか」というが、ことは「追従」の深刻度によるだろう。■また、「冒頭が面白ければ、売れる。なぜならば、みんな冒頭しか立ち読みしないからだ」などと、冒頭部分の「著者の個人的体験」以外には、新味がまったくないかのようにかたるが、ネット上をはじめとして、読者のおおくが、虚をつかれ おどろいたというのは、やはり社会現象にほかならない。■慧眼な永井氏が、どんなに先見の明で はやくから「日本のアメリカ追従」を意識していたからといって、日本列島のごく一般的な住民が大量に虚をつかれる事態にあったということは、それだけ、「年次改革要望書」の存在を意義が、「しるひとぞ しる」状況/構造だったことを、うらがきする。■有名な政治評論家の森田実さんが絶賛したのも、「80年代から大量に出回るようになった嫌米本の域を出るものではなく、従来からある議論をたんに蒸し返しただけ」でなどない、深刻な支配構造が うきぼりになったからだ。■まして、小泉改革が、こういったアメリカの パワーエリートたちの「シナリオ」にそった 「あやつり人形」的存在だとしたらという、現実感覚が ひとびとの 動揺をさそったのである。

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2. 拒否するのは国家か個人か
関岡は、大学院で建築学を学んだこともあって、建築関係のルールから話を起こし、1998年に行われた建築基準法の改正の問題点を指摘する。この約半世紀ぶりに行われた改正では、規制の仕方を仕様規定から性能規定へと転換し、規制は必要最小限にすることが謳われている。

日本の「使用規定」は、古くから伝わる大工さんたちの優れた匠の技に支えられた、高度で精妙な木造建築の伝統工法を前提としているため、建築方法の異なる外国の基準とは非常に異なっている。特に近年アメリカから入ってきたツー・バイ・フォーなどは釘をがんがん打ち付けるだけの素人でもできる単純な工法なので、熟練した技術を前提とする日本の建築基準では受け入れがたいのだ。

「仕様規定」を「性能規定」に変更するということは、建築の建て方そのものを変えてしまうことによって、日本古来の匠の技を不要にし、外国の工法や建材がどっと日本に入ってくる道を開くこと以外の何物でもない。また、地震が多い日本の建築基準は、海外の基準や国際規格よりも厳しくなっている。日本の基準を海外に合わせるということは、日本の基準を「必要最低限」まで緩和する、ということに等しいのである。

[関岡 英之:拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる, p.46]

もしもアメリカが、性能規定を仕様規定に改めて、アメリカ式の建築方法を強制するならば、それは不当な圧力である。しかし、仕様規定を性能規定に変えるということは、耐震性などの一定の性能を持つならば、どのような方法で建築してもかまわないということだから、消費者には、いぜんとして日本の伝統的建築方法を選択する余地がある。

もしも関岡が言うように、日本の伝統的建築方法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの建築会社に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、地震の多いアメリカ西海岸あたりに、耐震性に優れた日本の建築法を売り込むことができるのではないか。

仕様規定を性能規定に変えることは、必ずしも、海外の企業の市場参入を許すことだけを帰結するわけではない。国内で、画期的な新建築法が発明されても、建築規制が仕様規定ならば、法的に実用化ができないことになるので、技術革新を阻むことになる。

だから、企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな建築方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい。

関岡は『拒否できない日本』というタイトルでもって、「日本はアメリカの商品の押し売りを拒否せよ」と言いたいのであろう。しかし、アメリカ商品の流入を「拒否」するべきかどうかを決めるのは、日本の個々の消費者であって、日本政府ではない。

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■永井氏がいうとおり、関岡さんの対米認識には、ナショナりスティックな 感情がまとわりつていることが、いなめない。■しかし、「日本の伝統的建築方法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの建築会社に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、地震の多いアメリカ西海岸あたりに、耐震性に優れた日本の建築法を売り込むことができるのではないか」とか、「企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな建築方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい」といった、一見もっともらしい「正論」には、警戒が必要だろう。■これは「日本の伝統的料理法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの外食産業に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、民族差の多いアメリカ西海岸あたりに、柔軟性に優れた日本の料理法を売り込むことができるのではないか」といったぐあいに、別の業界の「自由化」問題にズラすと、問題の所在がよくわかる。■アメリカの西海岸の「カリフォルニア・ロール」を提供するスタッフが、どういった層がしらない。しかし、マクドナルドをはじめとする 北米型「ファスト・フード」が、単に「選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな料理方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい」といった論理で合理化できるものでないことは、あきらかだろう。■アメリカ人社会学者、ジョージ・リッツァが 「マクドナルド化(McDonaldization)」という理念型で 提示してみせた食文化の均質化傾向は、「貿易自由化」「規制撤廃」という、形式合理主義の おとしあなを、痛烈にうがっている。■そして、北米産外材とその企画化を前提とした「2×4」建築などが、伝統的な大工養成システムを解体し、半熟練の建設作業員の つかいすてによって、建築コストの価格破壊をおしすすめている事態を、「企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるといった論理で合理化するのは、まさに新自由主義的な「自由貿易」体制で 世界支配をつづける 米国の国益主義の正当化に加担しているだけだろう。
■そして、永井氏の強引な批判は、関岡氏の問題提起を恣意的に取捨選択することで、「建築基準法」へのアメリカがわの圧力の不自然さ/不当さから、意図的にか めをそらす やくわりをはたしている。■関岡さんは、1998年という、阪神淡路大震災(1995年)を意識してしか改正しようがない時期の 条文に、なぜか「最低限」といった 不自然な文言がまじっていることや、アメリカがわの圧力が ずっとくりかえされていたことの経緯と あわせて、アメリカからの輸入促進に はずみをくわえるための国内法整備であり、建築工事施主などの利益/安全をまもるための改正ではなかったという、カラクリを暴露したのだ

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3. ルールの独自性と作品の独自性
関岡は、山本七平の『日本的革命の哲学―日本人を動かす原理』を参考に、鎌倉時代から江戸時代までを固有法の時代、それ以前とそれ以後は、中国大陸または欧米から法を導入した継受法の時代としている。

こんにち海外の人々がその独創性に驚愕し、かけがえのない世界の至宝として賛嘆を惜しまない「日本的なるもの」がうみだされたのは、なべてこの固有法の時代に集中している。

ひるがえって、近代以降に日本人が生み出したもので、世界遺産に匹敵しうるものを果たして幾つ数え挙げることができよう。現代に生きる私たちは、明治以降今日まで百数十年も続く欧米継受法の時代によって、かの輝ける時代から切り離されているのだ。

[関岡 英之:拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる, p.228]

平安時代以前の日本と明治以降の日本の文化には、本当に独創性や価値がないのだろうか。日本神話や世界最古の小説といわれる源氏物語、「世界遺産」に登録されている、飛鳥、奈良、京都の文化財、明治以降現れたの多くの世界的水準の科学的業績、独自のカイゼンを施した電化製品や自動車、現在世界を席巻している日本のアニメや漫画など、「海外の人々がその独創性に驚愕し、かけがえのない世界の至宝として賛嘆を惜しまない」日本のものなら、固有法の時代と同じぐらいたくさんある。

関岡は、ルールに独自性がなければ作品にも独自性がなくなると考えているようだが、これは正しくない。むしろ、作品は、普遍的なルールに基づいて作られるからこそ、その独自性が評価されるのであって、普遍性に基づかなければ、その独自性は無に等しい。例えば、ある小説家が、自分独自の言語を作って、作品を書いても、その独自性は理解されないから、評価されることはない。固有法時代の日本の文化も、海外にはほとんど知られておらず、その独自性が評価されるようになったのは、日本が世界共通のメディアに組み込まれてからである。

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関岡さんの日本文化論が、うちむき/うしろむきであることは、たしかだ。■しかし、「現在世界を席巻している日本のアニメや漫画など」を、「普遍的なルールに基づいて作られるからこそ、その独自性が評価されるというのは、あきらかな「いさみあし」だろう。■日本製の ふきかえアニメはともかく、日本マンガは、?左斜め下方向によみすすめる。?漢字カナまじり表記の ふきだしや擬音語/擬態語。 ?コマわりなどの「文法」など、さまざまな「ローカル・ルール」の集積だ。■ふきかえ/翻訳ぬきで うけいれられているのは、チャップリン映画や「Mr.ビーン」のような、無声映画的部分だよね。■ちなみに、ハリウッド映画やディズニー・アニメは、「マクドナルド」や「コカ・コーラ」同様、「普遍」をうそぶく、「ローカル文化」=無自覚な文化帝国主義。

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4. 日本が世界標準の決定に参加するには
日本の対米追従を批判するとき、二つの問題点を区別して論じなければならない。

日本が世界標準を受け入れなければならないこと
日本人が世界標準の決定に参加できないこと
関岡は、両方にノーを言うわけだが、私は、1に対しては、イエスと言い、2に対してはノーと言いたい。グローバル化が進む中、北朝鮮のように孤立政策を採るわけにはいかない。

では、日本人が世界標準の決定に参加するには、どうすればよいのか。一番良い方法は、日本をアメリカ合衆国の州として編入してもらうという方法である。もしも日米が合併すれば、有権者の3割が日本人ということになり、アメリカの議会を通じて、世界標準の決定に参加することができる

もしも、アメリカがこの提案を断るならば、日米安保を破棄して、ロシアと一緒にEUに参加すると言えばよい。日本の政治家に、アメリカとEUを手玉にとって交渉できる人材がいるとは思えないが、日本が、最近対立関係を深めているアメリカとEUに対して、キャスティングボードを握る位置にあることは確かである。

もしも、日本とアメリカとEUが経済的・政治的に統合されれば、なお良いだろう。発展途上国を統合することは、経済的に困難だが、先進国どうしで共同体を作ることは、それほど難しいことではない。発展途上国は、先進国の条件を満たし次第少しずつ編入していけばよい。そうすれば、真のグローバル社会が実現する。

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■ようやく、永井氏のホンネがわかった。要は、アメリカ人になりたかった(笑)と。■永井氏にとっては、「アメリカ仕様=世界標準」という図式は、普遍的な真理のようだ。■アメリカは、一貫して 日ロの友好関係樹立をはばもうと(もちろん、日中関係もだが)してきた、という指摘もあるくらいだし、「アメリカの ポチ= ニッポン」が、どうやったら アメリカ/EU/ロシアを 「手玉にとって交渉できる」、「キャスティングボート(casting vote)」とやらをにぎれるのか、「あお写真」かいてみてよ。■「日米安保を破棄して」だって? ご冗談を(笑)。米軍基地集中に反対してきた 沖縄県の自民党議員たちだって、「安保破棄」なんて いいだすひとは、いないんじゃないか?■反米右派はともかく、保守派/中道層にとって、唯一の同盟国は米国なんだよ。■実際、日米安保は、やすあがりな基地維持という便法にすぎず、世界戦略の全面的改編がおきたら、日本は「シッポきり」される程度の存在でしかないのに、「1州として合併してくれないんだったら、スネて ロシア/EU(=『1984年』のユーラシア)と、くっついてやる」なんて、ゴネる勝算も根性もないって(笑)。

■ちなみに、「グローバル化が進む中、北朝鮮のように孤立政策を採るわけにはいかない」などとのたまうが、かの国家指導者ほど 国際社会を てだまにとって、「キャスティングボート(casting vote)」をにぎっている、いい「お手本」は、ないとおもうけど
(笑)