■差別現象につきものとして、「そんなつもりはなかった」「差別する気など毛頭なかった」という、セリフがくりかえされることを、あげる必要があるだろう。■とりわけ、障碍者差別やセクハラをふくめた女性差別などに、おおい。
■前回()とりあげた「逆差別」騒動の際にも、「差別差別と、さわぎすぎ/やりすぎ」というセリフがよくきかれるが、この発言者たちのホンネにも、「差別する気など毛頭なかったのに、差別者だと不当にも攻撃されている自分たち=かわいそう」という、被害者意識がはっきりみてとれる
〔ご当人たちは、絶対にみとめないだろうが(笑)〕。■そして、こういった「逆差別」論者の「被害者意識」が、非差別感をいだかされてきた少数派/弱者たちが、「不当に被害者意識にこりかたまって、体制批判をくりかえしていて、けしからん」という論理を共有していることは重要だ。
■これは、前回の補足になるが、この「『被害者づらするな』という攻撃者=逆差別論者たちの共有する被害者意識」という逆説は、非常に興味ぶかい。■いってみれば、被差別少数者〔女性やコドモ、高齢者などは、かならずしも少数者ではないが〕と、逆差別論者たちは、たがいの「被害者意識」を攻撃しあって、「自陣のアリバイ=差別の不在証明」合戦という、不毛な「みずかけ論」の応酬にハマっていることになるだろう。■たがいが感情的になっているあいだは、妥協点や発展的な議論の展開はありえず、まさに不毛な悪循環がくりかえされるだけだろう。
■第三者的に判定するなら、「差別だ」と主張するがわがうけているとおもわれる「損害」の大小を比較すれば、おおむね「まとはずれ」は、さけられるだろう。■前回とりあげた「逆差別」をおもいうかべてほしいが、「黒人わくのせいで、優秀なはずの自分が不合格=高等教育機関における学習権侵害という、不当なあつかいをうけた」といいはる「白人男性」と、「職業差別→失業/低賃金→教育費用の不足→高等教育進学への展望自体の喪失→職業差別→……」という、おやこ2世代の悪循環からぬけだせないでいる「黒人女性」とを比較してみよう。■後者=「彼女」への補償制度が前者=「彼」の学習権を不当に侵害しているという判定は、かなりくるしいはずだ。たとえば、(プアホワイト=白人貧困層はともかく)「彼」が経験しなかっただろう「職業差別→失業/低賃金→教育費用の不足→高等教育進学への展望自体の喪失→職業差別→……」という、おやこ2世代の悪循環が、「彼女」からとりのぞかれたばあいに、「彼」より学業成績がわるかったという証明は原理的にできないからだ。■「おやこ2世代の悪循環」をたちきり、社会的不公正=「スタートラインでの不平等」を解消しようとするときに、「白人内部で、かならずしも優秀とはいえなかった『彼』」よりも、「黒人内部で、あきらかに優秀とみとめられた『彼女』の方が、潜在能力がたかいだろうという推定のもと、後者を優先する」という施策が、「白人というひとくくりされた個人」としての「彼」を不当に差別したものだとは、いいづらいだろう。
■もうすこし、たちいってみてみよう。■かりに、「黒人内部で、あきらかに優秀とみとめられた『彼女』よりも、白人内部で、かならずしも優秀とはいえなかった『彼』が学力判定でまさっていたのなら、当然『彼』を優先すべきだ」という議論をただしいとするためには、「すべて結果主義」「それまでの経緯がどうであろうと、たとえば、スタートラインの格差が歴然としていようと、そんなことは、全然問題にならない」という、資本主義社会の理念としても、少々強引な政治経済的理念を是としなければなるまい〔いや、現実には、世界中の資本主義社会の実質的原理として機能しているが〕。■つまり、「うまれ/そだちでの格差がそのまま継承されること、まったく問題なし」という、「ゆるやかな身分制社会」の是認を意味する。■「ハイリスク・せまい突破ルートなど苦難をのりこえて、出世・成功する少数の成り上がり層の存在」というのであれば、前近代だとて、ゆるされていた。だから、近代の資本主義体制とは、せいぜい「形式的な職業/居住地/交際相手選択の自由」が理念上みとめられただけで〔まあ、形式的にしろ「みとめられた」たことが「革命」なのだが〕、「オヤの因果が、子にむくい……」という、「経済階層の明瞭の分化による事実上の身分差」とその継承が自明視されている時空ということにすぎない。
■逆差別論者たちは、あけすけに分析するなら、以上のような、かなり乱暴かつ野蛮な政治経済的思想(?)にすがって、自分たちが「既存の選抜ゲームでまけた」という現実から、逃避し、「ルールがおかしいぜ」と、さわぎたてている、なさけない連中なのである。
■この「構図」=「動機の精神分析による、防衛機制の解明」は、前回の論点のくりかえしでしかないが、今回冒頭であげた、「差別しているつもりはない(なかった)」という、かれらの主観を理解し、「自分たちは差別者ではない」とアリバイ証明をしようとする論理を解体するうえでは、かかせない視座となる。

差別論ノート0」「」「」「
【つづく】