■ハラナは、自宅にテレビがないので、オリンピックだろうが、ワールドカップサッカーであろうが、テニスの4大大会であろうが、なにがあっても、わずらわされることがない。
■さびしい毎日ではないかと、同情されたり、けげんなかおをされたりするが、「そのときだけ 時間が独占される」という、一時性・排他性は、複製技術でありながら、あたかも「対人関係」かのように、わずらわしい。

■一個の人格をあいてにするならともかく、単なる機械映像・音像に、時間を拘束されるというのは、なにやら倒錯しているように、感じられる。■いや、一個の人格は、あいてに一個の尊厳ある実体であるからだけでなく、そこで、随意的・偶然的な応酬がかならずともなうってことだ。それは、植物はともかく、鳥類よりヒトにちかい動物であれば、当然ともなうような、「やりとり」だよね(は虫類は、なにか感情がなさそうな印象があるが、かわれているコイなどは、エサには、反応するよね。笑)。

■映像・音像再生装置にすぎないはずのテレビは、「やりとり」を拒絶した一方的な信号発信であるばかりでなく、それは遠隔再生ということにすぎなくて、くりかえし「みきき」ができないし、時間の自由もきかない。■一方的に時間を設定してきて、「あわせろ」と せまってくる。しかも、「つまらなければ、きればよかろう」と、あくまで、こちらの主体性・自主性をおもんずるような、フリ=偽善性を演ずる。放送制作者の遠隔操作を、あたかも、視聴者の自由であるかのように。■もちろん、論理的には、きる自由、たちさる自由、ねむってしまう自由もあるんだが、そこはそれ、「依存症」患者のように、拘束される心身を、あのてこのてで、ひきだすわけだ。

■パソコンや携帯への依存・耽溺を問題視する議論はおおきいが、その「のめりこみ」かたと、テレビへの「のめりこみ」は、質的にことなる。■パソコンや携帯への依存・耽溺は、受動的ではないからだ。タバコやアルコールのように、禁断症状はあるだろうし、それで、日常の「実生活」に支障をきたすなど、あきらかな依存症はあるだろうけれど、そして、それが孤独感をうめるための「どろぬま」化の危険性をはらむものではあるだろうが、それでも、それの大半は「自業自得」としかいいようのない、主体性がみてとれる。かりに、「のめりこみ」の理由が「さびしさ」「ものたりなさ」などであろうとも。■また、世間には、利用者がハマることを前提にした業界は、たくさんある。ダイヤルQ2やポルノサイト、パチンコ、性風俗や水商売などが典型だろう。■しかし、これらはすべて、利用者の時間までも拘束はしない。「営業時間」内での選択の自由、複数回の利用の権利をひらいたかたちで、保障している。

■しかし、テレビは、時間の拘束のされかたが、受動的かつ一方的で、かつ、つくりて/スポンサーは、たがいに競合することによって、視聴者を依存症的存在においこむことを、なかば確信犯的に追及する存在なのだ。■もちろん、「みてもらって、なんぼ」の、よわみが つくりて/スポンサーにはある。しかし、その「よわみ」は、「せに はらが かえられない」という せとぎわ感をともなうことで、手段をえらばず、「のめりこみ」をひきだす努力をやめられなくなるのだろう。■ともかく、選手・ティームの戦歴や参戦状況を、いたずらに「物語=劇化」し、能力や精神力を過大に美化し、その試合、その瞬間が、あたかも世界のゆくすえを決するかのような、異次元空間を演出しようと、躍起になる。■その詐術にハマってしまった視聴者は、ある意味悲惨である。その時間をあとで浪費として後悔しないですむ、熱心な層=愛好者ないし依存症患者はともかく、「うたげのあとの、むなしさ」「睡眠時間や精神力を徹底的に浪費させられた」という徒労感にさいなまれ、日常生活に支障をきたす層は、すくなくないだろう。
■それを、列島全体とか、世界中でやらかす、スポーツ放映業界関係者は、つくづく、つみぶかいとおもう。巨額の金銭がとびかい、巨大な電力が消費され、おそらく二酸化炭素も不必要に放出される、広域がシンクロする時空が出現するのだから。
■すくなくとも そのあいだ、政治経済上の重要課題から、何千万・何億という人口が視線をそらして、現実直視をさけるという、おそるべき政治性もみのがせない。■「余暇時間ぐらいは、うきよの難題をわすれ、ついでに、われもわすれた時空をゆるしてくれ」というのが、大衆社会の構成員の切なるねがいかもしれない(笑)。■しかし、たかがオリンピックごとき、たかがサッカーごときで、ニュース冒頭の10分間が占領されるといった事態は、異様だし、完全な倒錯・浪費だろう。

■ともかく、スポーツ中継は、それが録画でないかぎり、放映権を、どこかの放送局がかいとるかぎり、独占的に時間を拘束する。スポーツが、その1回性という、「かけがえのなさ」をかかえることが、テレビとからまることで、大衆は、短期的にせよ、依存状態におかれるのだ。■それが、唯一のたのしみである層にとっては、それは、かけがえのない遠隔再生技術だが、ファンとはいいがたい層にとっては、ほとんど人生の浪費としかいいようのない時間拘束の被害者になる。■制作者/スポンサーがわに、その自覚などないだろうし、それを自覚しては、業界人として、いきていけないっだろうが。

■もちろん、「ヒトの毎日やらかしていることがらの大半が、動物なら不要な欲望とか破壊衝動とかであって、なくて全然問題ないような、巨大なムダである。いや、ヒトの存在自体が、生態系全体、自然史のなかでの、浪費・蕩尽にほかならない」といった、世界観は否定しないが(笑)。