■以前、「フェロシルト周辺の諸問題2」にはりつけておいた、リンクでよめるのだが〔「石原産業:産廃違反は常習犯!」〕、先日かいたとおり、「Wikipedia 石原産業」が、直接検索結果にでないという、不可思議な事態がつづいているので、キャンペーンの一環として、該当ページを無断転載。■『政経調査会』さん、おゆるしを【リンクは、ハラナの、かって】。
犯罪を繰り返す組織 !

懲りない社風!


 石原産業という会社は過去幾度か日本の歴史にその名を刻んでいる。戦前は日本陸軍と歩調を合わせ国策に沿った南方資源の開発企業として、戦後は高度成長の歪みといわれた公害訴訟の被告企業として名を馳せた企業が、平成の成熟期に大きな産廃違反で存在感を誇示した

その公害訴訟での有罪判決から30年余。フェロシルトと名付けた産業廃棄物の偽装販売でまたまた、表舞台に躍り出てきた。フェロシルトに混ぜられた、酸化チタン製造の硫酸廃液。昭和40年12月に四日市工場から伊勢湾へ3380万tを垂れ流した容疑で提訴され、日本の公害事件で初めて昭和55年に当時の石原健三社長が刑事責任を追及され有罪判決が下っている。

 1969.12.16 四日市海上保安部が港則法違反で摘発
 1980.3.17 津地裁判決 工場長2人に懲役3月執行猶予2年 法人に罰金8万円。控訴せず確定

 この特異な会社は創業者の個人的な思想や理念から強い影響を受けていたが、9年前に経営を退いた創業者の長男石原健三元社長は05年2月に亡くなり、商社が筆頭株主となって表面上は石原色も消えたのだが、如何せん、事件を起こすことだけは脈々と受け継がれてきた。石原産業は犯罪を繰り返すことに対しては鈍感であり、会社組織に犯罪が根付いていると言っても過言ではない。

【石原産業の略歴】
1920年代
大正9年9月
 創始者石原廣一郎が、マレー半島ジョホール州スリメダン鉱山(鉄)開発のため、大阪市に合資会社南洋鉱業公司(資本金10万円)を設立。
大正13年5月
 マレー半島トレンガヌ州ケママン鉱山(鉄、マンガン)を買収自社船3隻で海運業を兼営。
昭和4年8月
 社名を石原産業海運合資会社(資本金150万円)と改称。

1930年代
昭和 9年12月 三重県に紀州鉱山(銅、硫化鉱)を開設(昭和53年閉山)
昭和10年11月 マレー半島ジョホール州パセル鉱山(ボーキサイト)の開発に着手。
昭和12年 6月
 マニラ石原産業株式会社(資本金100万ペソ)を設立、フィリピン各地の地下資源開発に着手。
昭和13年10月 四日市工場建設着手(昭和16年1月銅製錬所、硫酸工場完成)。
昭和14年 5月 中国海南島田独鉱山(鉄)の開発に着手。
 太平洋戦争を予定した海軍が、塩浜地区の水田などを強制的に買い上げ、1941年12月の開戦までに、日産原油処理能力2万6000バーレルの製油所を作った。 このほか、陸軍は、1940年(昭15)に、四日市陸軍製緘支廠を作っている。

1940年代
昭和16年 5月 四日市に銅電解工場完成。
 石原産業?四日市工場 操業開始石原産業四日市工場は、戦前、1941年(昭16)1月、銅製錬などで稼動を開始していた。
昭和18年 6月 海運業を日本海運株式会社に譲渡し、翌7月石原産業株式会社に社名変更。
昭和20年 6月 前年末の東海大地震と空襲の被害により、銅製錬施設等操業を停止。
昭和20年 8月 終戦により数十箇所に及ぶ海外事業所を喪失。
昭和20年12月 硫酸工場、過燐酸石灰工場を復旧、生産を再開。
昭和24年 6月 企業再建整備法により解散し、第二会社三和鉱工株式会社
(資本金1億2千万円)を設立し、再発足。同月石原産業株式会社に社名復帰。

1950年代
昭和29年 3月 酸化チタン事業に進出。四日市に硫酸法酸化チタン工場完成。
昭和33年 6月 四日市に研究所開設(昭和38年6月中央研究所と改称)。

1960年代
昭和40年 4月 滋賀県草津市に研究所を建設し中央研究所を移転。
昭和40年12月17日
 石原産業四日市工場の廃硫酸1日200,000トン(計100,000,000トン)垂れ流しに対し、裁判所の令状を執行しての強制捜査を行い、検察庁に送検したが、検察庁は起訴しようとせず、送検から1年という時効を前に、摘発の中心人物である田尻宗昭警備救護課長が、公務員法違反を覚悟、旧知の社会党石橋政嗣書記長に書類をわたし、1971(S45)年1月26日の衆院予算委員会で佐藤栄作総理・宮沢喜一通産相らを追及、検察庁は時効間際に起訴した。起訴は、1971年2月19日。工場排水規制法、港則法、三重県漁業調整規則などの違反容疑で、津地方裁判所で行われ、1980年(S55)3月17日、全面有罪の判決があった。
石原産業株式会社(石原健三社長)罰金8万円。元四日市工場長西村大典被告を懲役3カ月、執行猶予2年、罰金5万円。同山田務名被告を懲役3カ月、執行猶予2年。石原産業は控訴せず刑確定。


昭和41年 5月 旭化成工業株式会社とともに富士チタン工業株式会社の共同経営に参画。
昭和44年12月 石原産業硫酸廃液事件(四日市海上保安部検挙)
昭和45年 6月 石原産業四日市事業所、工場内の廃酸・廃液・排水の中和およびSS を削減するため、廃液中和処理工場を設置


平成2年7月25日
 石原産業を四日市工場の産業廃棄物から、市民兵などがガイガーカウンターで、放射能検出したことについて、三重県は、工場や産廃処分場で測定した結果「問題はない」と発表。


平成17年11月8日
 石原産業、フェロシルト 産廃違反で三重県警の捜索を受ける。

 過去の経歴から、有罪判決を受けるような出来事であるのは間違いない。

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■もひとつ、関連記事を紹介。■まあ、こういった企業体質だから、当然ともいえるが、朝鮮人(当時は朝鮮系「日本人」)強制連行の前科も。

紀州鉱山への朝鮮人強制連行・強制労働について
紀州鉱山・石原産業関係年表