■先月、布製カバンの しにせ、一澤帆布の経営権あらそい=「お家騒動」を紹介したが、「第2ラウンド終了」、いや「最終ラウンド開始」といった段階にはいったようだ。■『朝日新聞』〔2006/03/07 朝刊,社会面〕
「一澤帆布が休業」
経営争い 製造停止つづき
「一澤帆布が休業」
経営争い 製造停止つづき
在庫ゼロに
厚手の布製かばんで知られる「一澤帆布〔いちざわはんぷ〕工業」(京都市東山区)が6日、休業状態になった、経営権をめぐる兄弟ら争いの影響で2月末には製造が止まっており、在庫もなくなっていたという。昨年12月に代表取締役に就いた兄の一澤信太郎氏(60)は「品物がなければ、開店しようにもできない」と話している。
同社では、亡くなった先代会長の遺産相続の遺言をめぐって、前社長で弟の一澤信三郎氏(57)と信太郎氏が訴訟で争い、信三郎氏の敗訴が確定。信太郎氏は、同社の製造部門を請け負っていた「一澤帆布加工所」と信三郎氏に工房の明け渡しを求め、京都地裁が仮処分を決定。3月1日に同加工所の社員らが退去していたが、店舗では4日まで営業していた。
店舗には4日夜から、「本日の営業は終了しました」との札がかけられたまま。6日は客が訪れると、店員が出てきて「しばらく休業状態です。今月中は再開できません」などと説明した。
信太郎氏は「在庫がなくなったという話は聞いたが、社員と会って話す機会がないので内情がわからない。再開のめどもわからない」。
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■無残というか、あきれた結末である。■信太郎氏、職人さんの大半が 信三郎前社長について 会社をはなれてしまい、製造をうけおわない姿勢を維持するだろうことが、予想できなかったのだろう。■かりに、「新生=にたものブランド」を生産できる陣容をととのえられたとして、もとのブランドに信頼をおいた消費者が、「新生=にたものブランド」をかいもとめるとは、到底おもえない。
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一澤帆布工業:社長解任で、かばん製造販売は当面ストップ
人気ブランドかばんの「一澤帆布(いちざわはんぷ)工業」(京都市東山区)で前会長の三男・一澤信三郎社長が解任され、信三郎氏は24日、別のブランド名でかばん製造を始める方針を表明した。従業員の大半が既に同氏とともに同社を離れており、「一澤帆布」ブランドの製造販売は当面ストップする見通し。
同社では株式の3分の2超を相続した前会長の長男・信太郎氏と四男が昨年12月に信三郎氏を解任し、代表取締役に就任した。しかし、信三郎氏側は、同社の製造工場を賃借する有限会社「一澤帆布加工所」に製造部門の従業員65人全員を転籍させ、解任後もかばん製造を継続していた。
信太郎氏側が申請した工場の明け渡しを求める仮処分を京都地裁が認めたため、信三郎氏は期限の3月1日までに応じる方針で、「従業員と共に新ブランドのかばんをつくる。新たな工場を探して製造体制を整えたい」と話した。
信太郎氏側は「一澤帆布工業に損害を与える」として、類似かばんの製造差し止めなどを求める法的手続きをとる意向。「戻る意思のある従業員を受け入れるなどして『一澤帆布』のかばん製造を続けたい」と話すが、人材確保など課題も多い。【太田裕之】
毎日新聞 2006年2月25日 10時58分
加工所側が工房明け渡し 東山の一澤帆布工業 在庫品限りで休業へ
人気かばんブランドで知られる一澤帆布工業(京都市東山区)の経営権をめぐる問題で、同社工房でかばん製造を行っていた一澤帆布加工所が1日、京都地裁の仮処分命令を受けて工房を明け渡した。現在、かばん製造がストップしているため、同工業本店(同)は在庫品限りで休業する見通しとなった。
加工所は昨年3月に設立され、工業の8割以上の社員が移って全商品を製造。現経営者の一澤信太郎氏側は、弟で前社長の一澤信三郎氏が職権を乱用して事実上支配する加工所を設立したとして工房建物の明け渡しを求め、今年2月16日に京都地裁が現経営者の主張を認める仮処分決定をした。
今後、信三郎氏は加工所社員とともに新ブランドでのかばん製造販売を計画。先週から製造を休止しているが、信三郎氏は「移転先はほぼ決まり、4月にも新ブランドでの販売を始めたい」としている。
一方、信太郎氏は「加工所の社員やかつての従業員にも工業への復帰を呼びかけたい」とするが、当面は新たな商品供給がないため、かばんの在庫がなくなり次第、営業を休止する方針。全国に知られる「一澤帆布」ブランドのかばんは、今後の製造販売のめどが立たない状態に陥っている。
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という報道が、先月下旬以降ながれていた。
■「「一澤帆布工業に損害を与える」として、類似かばんの製造差し止めなどを求める法的手続きをとる意向。「戻る意思のある従業員を受け入れるなどして『一澤帆布』のかばん製造を続けたい」とのべていたそうだが、制作者のほこりと消費者心理にささえられたブランドの本質を全然理解していない、やすっぽい金融屋というほかない。
■それにしても、京都地裁をはじめとして、裁判官の鑑識眼の「ふしあな」ぶりも、無残だ。■法律しか勉強してこなかった、単なるガリ勉タイプだったのだろう。法解釈学と事務能力のたかさは、最低限確保されていなければ、法務官僚として職務をまっとうできないが、人物の品性の鑑識眼、そして文化資本のまっとうな評価力がない法律家にふりまわされたのでは、文化産業は、たまらんね。■司法研修所がらみの研究期間、法務の実務現場をみてまわるだけじゃなくて、数年ぐらい社会勉強とかねた「修行」が必要じゃありませんか? 法律以外の「社会」と「人間」を、まっとうに位置づける基礎力をやしなうために。
同社では、亡くなった先代会長の遺産相続の遺言をめぐって、前社長で弟の一澤信三郎氏(57)と信太郎氏が訴訟で争い、信三郎氏の敗訴が確定。信太郎氏は、同社の製造部門を請け負っていた「一澤帆布加工所」と信三郎氏に工房の明け渡しを求め、京都地裁が仮処分を決定。3月1日に同加工所の社員らが退去していたが、店舗では4日まで営業していた。
店舗には4日夜から、「本日の営業は終了しました」との札がかけられたまま。6日は客が訪れると、店員が出てきて「しばらく休業状態です。今月中は再開できません」などと説明した。
信太郎氏は「在庫がなくなったという話は聞いたが、社員と会って話す機会がないので内情がわからない。再開のめどもわからない」。
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■無残というか、あきれた結末である。■信太郎氏、職人さんの大半が 信三郎前社長について 会社をはなれてしまい、製造をうけおわない姿勢を維持するだろうことが、予想できなかったのだろう。■かりに、「新生=にたものブランド」を生産できる陣容をととのえられたとして、もとのブランドに信頼をおいた消費者が、「新生=にたものブランド」をかいもとめるとは、到底おもえない。
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一澤帆布工業:社長解任で、かばん製造販売は当面ストップ
人気ブランドかばんの「一澤帆布(いちざわはんぷ)工業」(京都市東山区)で前会長の三男・一澤信三郎社長が解任され、信三郎氏は24日、別のブランド名でかばん製造を始める方針を表明した。従業員の大半が既に同氏とともに同社を離れており、「一澤帆布」ブランドの製造販売は当面ストップする見通し。
同社では株式の3分の2超を相続した前会長の長男・信太郎氏と四男が昨年12月に信三郎氏を解任し、代表取締役に就任した。しかし、信三郎氏側は、同社の製造工場を賃借する有限会社「一澤帆布加工所」に製造部門の従業員65人全員を転籍させ、解任後もかばん製造を継続していた。
信太郎氏側が申請した工場の明け渡しを求める仮処分を京都地裁が認めたため、信三郎氏は期限の3月1日までに応じる方針で、「従業員と共に新ブランドのかばんをつくる。新たな工場を探して製造体制を整えたい」と話した。
信太郎氏側は「一澤帆布工業に損害を与える」として、類似かばんの製造差し止めなどを求める法的手続きをとる意向。「戻る意思のある従業員を受け入れるなどして『一澤帆布』のかばん製造を続けたい」と話すが、人材確保など課題も多い。【太田裕之】
毎日新聞 2006年2月25日 10時58分
加工所側が工房明け渡し 東山の一澤帆布工業 在庫品限りで休業へ
人気かばんブランドで知られる一澤帆布工業(京都市東山区)の経営権をめぐる問題で、同社工房でかばん製造を行っていた一澤帆布加工所が1日、京都地裁の仮処分命令を受けて工房を明け渡した。現在、かばん製造がストップしているため、同工業本店(同)は在庫品限りで休業する見通しとなった。
加工所は昨年3月に設立され、工業の8割以上の社員が移って全商品を製造。現経営者の一澤信太郎氏側は、弟で前社長の一澤信三郎氏が職権を乱用して事実上支配する加工所を設立したとして工房建物の明け渡しを求め、今年2月16日に京都地裁が現経営者の主張を認める仮処分決定をした。
今後、信三郎氏は加工所社員とともに新ブランドでのかばん製造販売を計画。先週から製造を休止しているが、信三郎氏は「移転先はほぼ決まり、4月にも新ブランドでの販売を始めたい」としている。
一方、信太郎氏は「加工所の社員やかつての従業員にも工業への復帰を呼びかけたい」とするが、当面は新たな商品供給がないため、かばんの在庫がなくなり次第、営業を休止する方針。全国に知られる「一澤帆布」ブランドのかばんは、今後の製造販売のめどが立たない状態に陥っている。
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という報道が、先月下旬以降ながれていた。
■「「一澤帆布工業に損害を与える」として、類似かばんの製造差し止めなどを求める法的手続きをとる意向。「戻る意思のある従業員を受け入れるなどして『一澤帆布』のかばん製造を続けたい」とのべていたそうだが、制作者のほこりと消費者心理にささえられたブランドの本質を全然理解していない、やすっぽい金融屋というほかない。
■それにしても、京都地裁をはじめとして、裁判官の鑑識眼の「ふしあな」ぶりも、無残だ。■法律しか勉強してこなかった、単なるガリ勉タイプだったのだろう。法解釈学と事務能力のたかさは、最低限確保されていなければ、法務官僚として職務をまっとうできないが、人物の品性の鑑識眼、そして文化資本のまっとうな評価力がない法律家にふりまわされたのでは、文化産業は、たまらんね。■司法研修所がらみの研究期間、法務の実務現場をみてまわるだけじゃなくて、数年ぐらい社会勉強とかねた「修行」が必要じゃありませんか? 法律以外の「社会」と「人間」を、まっとうに位置づける基礎力をやしなうために。
老舗かばんメーカー「一澤帆布」を舞台に長男と三男が対決
坂田 亮太郎(日経ビジネス2009年6月26日)
……
実印が押されていない「第2の遺言書」
遺言書が複数存在する場合、民法の規定で日付が新しい遺言書が有効となる。そのため信三郎氏は第2の遺言書の無効を求めて2001年9月、京都地方裁判所に訴えを起こした。
第1の遺言書は巻紙に毛筆で書かれており、「一澤」の実印も押されていた。一方、第2の遺言書は便せんにボールペン、印鑑は「一沢」という認め印が使われていた。
最高裁まで争ったが、信三郎氏の主張は認められなかった。
……
第2の遺言書に書かれていた文字は、一部を除いて信夫氏の字によく似ていた。それは訴えを起こした信三郎氏も一時認めるほどだった。そのため「無効と言える十分な証拠がない」として第2の遺言書が「真正」とされた。用紙や印鑑などの外形的な要因よりも、筆跡が決め手となったのだ
最初の最高裁判決が出た2005年12月、一澤帆布の株を相続して筆頭株主となった信太郎氏が臨時株主総会を開催。信三郎氏や妻の恵美氏などの取締役は全員解任された。代わって信太郎氏が代表取締役に就任した。
……
裁判で勝った信太郎氏は店を手に入れることができたが売るものがない。そのため2006年3月に営業を停止せざるを得なくなった。
……
逆転勝訴の決め手は「さ」の字
2007年5月の京都地裁では信三郎夫妻側が敗訴したが、2008年11月の大阪高等裁判所では原告が逆転勝訴となった。信太郎氏は上告したが、2009年6月の最高裁で認められず信三郎夫妻側の勝訴が確定したのだ。
大阪高裁で逆転勝訴となった大きな要因は筆跡鑑定のやり直しである。今回、信三郎夫妻側は数多くの事件で筆跡鑑定を手がけた神戸大学の魚住和晃教授などの協力を仰いだ。
その結果、第2の遺言書の中で信夫氏本人の筆癖とは異なる文字が発見された。例えば、ひらがなの「さ」は従来と書き順が異なっていた。信太郎氏は、第2の遺言書を書いた当時の信夫氏は要介護状態にあり、筆癖の違いも変動し得る範囲内にあると主張したが認められなかった。