前回笹原氏が、「漢字の受容」という概念をもちだす姿勢に対して、「日本列島に亡命してきた、大陸・半島出身の知識層にとっては、クレオール的な意味での「日本人」意識の萌芽ぐらいはあったのかもしれないが、その当時に、「日本民族」とか「日本語文化」とかいった実体をナイーブに想定するような、知的に不誠実な態度は、いまどき通用しないはずである。■その意味では、「漢字の受容」というときの、動作主体は、一体なにものなのか? という、非常にヤッカイな問題が発生してしまう」と苦言を呈しておいた。
■当然、本書の12?3ページにかけての「日本人」「中国人」「渡来人」等の表現を「主語」とする記述は、集団を本質化(=ナショナリスティックに実体化)したものとして、とても客観的な解説とはいいがたい。■たとえば つぎのような表現は、「想像の連続体としての日本語」などで批判しておいた、日本イデオロギーの典型例といえよう。

 日本人は、紀元六世紀から七世紀にかけての推古朝のころから、本格的に隣の中国大陸や朝鮮半島から、儒教、仏教、道教といった思想、宗教などを受容してきたが、そこに常に介在したのがそれらの文献の中の漢字であった。つまり、日本人は、精神面においても、漢字の影響をつねに受けてきた。そのことは時をへだてて、幕末、明治期に西洋文化を受容する際に役立った、高度に抽象的・文化的な新漢語の発想の原点と見ることができる。
〔p.12〕
* ちなみに、「Wikipedia 渡来人」は、イデオロギー色がつよい記述で、笹原氏同様の、日本民族の実態視をおかしているが。
■さまざまな問題をかかえつつも、つぎのような辞典記述は、笹原氏の「中国人」概念よりもずっと客観的で信頼がおけるだろう。
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漢民族 (かんみんぞく) は、中国中華人民共和国香港マカオ)、台湾中華民国)で大多数を占める民族。中国では漢族と呼ばれ、中華人民共和国の全人口の92%以上を占める。漢人ともいい、華僑として中国を離れ、移住先に定着した人は華人と自称することが多い。

この言葉が用いられはじめたのは、19世紀以後で、満州人と区別するためであった。中華民族という呼称もみられる。中国の伝統思想によれば、漢族というのは人種というより、文化的な違いだった。異民族でも中国人の文化伝統を受け入れれば、漢族と看做したのであるが、これは漢民族自体が、多くの人種・民族の混合体として成立していった歴史を物語っていると思われる。

実際、中国の歴史は絶え間ない民族・人種の混合であった。
【中略】

 ……結果として、DNA的にみれば、漢民族は日本人的な均一性ではなく、たぶんにヨーロッパ人的な遺伝的バラエティを保持している。(もっとも近年の研究によれば、日本人もかなり大きな遺伝差があることが明らかにされつつある)
……
漢民族」『Wikipedia』

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■留学や朝貢関係による派遣で歴代中華帝国に渡来していった 層は、それが日本列島であろうがなかろうが、漢族とみなされていたわけだ。ちょうど、タテマエではあっても、現代のアメリカ帝国やフランス共和国が、米語・フランス語を満足にあやつれる(でれきば、一神教的発想を世界標準だと誤解できる人物)なら、市民としてむかえるように。■そして、留学僧や使節団の主要部分は、かなりの程度、大陸・半島出身の亡命貴族の「血統」であるとの、自意識を共有していたにちがいない。そういった経緯を無視ないし軽視して、ことさらに土着化を強調するのは、誤解をまねくだろう。■たとえば、つぎのような表現。

……しかし、漢文は、古典中国語であり、日本語とは文法構造を全く異にするものである。そこで、日本語の文法に沿って書かれた変体漢文が現れる。また、漢字に和語(やまとことば)を当てはめ、日本式の読み方を可能とした。これらは、朝鮮ではすでに行われていた方法であるので、渡来人に習ったものだったのであろう。
〔pp.12-3〕

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■文献学の専門家である以上、幕末、いや明治期の相当時期まで、東アジアの知識層が漢文で「筆談」が可能だったことを、しらないはずがない。■そういった前近代の知的空間を、現代的な国民国家のイメージを投影してかたるのは、まさにイデオロギー的といえるだろう。

【つづく】

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笹原宏之『日本の漢字』1」「」「」「」「」「」「