本田由紀氏の「ニート」概念図解の解析力をたかく評価しつつ、いわゆる「ひきこもり」層などに対する悪影響のおそれなど、批判的なことを数回かいたが、議論をさきにすすめることにする。
■本田氏が本書で提示した もうひとつの業績というべきことは、バブル経済崩壊後の1990年代後半以降の若年労働市場の動態をモデル化した点である。■本田氏は、「企業が新規学卒者の正社員(典型雇用)への採用を非常に縮小したこと」によって、「学校経由の就職」というルートが「量的に大きく後退」したとする
〔p.72〕。■しかも、本田氏は、こういった企業の採用行動の変化について、「バブル経済崩壊後の長期不況の影響」だけでは、説明がつかないとする〔同上〕
■本田氏は、?いわゆる「団塊ジュニア世代」が1990年前後に大量採用されたことを重視する。つまり、バブル経済崩壊後の長期不況は、団塊世代とジュニア世代という、人口層の巨大なコブが、企業の人件費負担をきわめておもたくしたというのである。■前者は50歳代という高賃金層として、後者はバブル景気による過剰採用層として〔pp.72-3〕
■?「このような企業へのプレッシャーをさらに増幅した別の要因は、1980年代から90年代にかけて、若い女性が働き続ける確率が高まった」ことだという
〔p.73〕。■「20歳代後半の女性の労働力率は、1980年時点では49.2%」にすぎなかったのに、「90年には61.4%へと急上昇し、その後も増大して2000年には69.9%に達して」いるという〔同上〕。■「「若い女性は正社員に採用しても、その多くが数年のうちに結婚などにより辞めていく」というそれまでの常識は、1980年代後半以降は通用しなくなった」と〔同上〕
■?しかも、この「二つの偶発要因の圧力がはっきりしてきたときと同じくして企業が直面したのは、グローバル経済競争の激化からくる人件費縮減の要請と、サービス経済化や生産サイクルの短期化からくる労働力の量的柔軟化の要請」だと。「これらはいずれも、安価で雇用を柔軟に調整できるアルバイト・パート・派遣などの非典型労働者に対する企業の依存を深めるという帰結を招くもので、企業の正社員採用抑制にとって、より根源的な要因としてはたらいていた」し、「このような企業の経営環境の変化という第三の要因は、日本だけでなくすべての先進社会が直面している、後戻り不可能な趨勢〔すうせい〕で……景気変動や人口構造などの短期的な条件が仮に解消されたとしても、依然として存続するもの」だと
〔p.74〕

■以上の3点をもって、本田氏は、1990年代以降の企業の採用行動は、ある意味さけられない構造の産物だったとのべているわけだ。■すごい。いきなり、構図が鮮明になった。

■しかしである。巨視的な労働経済学的分析としては、ただしいんだろうが、これは、企業がわの合理化の論理でもある。■はっきりいって、(A) 第3の世界化=人件費圧縮,(B)サービス労働化=流動的労働力への依存といった構図の激変はともかく、第1、第2の要因なんぞは、人事部あたりの採用のあまさということにつきるとおもう。■もちろん、このふたつに次元で採用ばたけの人材が、みんなうまくやったからといって、第3の要因を帳消しにできるほどの効果はみこめなかったんだろうが、「団塊/ジュニア」両世代の人件費圧力をかんがえたら、バブル景気でおどりくるっていたとはいっても、少々知恵をはたらかすひとがいていいはずだったし、女性の労働力率向上は、「雇用機会均等法
〔1985年〕などの動向をみて、当然中期みとおしを変更して 当然だったんじゃないか? 。■「若い女性は正社員に採用しても、その多くが数年のうちに結婚などにより辞めていく」といった時代錯誤的意識を1990年代にはいっても、あらためなかったオヤジたちの、アタマのカタサというか、女性蔑視の深刻さを 見事に、うきぼりにしているではないか?
■気になるのは、「勝ち組」としての本田氏の、巨視的構図への、冷淡な視線である。これでは、まるで、いまのわかものたちの苦境が、均等法世代のキャリア志向の女性のせいみたいじゃないか? オヤジたちの想定外の行動をとった彼女たちのね。■もうちょっと、人事部門のオヤジたちの、性差別意識をたたいでいいんじゃないか? 巨視的に冷静に、っていうたちばをかたくなにまもると、団塊世代/ジュニア世代バッシングや女性バッシングに悪用されるとおもうし、うえの3要因を強調したら、当時の人事ばたけのオヤジたちは、ないてよろこぶだろう。


【つづく】

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