■アジア太平洋戦争を、作家の長山靖生 氏は、軍官僚が自転車操業的に ひきのばしを はかってしまった公共事業と評した( 『若者はなぜ「決められない」か』ちくま新書)。■そして、戦争と原発を、同類の愚劣な公共事業と批判したのが、Nobuo Kasai
氏である。■本来、「転載」というかたちで、転写すべきだろうが、より印象的なコピーと、ハラナがかんがえたという、うぬぼれを、おゆるしいただきたい。

2006年03月14日
第101回 大東亜共栄圏構想と核燃料サイクル構想

いま日本で推進されている核燃料サイクル構想は、まるで戦前の大東亜共栄圏構想と似ていて、画期的なプロジェクトのように見せかけた、誇大妄想体系である。

欧米植民地支配からの「解放」というスローガンは、石油エネルギー依存からの「解放」になぞらえられる。
太平洋戦争が、国家主義・軍国主義的な思想が暴走して突入したという理解は、日本の原子力がエネルギー利用計画に基づいて推進されてきたという理解と同じ間違いである。

太平洋戦争は財閥や資本家によってプロモートされたのである。(もっとも最大の資産家は天皇家だった。)
昭和初期の一連のテロは財界・資本家がスポンサーだった。右翼や青年将校たちの思想は彼らに利用されただけなのである。彼らには「南進」がどうしても必要だった。
けっきょく彼らは「南方」のエネルギー・資源と同時に「食いぶち」である軍需産業の興隆も手に入れた。

方や原発は、一基作ると約6000億の金が動くといわれている。キング・オブ・公共事業だ。これに政治家と癒着業者の食指が動かないはずがない。そして電気もついでに生んでくれる。
温暖化の問題も含め、あたかも環境・エネルギー問題が解決するかのような原子力の見せかけは、利権を覆い隠すのにあまりにおいしい。そうやって日本には55基目ができようとしている。

廃棄物の処分のことも考えずに原発を稼働させたやりかたは、あとさき考えずにテロや戦争を仕掛けるやりかたと同じである。

財界の当座の利益のために、次々と見切り発車をしては致死的な問題を先送りし、遂に行き詰まって、あてのない遠大な構想で弥縫したのが「大東亜共栄圏構想」であり「核燃料サイクル構想」である。

破局へ突進する構造はどちらも同じである。

財界、そしてその傀儡である「国策」。これらが未来に対していかに盲目であるかを認識すべきだ。

石橋湛山は戦前、朝鮮、台湾、樺太も捨て、満州から手を引けと主張した。これほど現実的な道はなかった。しかしだれも相手にすらしなかった。そして破局へ突進した。

原発を今すぐぜんぶ止めろ。これも同じようにほとんど誰からも相手にされない主張である。

しかし今、これほど現実的な道はない。

今度の「破局」はホントの「破局」であり「次」はない。



現実的に止めるとなると順番はある。六ヶ所核再処理工場、浜岡原発、もんじゅ、という具合に。しかし、ぼくは今の原子力政策は日本の全身病であると考えている。

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■この一文を、エネルギー政策の関係者と、一家言をもつと自負するひとびとは、写経すべきである。一点のくもりもなく、冷静に反論をかえせるか、むねにてをあてて かんがえるとよい。■この議論を、狂気とせせらわらう連中の思考回路は、戦時中の軍官僚や軍需資本首脳部と大差ない。

■「チェルノブイリ」など、機能不全をしでかした旧ソ連のような、非合理な体質が、日本にあるはずがないと、うそぶく技術者・研究者は、「東海村JCO臨界事故」や、「美浜発電所蒸気漏れ事故」が、大したことがない事故なのだと、しろうとにもわかるように、説得力のある説明をしてほしい。■ハラナは、すくなくとも うけた記憶が全然ない。■「国際原子力事象評価尺度(INES)」によれば、前者はレベル4:事業所外への大きなリスクを伴わない事故」であり、後者は「レベル0:尺度以下(安全上重要ではない事象)」なんだそうだが、ホントにそうなのか? ■すくなくとも、「放射線がからんでいないから、美浜発電所の蒸気漏れ事故は、『安全上重要ではない事象』」なんて すましていられる技術者ってのは、巨大科学技術の悪魔的な危険性にマヒしているとしかおもえない。

……事故当時、現場のタービン建屋内では、定期点検の準備の為、211名が作業をしており、問題の配管室内には11名の作業員がいた。事故発生に伴い、11名のうち4人が死亡、7人が重軽傷を負った。死亡した4名の死因は全身やけどおよび、ショックによる心臓停止とのこと。また、事故から17日目の8月25日には、全身やけどを負っていた作業員が死亡し、この事故での死者は5人目となった。尚、美浜発電所の加圧水型原子炉は、放射能を一次冷却系にとどめることが出来る設計の為、この事故での被曝者はいない。

■こういった、被爆者さえいなければ、大した事故ではないといわんばかりの「専門家」の発想は、「現場では、たまには犠牲者がでるのはしかたがない」といった、非常に不謹慎、ふざけた技術文明論に無自覚にたっているのであり、即刻、現場から退場すべきである。■現場労働者の人命・人権を軽視できる感覚は、「ヒヤリ/ハッと」の「おもてむき軽微にみえるが、実は未遂の大事故」をゆるすようなシステムしか構築しないはずだし、「そんなことを気にしていた文明生活はできない」といった、さかだちした論理をかかえているにきまっているのである。■そういった連中に「専門家だから、しろうとはまかせておけ(だまっておれ)」とか、ほざく権利はない。そういった連中に、リスク管理をまかせるような義務を、市民はおっていないし、税金を投入していかしておくリクツなど皆無だ。
■「ぎゃあぎゃあ、さわぎなさんな。大丈夫大丈夫」という、セリフは、ききあきた。■バカたかい「公共事業」をつづけたいんなら、ちゃんと説明責任をはたしてからにしろ。アンタたちの、やばいギャンブルに、かける義理など、ない。■第一、われわれの血税をどうしてくれる。さんざん しぼりとった あげくが無理心中では、極道ならぬ チンピラ・ヤクザ=ヒモではないか?


■ちなみに、引用したKasai 氏の一文は、原田和明「水俣秘密工場」のシリーズ記事と、あわせて味読すべきである。■ヒトを道具=ロボットとみなしがちな、あさはかな経営者・管理者が、はなはだしい カンちがいと うぬぼれに ひたっているのと同様、異民族や地域を 「搾取可能な自然環境」と同列視する差別は、現代の都市住民に共有される集団的な精神病理である。■動物実験に鈍感な人物が、人体実験にも鈍感になりがちなように、ヒトを自分たちの安楽のために手段視する層=都市住民の大半は、自分たちと同類の階層・身分の人間にしか想像力がはたらかなくなる。
■技官たちの、おろかな公共事業計画をゆるしてしまうのは、「おかみ」意識と身分意識の なごりにほかならない。

【関連サイト】『STOP!再処理 ネットワーキング