■本来、これは、「国家・ナショナリズム」論や、「技術文明」に分類すべきかもしれないが、環境問題については、一貫して「リスク論」におさめてきたので、それにしたがう。
■きょう発見したのは、『こども省』(生活環境化学の部屋:県立新潟女子短期大学/生活科学科生活科学専攻/本間善夫研究室)という、啓発日記。■先月末の「明日は水俣病公式確認50年」は、かなりの情報の質/量をほこっているとおもう。■もうすでに「リンクぎれ」になってしまっている新聞記事なども少々まじっていることを、わりびいてもね。■やはり、新潟水俣病の、おひざもとだっただけのことはあると、おもった。

■ハラナがベスト10といった感じで リンクをえらぶなら

水俣病:医師らが共通診断基準作成 司法救済制度に弾み〔毎日新聞 2006年4月15日 21時29分 (最終更新時間 4月16日 0時19分)〕
水俣病のいま:公式確認50年/1 見えない「失敗の本質」〔毎日新聞 2006年4月26日 東京朝刊〕
水俣病確認5年前に有機水銀の流出予見 チッソ報告書〔朝日新聞 2006年04月30日09時07分〕
社説 水俣病公式確認50年 決議より具体的な救済策示せ〔熊本日日 2006/05/01〕
「チッソに間違いないけどね」付属病院医師、公表できず苦悩〔読売新聞九州版 2006/05/01〕
水俣病のいま:公式確認50年/4 同じ轍踏んだ「石綿」〔毎日新聞  2006/05/01 東京朝刊〕
全面救済ほど遠く 水俣病50年 与党駆け引きで迷走 いびつな対策、追認続く〔西日本新聞朝刊= 2006/05/01 10時12分〕
水俣病関連資料の公開にあたって」〔熊本大学附属図書館 2006/05/01〕

はてなマップで見るアスベスト問題と新潟水俣病
◆ 水俣病 ◆ 《新潟水俣学の模索》

■このなかで、さらに いずれ「リンクぎれ」となってしまうだろう新聞記事を一部引用しつつ、たぶんあたらしいだろう論点を少々提示したい。
■まず、『朝日新聞』による「水俣病確認5年前に有機水銀の流出予見 チッソ報告書

 水俣病公式確認の5年前の51年、水俣病を引き起こした有機水銀を含んだ廃液が、工場外に流出することを予見したチッソ水俣工場の社内報告書が見つかった。同社の汚染責任は73年の1次訴訟判決で確定したが、「使ったのは無機水銀で、工場内での有機水銀の発生は予見できなかった」と主張していた。熊本大は59年7月に「有機水銀説」に到達するが、報告書は、原因究明の時間が空費されていた可能性を示している。
 朝日新聞が入手した報告書は、東京大卒業後の49年に入社した塩出忠次氏(04年死去)が51年4月20日付で技術部に提出した「鉄系助触媒によるアルデヒド製造試験報告 第一報」。B5判、12ページ。複写するためカーボン紙が使われている。
 プラスチックなどの可塑剤の原料となるアセトアルデヒドの製造工程では、無機水銀がアセチレンを加えると有機化することが、戦前から国際的に指摘されていた。
 工場幹部は、合成中に触媒である無機水銀の働きが鈍るため、鉄を「助触媒」とする研究を塩出氏に命じた。
 報告書によると、鉄の働きを維持するために硝酸を入れると、次のような現象に直面した。
 「即(すなわ)ち急激な発泡をなし、此(これ)にともなひ液とともに排気煙突よりあふれ出すことが再々であった」。装置の上部から、有機水銀を含んだ液体があふれ出して床に流れ落ち、排水溝から外に出るというのだ。
 塩出氏は前年の工程試験で、合成中に有機水銀化合物ができることを報告していた。51年報告書では、実際に製造を始める前の試験で廃液の流出を確認し、対策を打ち出した。だが、塩出氏は「水銀回収がうまくいかない」と会社の対応への懸念を家族に漏らしていた。二つの報告書は長く社外に出なかった。
 チッソは51年夏、鉄を助触媒に増産を始め、公式確認の56年には生産量が約2.5倍になった。
 59年7月に熊本大が出した有機水銀説に対し、工場は「そうした事実は現在まで確認していない」と反論。塩出氏は家族に「会社の説明は現実と違う」と語っていたという。
 報告書を分析した飯島孝・元岐阜経済大教授(75)=技術史=は「チッソは公式確認半年後の56年秋に、水俣病が重金属中毒と疑われた時点で有機水銀を疑い始めたはずだ」と指摘している。

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チッソが、ウソつき企業であることは、公然たる事実だが、「転載:原田和明「水俣秘密工場」15-6」で紹介したとおり、「1951年に行なった水俣工場のアセトアルデヒド工程の変更が劇症型水俣病を発生させた原因となった」という当初から、問題の所在にうすうす きづいていたとしか、かんがえられない。すくなくとも、有機水銀の流出については、充分自覚的だった。

■そして、つぎは『読売新聞』による「「チッソに間違いないけどね」付属病院医師、公表できず苦悩

 1日で公式確認から50年を迎える水俣病。この公式確認とは、1956年5月1日、チッソ付属病院(熊本県水俣市)の院長だった細川一さんらが、「原因不明の脳症状を呈する患者4人が入院した」と水俣保健所に報告したことを指す。
 その日から約3年半後、細川さんは独自の実験で、チッソの工場排水が水俣病の原因との強い確証を得ていた。しかし、その実験結果を公表できず、生前の細川さんを知る人は、「医師とチッソ幹部という立場の間で苦悩していた」と打ち明けた。
 公式確認翌年の57年、細川さんは水俣病の原因を解明するため、様々なエサを猫に食べさせる実験を始めた。このうち、チッソの工場排水をかけたエサを59年7月から食べていた「猫400号」が、2か月半後にけいれんを発症。「原因は工場排水に含まれる」と判断した細川さんは、結果を会社に報告した。
 ところが、会社側は実験結果を公表するどころか、実験の中止を命じた。細川さんは実験結果を記していたノートに、「排水の研究をけられた」と悔しさをぶつけた。そして、公表できる日に備えて、ひそかに研究を続けた。
 「もう1回行ってくれ」。病院長の専属運転手だった坂本良行さん(76)(水俣市)は、細川さんに頼まれるたび、水俣湾に工場排水が垂れ流されていた百間排水口まで車を走らせた。どろどろに汚れ、死んだ魚が浮かぶ海を見ながら、細川さんは「チッソに間違いないけどね……」と、何度もつぶやいた。
 「(猫の)実験結果は59年に(会社側に)報告した」――。チッソを退職し、東京都内の病院に入院していた細川さんは70年、胸の奥にしまい込んでいた事実を初めて社会に向け語った。患者約110人がチッソを相手取って総額6億4000万円の損害賠償を求めた訴訟(第1次訴訟)の証人としての発言だった。
 「『チッソは排水が原因と知りながら68年まで流し続けた』という、事件の真相を語る最大の証拠でした」。臨床尋問にあたった弁護士の坂東克彦さん(73)(新潟市)は、細川証言の意義をこう評価する。裁判は原告の勝訴となり、チッソの過失を司法の場で確定させた。
 証言の3か月後、細川さんはもう思い残すことはないかのように、静かに69年の生涯を閉じた。
 長女の井上静子さん(67)(横浜市)は、「『東京の病院に来ないか』という誘いを何度も断って、父が水俣に残ったのは、『患者を助けたい』『原因を突き止めたい』という一心からだったのでしょう」と亡父の心中に思いを寄せた。

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■細川院長という人物は、良心をまもりぬけた、それこそ ありがたい人物だ。■しかし、薬害エイズ事件の例をかんがえあわせても、業務上過失致死罪として、刑事被告人となっても、なんらフシギでない「共犯者」である。■もちろん、原告弁護団がわの証人となり、チッソをおいつめた第一の功労者ともいえる人物ゆえ、患者・家族たちが、減刑をもとめる嘆願書をかいたにちがいない。■しかし、どんな事態が、生理学的・疫学的にくりかえされているか、もっとも具体的に理解している科学者として、事実の封印に加担しつづけた罪科はきえさらないのだ。■ご本人の良心の根源は、この良心のうずき、のがれようのない罪悪感だとおもう。したがって、細川医師を美化するのは、まちがいで(ご本人も、のぞんでいないはず)、むしろ、権力にまけ、保身にはしってしまった、よわい人物の「つみほろぼし」の物語として理解するのが、よかろうとおもう。

■さて、ハラナ個人は、うえにあげた薬害エイズ事件の刑事訴訟について、業務上過失致死で起訴するという検察の姿勢自体に、あやまりがあったとおもっている。■ハラナがみききしたのは、あくまで状況証拠だが、当時の学説の展開をみるなら、安部英もと帝京大学副学長らは、「未必の故意」による殺人容疑で起訴すべき本質をかかえていたとおもう。■それはともかく、水俣病に関しては、細川医師自身が、「未必の故意による殺人」容疑にあたるとおもう。いや、薬害エイズのように、「楽観主義」にたって、おのれに不利な情報にみみをふさいだかもしれない 安部らの葛藤の存在をくむなら
〔すくなくとも、安部らは「患者をすくえたら」とは ねがって判断をくだしたからね〕、細川医師のばあいは、「死んでもしかたがない」「自己批判=内部告発しないことで、事実上間接的に殺人に加担している」という、罪悪感に10年以上もくるしめられていたはずなのだ。■つまりは、さまざまな証言は、内部告発であると同時に、「自首」的な本質をかかえていたと。

■以上は、細川医師をおとしめるための議論ではない。ハラナも おなじたちばにあったら、大差ない選択をしていたとおもうからだ。■問題は、細川医師らをだまりこまらせた チッソという企業、それに加担した行政と、御用学者の連中の「共犯連合」の犯罪性だ。■つけくわえるなら、そういった権力犯罪を構造的にくりかえす企業に経済的に依存し、共犯関係をズルズルつづけてしまった企業城下町の住人たちだね。その一部には、もちろん水俣病の当事者・家族がふくまれるので、非常に むごい いいかただ、という自覚はもちろんあるが。
■それでも、表題をいま一度くりかえそう。「水俣病とは未必の故意による大量殺傷事件だ!

■ちなみに、「徳仁親王妃雅子の祖父・江頭豊日本興業銀行から転じ、1964年-1971年にチッソ社長、1971年以後は同会長を務めている」といった「エピソード」は、単なる「2ちゃんねる」ネタのようにみえるが、そうではない。■ながい混乱をへて開港した成田空港の建設予定地としてからんだ「宮内庁下総御料牧場」などの例をみても、日本民族を象徴すると目されている皇室は、地域住民の生活を根底から破壊してしまうような権力犯罪と、いつも よりそっているのである。皇族の構成員各人には、全然悪意も過失もないのだが、閨閥という婚姻ネットワークが政治経済上の権力の源泉のひとつであることは、うたがえない〔「Wikpedia 正田 建次郎」〕。■まあ、叙勲制度が「国事行為」のひとつして規定され「日本において勲章は、天皇の名で授与される」という以上、天皇がイヤイヤをするわけにはいかないだろうが、勲章をうける連中に、ロクでもない人士が大量にまぎれこんでいる(一説には、大半が(笑))ことからしても、日本列島の住民の日常生活を汚染・破壊する巨大なリスク要因のひとつであることは、明記しておこう。