■「托卵……されても……ひたすらエサをあたえつづける鳥類のような、本能的かいがいしさをもちあわせず、しかし……本能以外では到底ムリなしに維持できない、非常に過大な育児負担……をしいられる、という、きわめて皮肉な逆説」にたえつづけている、ヒトのオヤたちは、いわゆる育児イデオロギーだけに、つきうごかされているのか?と、前回「ヒトは なぜ こそだてするか?1=差別論ノート27」でといかけたが、ムッとした読者がいるかもしれない。■しかし、野生動物の例外的な育児放棄(初産のばあい、まわりに育児モデルがないと、ほ乳類のばあい、そこそこあるようだが)とちがって、ヒトは刑罰や戒律で規制しないと、かなりの確率で「こごろし」「育児放棄」をやらかす存在であることは、古今東西の歴史事例から普遍的事実というほかない〔エリザベート バダンテール 『母性という神話』ちくま学芸文庫〕。■いわゆる「母性本能」*といった実体はヒトには存在しない。エミール・デュルケームにならって、巨視的な統計上の自殺現象を「社会的事実」ととらえるなら、「こごろし」「育児放棄」もまた「社会的事実」であって、保護責任者とされる人物の個人的資質の問題の次元にはないとみるべきだ。
* 生物学では、「○○本能」といった用法はないそうだが。

■つまり、「自殺」という現象群が「殺人」という社会的事実の特殊ケースであるように、「こごろし」も「殺人」の特殊ケースであり、「いじめ」「暴力」「遺棄」という社会的事実の特殊ケースが「虐待」「育児放棄」なのだと、かんがえられる。■精神障碍などによる発作的は「こごろし」「遺棄」以外に「こごろし」「育児放棄」等がないような社会はありえないし、それが例外的にすくない社会は、逆に異様な時空ともいえそうだ。
■このようにかんがえてくると、「ヒトは なぜ こごろし(虐待・育児放棄)をするか?」といった問題のたてかた自体が、まちがっているとおもわれる。■社会学的・人類学的・教育学的・心理学的・小児科学的には、「ヒトの大多数は なぜ こごろし(虐待・育児放棄)をおもいとどまれるか?」でないと、いけないのではないか?

■これをとく、ひとつのヒントは、動物行動学の確立者のひとり コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz, 1903-89)が提起した、「幼児図式(Kindchen-Schema)」である(「子供はなぜ可愛いか」)。■おおざっぱに、ローレンツ先生の議論をまとめてしまうなら、
?身体に比して大きな頭
?前に張り出た額をともなう高い上頭部
?顔の中央よりやや下に位置する大きな眼
?短くて太い四肢
?全体に丸みのある体型
?やわらかい体表面
?丸みをもつ豊頬

といった、外見上の特徴が、鳥類・ほ乳類の幼体に共通していることで、攻撃性が封印され、保護感情がかきたてられる生得的プログラムが推定できるというわけだ。■攻撃性が封印されるっていうのは、オオカミがケンカしたときに、まけたがわが、「まいったポーズ(ノドとハラをあらわに、あおむけにねてしまう、あえて致命的攻撃を容易にする姿勢)」をとることで、勝利者がわは、ケンカによって誘発された「いかり」「攻撃性」が封じられてしまうというのと、にている。■つまり、弱点をさらすことが、攻撃性解除の装置を封じてしまうのと、おなじく、「こいつは、成体とちがって よわよわしい個体だから、せめるな(死なせてしまうぞ)」という、「天のこえ」が、暴力行使をおもいとどまらせると。■盲人に児童虐待がおおいなんて はなしは、きいたことがないので〔まあ、そんな悪質なうわさを、とばすやからは、いないかもしれないが〕、たぶん、乳幼児の発する、おさない発声も、これにくわわっているだろう。

■これらは、動物が動物園などに収容されると、ストレスで「こごろし」や「育児放棄」になりやすいことをかんがえあわせると、ヒトという種にも、このメカニズムが一応くみこまれており、しかし動物のなかで、もっとも よわく不安定なかたちでしか 作動しないために、各社会が集合無意識ともいうべき水準で、育児イデオロギーを共有し「注入」すべく、制度化をつづけてきたのだと、かんがえられる。■ほんのすこしでも、育児規範がゆるんで、攻撃性・怠慢が恒常化すれば、あっというまに、小集団は消滅にむかうからだ。
■このようにかんがえてくると、日本をはじめとする先進地域社会に共通する少子化傾向とは、福祉政策の貧困や育児コスト(経済的・心理的)の増大だけでは説明しきれず、「うめよ、ふやせよ」イデオロギーの弱体化を加味しないといけない気がする。■うえにはりつけたリンク「嬰児殺(赤ちゃん殺し)と幼児殺人被害者数統計」でもわかるとおり、すくなくとも日本列島の住民は、殺人・レイプなど凶悪犯罪とならんで、以前より激減傾向が「社会的事実」としてみとめられる以上、この時空が以前より暴力的になったはずがない。■平均値=巨視的次元では、あきらかに暴力性は激減し低次元安定型というべきだから、育児イデオロギーの弱体化が「こごろし」「虐待」「遺棄」などにつながっているはずがない。

【つづく】


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