■女性たちが、男性うけをねらう戦略のひとつが「ブリっこ」だが、これが「少女」イメージの援用であることは、あきらかだ。■日本的な女性アイドルが、10代なかばでデビューし20歳すぎで「脱皮」「転身」しないかぎり、芸能界でいきのこれなかったように、そして、「Wikipedia 女性アイドル」が「狭義には、若者や子供に人気のある、可愛らしさや清純さ、あどけなさを特徴、またセールスポイントとした若手の女性タレントを指す」と、端的に指摘しているように、成熟した女性性とは距離をおいた点こそ、かのじょたちのセールスポイントであった。
■そして、これは前回「ヒトは なぜ こそだてするか?2=差別論ノート28」で展開したような、優位者の攻撃性誘発をさけ、保護感情をひきだすことで おそらくいきのびてきた乳幼児とおなじ動物行動学的産物といえるだろう。■実際、マンガの「萌え絵」とよばれる技法は、前回紹介したコンラート・ローレンツ「幼児図式(Kindchen-Schema)」のつぎの条件と非常にかぶる。
?身体に比して大きな頭
?前に張り出た額をともなう高い上頭部
?顔の中央よりやや下に位置する大きな眼
?短くて太い四肢
?全体に丸みのある体型
?やわらかい体表面
?丸みをもつ豊頬


1.目が非常に大きい
2.瞳(虹彩)が大きい
3.頭身が低い
4.手足が細い
5.鼻の簡略化(小さい)
6.顔が平面的
7.骨格や立体性が希薄

■現在の「Wikipedia 萌え」の記述からは削除されてしまったが、以前の執筆者は「余談ではあるが、動物行動学(エソロジー)の創始者コンラート・ローレンツによる「幼児の図式」(丸みを帯び、むくむくした形に対して動物は攻撃的衝動を抑えられ、慈しむ心が沸いてくる)という考えは、「萌え」の先天的な本能による衝動を指すものではないだろうか?また、フェチに代表される性的衝動等はこの「幼児の図式」の後天的な衝動であると言えなくも無い。」と、あきらかに意識していた。■つまり、男性たちのおおくは あきらかに、女性の 相対的な身体的劣位(暴力という次元での)を意識したうえで「かわいい」と感じており、それはまさに「可憐(かれん:あわれむべし)」という優越感の産物であった〔「「人は見た目が9割」??」〕。
■そういった動物行動学的な感情がひろく共有されているからこそ、20代後半の女性をつかまえて「オンナのこ」よばわりする風習がはびこってきたし、それをさかてにとって、さまざまな戦略・戦術が、自覚的・無自覚に女性たち、そして若輩の男性たちに、つかわれてきたとかんがえられる。■デズモンド・モリスらが問題化してきた、さまざまなボディ・ランゲージであり、「うわめづかい「こくびをかしげるしぐさ」などは、もちろん、たかいトーンで発声するとか、わざと幼児っぽい口調、「おねだり」行動をするなどである。■もちろん、物理的な行動だけにとどまらない。たとえば、「Wikipedia 天然ボケ」のつぎのような記述。

これと比較して、ブリッコカマトトなどの性格類型は、本人がその行動の効果を承知した上で意図的に行うため、第三者がそれと気づいた場合は、否定的な意味となる。「とぼける」とは通常は意図的な行為だが、天然ボケに関しては、意図的でないことをあえて強調するために「天然」という語が冠せられているものと思われる。女性の天然ボケが真に天然であるかないかを判断するのは男性には-場合によっては女性にも-難しい場合が多く、倉田真由美などは男性に好かれるタイプの天然ボケはほぼ全て計算ずくであると述べる。また、そのような女性は同性に嫌われるタイプともする。こうした天然ボケの演技を人工ボケとも称する。女性の天然ボケは、場合によっては同性の人気を買うこともあるし、男性が天然ボケを演じることで、周囲からかわいがられようとする行為もないことはないが、サブカルチャーにおいては、萌えの一要因と見られるなど、男性の視点による女性の魅力とみなされる傾向が強い。

■乳幼児たちが、進化上の淘汰圧にまけずにいきのこるために、いいかえれば「生理的早産=過大な育児負担」というマイナス要因をカバーするために、おそらく洗練させてきたのは、外見上のみならず、コミュニケーション行動で露呈する「計算のたりなさ」=「あどけなさ」であった。■そして、その戦略をほぼぬすむかたちで、男性性による暴力からみをまもる防衛手段を洗練化させてきたのが、女性たちだったとえいるだろう。「天然ボケ」の自覚度の大小、同性のツッコミのきびしさも、近親憎悪としかおもえない。同性をせめるかのじょたち自身、過去に「いさぎよく」禁じ手にしきれずに、「逃避」する経験があってこその、苛烈さだとおもわれる。■「天然ボケ」をかわいいと感じる男性が多数おり、「女史タイプ」の女性が敬遠されてきたことは、東大卒(在籍)女性などへの男性たちの屈折した態度に端的にあらわれている(笑)。■こういった構図を端的に活用して生業化してきたのが、水商売や女性秘書たちだったことは、いうまでもない。前者は適当に「ボケ」、後者は「ボケ」を演じずかつ「ですぎず/できすぎず」を死守することで成立する。
■女性たちのファッション・化粧が、成熟した女性(母性系/自律系/女王系……)の路線をえらぶのか、それとも少女系をえらぶのか、ユレがかいまみられるのも、そして男性との関係性(父親/上司/カレ……)において実年齢とは別個の相対的年齢差がつねにまとわりつくのも、以上のような生存戦略と無縁ではなかろう。
■電話や接客のときに、ハイトーンにきりかわる女性の戦術はもちろん、いわゆる「女性ことば」もね。■欧米の女性が、ひくく発声するって文化は、その意味で「オトコにこびていると、おもわれたくない」というフェミニズムの刻印=定着ぶりのあらわれであり、ハイトーン/「?わよね」調の日本のコトバの女性性は、日本女性の敗北の象徴ではないか?
■逆に、女子中高生の「オトコことば」、わかものの「タメぐち」の台頭は、日本の本質的民主化=個人の尊厳と自由・平等の時代の予兆かもしれない(笑)。■もちろん、わかい女性たちが30代以上の男性とつきあうとき、「オヤジ」といった蔑称でつきはなすのではなく、「おじさま」という尊称をもちいることもしばしばあるようだ。それは、愛人関係で「パパ」とあいてをよぶときの延長線上にあるわけ(家族呼称の血縁外への援用)で、「革命へのみちのり」は、意外にけわしそうだ(笑)。■オトコが演じる「女形(おやま)」をふくめた女性性を演じるという、かなりグロテスクな伝統芸能に女性ファンがおおいっていうのも、なんだかねぇ。


■と、はなしが女性差別にそれてしまったが、ホントに ヒトは、なんで「こそだて」をやめないんだろう?
【つづく】


【シリーズ記事】
差別論ノート」「」「」「」「」「」「」「」「」「」「10」「11」「12」「13」「14」「15」「16」「差別論ノート17:「ムダ」とは なにか?7」「18」「19」「20」「21」「22」「生活保護拒み餓死か=差別論ノート23」「気品の本質=差別論ノート24」「動物をかうことの意味2=差別論ノート25」「スポーツの象徴するもの=差別論ノート26」「ヒトは なぜ こそだてするか?1=差別論ノート27」「ヒトは なぜ こそだてするか?2=差別論ノート28