■読売新聞の沖縄版の企画特集の、特集「沖縄から」の続編。

<10>日米安保体制

【日米安保】1951年のサンフランシスコ平和条約が締結された際、旧安保条約が結ばれ、米軍は占領終了後も日本にとどまった。60年には新安保条約に改定された。この条約に基づく日米同盟は、旧ソ連を仮想敵国とした日本有事の際の共同防衛を目的とするものだった。だが、1996年の日米安保共同宣言で、冷戦後の情勢変化を踏まえて日米同盟を再定義し、アジア太平洋地域での日米関係の重要性を明記。さらに、米軍再編最終合意を受けた日米の共同声明は、アジア太平洋地域にとどまらず、「世界の平和と安全を高める上で」日米同盟が極めて重要としている。

 ◆県民に銃向ける「例外」 仲里効
「As Okinawa Goes,So Goes Japan」という言葉があったことを知っているだろうか。沖縄返還交渉にあたったアメリカ政府関係者が頻繁に使い、秘密文書にも暗号のように使われていたという。「日本は沖縄次第」という意味だが、アメリカの戦略的な思考のキーワードを見せられるようでなかなか興味深い。

 日本政府は沖縄返還交渉の成果を「核抜き・本土並み」と揚言していた。しかしその内実はまるで違った。施政権の「返還」はアメリカによる沖縄基地の「自由使用」と抱き合わせだったのだ。しかも有事の際の沖縄への核持ち込みやアメリカが払うべき賠償金を日本政府が肩代わりする「密約」があったことも、公開された米公文書で明らかにされている。「密約」はその後「思いやり予算」に引き継がれ、今回の「日米軍事再編」での在沖海兵隊のグアム移転や再編に伴う費用の理不尽なまでの負担の原形となっていることを改めて認識させられる。

 沖縄の「復帰・返還」は、いわば、日米同盟を定位する安保条約の変質の鍵であったということである。そしていま、その変質は、軍事的グローバリズムの文体でリライトした5月1日の「米軍再編最終報告」によって決定的な段階に踏み出そうとしている。「As Okinawa Goes,So Goes Japan」は、決して過去のことではなかったことを知らされる。

 日米安保体制は、節目節目に沖縄を戦略的に利用してきた。最初は〈排除〉の対象として、二度目は〈包摂〉の対象としてである。戦後日本を基礎づけたサンフランシスコ講和・日米安保条約は、沖縄を日本の主権の〈外部〉に排除することによってはじめて可能となった。日本国憲法を特徴づける「平和主義」は、沖縄の占領の継続を抜きにしては語れない。沖縄が日米同盟の前景に呼び出された二度目は、いうまでもなく70年安保改定から沖縄返還にかけての転換期であった。

 ところで、では、日米安保体制とその要ともいえる米軍基地は沖縄にとっていかなる現実をもたらすのか。そのことをまざまざと見せつけたのは、ごく近い例でいえば、9・11以後、世界中に展開するアメリカ軍基地に最高度の戒厳を要する「コンディション・デルタ」が発令された時である。武装した米兵がゲートとフェンスを警戒し、その銃口は明らかに沖縄社会に向けられていた。そしてその米兵と米軍基地を外側から防衛するように、大量の応援警察官が本土から来沖し、二重にガードしたことである。半年も続いた戒厳の光景は、日米の同盟の原像と力学をも一挙に可視化してみせた。

 そして、2004年8月13日、沖縄国際大学の構内に普天間基地所属の大型ヘリが墜落・炎上した時の光景である。フェンスを飛び越えたアメリカ兵は事故現場を占拠した。ここでもまたあの二重のガードの輪が出現したのである。

 私たちが見たのは、ここ沖縄においては、アメリカ軍は「例外状態」を作り出し、それを仕切る特権を占有しているということである。武装米兵が前景化してみせた「例外状態」は沖縄の日常のなかに埋め込まれていることを、改めて気づかせることになった。

 極東の要石としての沖縄基地は、アメリカのアジア世界での軍事的なヘゲモニーを駆動させる、米韓、米比、米台などの二国間条約の〈結び目〉にもなっている。だが、この二国間条約・同盟は、ペンタゴンの「遠隔操作網」に組み込まれ、皮肉にも地域間の対立と齟齬(そご)の原因にさえなっているのだ。アジアでは「冷戦」は終わったわけではない。「冷戦」の文脈は、巧妙に延命させられ再定義されている。アジア諸地域がいまなお陥っている「二国間症候群」から抜け出し、相互関係を多元的に組み直す時である。

 そのために、「冷戦」によって封印された日本の植民地主義の傷と「帝国」の記憶にたじろがず向き合うことである。沖縄の歴史と体験は、その〈結び目〉にあるといってもいいだろう。「As Okinawa Goes,So Goes Japan」は、アジアの視点で発明され直さなければならない、と思う。

 ◆「植民地」論、脱するべき 高良倉吉

 沖縄のおかれた現実を指して「軍事植民地」と呼ぶ言い方をよく目にする。県民意思を反映しないところの、押し付けられ続ける基地負担の重圧に対し、心底からの批判を込めてそのように形容したいという気持ちは分からぬでもない。しかし、概念は正確に使うべきだと思う。

 アメリカ統治時代(1945?72年)のことを言うのであれば分かる。アメリカ国家が統治権を行使し、もっぱら軍事基地としての機能を確保するという目的の統治体制であったから、沖縄はアメリカにとっての「軍事植民地」だったとの規定は成り立つ。だが、今の時代の沖縄を指して「軍事植民地」と呼ぶとき、その言葉が目指すところの意図が私には全く了解できない。

 沖縄は、誰にとっての「軍事植民地」なのか。「軍事」機能を沖縄に押し付け、その機能を確保する術(すべ)として沖縄を「植民地」としている者は一体どこの誰なのか。ヤマト(沖縄以外の日本)だと言うのであれば、この答えは立論の段階からすでに破綻(はたん)している。なぜなら、憲法を頂点とするわが国の法秩序において、沖縄のみを差別化して、「軍事植民地」という地位に据え置くという反憲法的な統治体制は存在していないからだ。憲法の適用範囲にある沖縄居住の国民もまた、ひとしく政治的自由や基本的人権などが保障されており、政府批判を声高に叫ぶ自由をヤマト同様に対等に認められている。そのような状況のどこに、「植民地」と看做(みな)しうる制度的根拠が存在するというのだろうか。

 「軍事」、つまり基地問題をめぐる本質を直視せよと言うのであれば、「植民地」論に持ち込もうというイデオロギー性の当否はともかく、議論の余地はありそうである。

 おそらく論点は二つ存在する。一つは基地オキナワを規定する日米安保体制(日米同盟)の評価、今一つは、その体制を基軸とするわが国の安全保障政策をどう見るかである。ようするに、沖縄に負担が集中するという現実をもたらしているところのわが国の安全保障体制について、沖縄の側からどのように考えるか、である。そのためには、論ずる者の安全保障観を言う必要がある。

 安全保障という概念は、言うまでもなく軍事分野にのみに限られるのではなく、経済や人権、環境、文化、相互理解など多様な内容を含む総合的なものである。そのことを担保したうえであえて言うならば、アジア太平洋をめぐる現実を直視したとき、依然として軍事面での安全保障は焦眉(しょうび)の課題の一つであると私は思う。軍事抜きの総合的な安全保障論は、今という時代に根ざす限り、明らかにリアリティーを欠いている。したがって、日米同盟を基軸とするわが国の当面の政策は、日本を取り巻く安全保障上の環境に適合する現実的なスタンスであると私は評価する。

 1972年5月15日の日本復帰により、アメリカにとっての沖縄=「軍事植民地」の時代は終止符が打たれた。と同時に、その時点を契機に基地オキナワという現実を温存したままで、そのような軍事機能を含む島々が日本国憲法体制下に参入した。それから先の時代の問題は、依然として「軍事植民地」であるかどうかということではなく、沖縄を含むこの国の同盟のあり方や安全保障上の課題にとって、基地オキナワという論点は何であるか、ということだと思う。

 日本復帰からすでに34年が過ぎた。過去を振り返ったとき、基地をめぐる問題が依然として沖縄最大の争点であったことは紛れもない事実である。「基地被害」という用語ではとうてい包摂できないところの、過酷な事件・事故も多発した。わが国中央政府の基地政策も大いに説得力を欠いてきた。

 しかし、この34年間は基地問題のみが塗り込まれた時間だったのではない。沖縄という意識をふまえた様々な努力と営みが各分野で台頭し、多くの蓄積を積み上げた時間でもあった。つまり、沖縄が背負ってきたのは基地問題だけではなく、この島の可能性を打開するという重い志を担いできた過程でもあった。その状況の渦中にいた者の一人として、自分の立つこの島が「軍事植民地」であると思ったことは、ただの一度もない。

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■はじめて、高良さんの議論にまっこうから反論したくなった(笑)。いままでは、「そうくるのも、ありだよな」とおもってきたが。■「こういう結論にみちびくために、現状の安保体制と経緯を批判的に検討してきたんですか?」ってね。

 沖縄は、誰にとっての「軍事植民地」なのか。「軍事」機能を沖縄に押し付け、その機能を確保する術(すべ)として沖縄を「植民地」としている者は一体どこの誰なのか。ヤマト(沖縄以外の日本)だと言うのであれば、この答えは立論の段階からすでに破綻(はたん)している。なぜなら、憲法を頂点とするわが国の法秩序において、沖縄のみを差別化して、「軍事植民地」という地位に据え置くという反憲法的な統治体制は存在していないからだ。憲法の適用範囲にある沖縄居住の国民もまた、ひとしく政治的自由や基本的人権などが保障されており、政府批判を声高に叫ぶ自由をヤマト同様に対等に認められている。そのような状況のどこに、「植民地」と看做(みな)しうる制度的根拠が存在するというのだろうか。
ってくだりを防衛庁首脳や政府関係者がきいたら、ないてよろこぶだろう。
■米軍基地に経済的価値のたかそうな拠点部分を占有され、おもうにまかせない経済的自立。経済苦境のなか、公共事業と軍用地代にこころならずも依存する体質。■こんな構図のなかで、「憲法の適用範囲にある沖縄居住の国民もまた、ひとしく政治的自由や基本的人権などが保障されており、政府批判を声高に叫ぶ自由をヤマト同様に対等に認められている」なんて、形式論を展開してどうなるんだろう。


【シリーズ記事リンク】
<9>米軍再編=「転載:米軍再編(『読売新聞』沖縄版)
<8>日本復帰=「転載:日本復帰(読売新聞 沖縄)
<7>アメリカ統治時代 =「転載:アメリカ統治時代(読売新聞 沖縄)
<6>沖縄振興策の評価=「転載:沖縄振興策の評価(読売新聞 沖縄)
<5>基地オキナワという現実
<4>ウチナーンチュとは
<3>「日本留学」世代の意識
<2>日本の中の沖縄
<1>南大東島という体験