■以前紹介した「沖縄の化学兵器」「水俣秘密工場」とおなじく、原田和明さん(あの有名なエコノミストではないはず(笑)。)の連載を 別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。
■同趣旨の文章として、「化学兵器ダイオキシン 第1回 枯葉剤の原料は日本で作られていた」がある。


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世界の環境ホットニュース[GEN] 584号 05年05月31日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
           枯葉剤機密カルテル(第1回)
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枯葉剤機密カルテル            原田 和明

第1回 枯葉剤国産疑惑

 1969年7月、米軍が密かに沖縄に化学兵器サリンを配備していたことが発覚してわずか数日、今度はベトナム戦争を語るには欠かせない化学兵器・枯葉剤が日本で作られているという疑惑が持ち上がりました。

 69年7月23日、衆議院外務委員会において、楢崎弥之助社会党)が「三井東圧化学(現三井化学)大牟田工業所は、秘密裏に245Tなりその原料である 245TCPを作っている。」と暴露、さらに「ベトナム戦争で大量に使用された枯葉剤も三井東圧化学大牟田工業所で生産されたものではないか?」と政府にその調査を要求しました。
 245Tはベトナム戦争で米軍が大量に使用した化学兵器・枯葉剤の中でもダイオキシンが含まれることで問題となったオレンジ剤の一成分で、特にダイオキシン中最も毒性が高い 2378TCDD が含まれていた化学薬品です。米軍は様々な生物化学兵器をベトナム戦争に投入したため、容器を色分けして区別しました。オレンジ剤は 245Tと 24D という除草剤の混合物でオレンジ色の容器に入っていたことからそう呼ばれたのです。

 そしてオレンジ剤は、米軍の枯葉作戦以降、双生児奇形児がベトナム民衆だけでなく、米軍を含む参戦国の兵士にも多数生まれたことから敵味方に関係なく世代を超える深刻な影響をもたらしました。その原因は 245Tや24D中の不純物ダイオキシンであると考えられています。

 楢崎は次のように続けます。
「三井東圧化学大牟田工業所では、245T なり 245TCPの製造過程で爆発事故があり 1968年1月から7月までの間に、約 30人が被災、皮膚炎や肝臓障害を起こし、現在も被害者が続出している。これらの薬剤は1967年の終わりから急につくられるようになったが、市販されておらず、秘密工場のような状態で操業している。工員はガスマスクをして生産にあたっている。」

 そのようにして生産された三井東圧化学の 245Tがベトナムで使用されていると考えられる根拠として、楢崎は67年4月の米誌ビジネスウイークに「米軍が米国内での生産能力の4倍にもあたる大量の 245Tを発注した」と海外発注を暗示する記事が掲載されていることをあげました。その上で、「この245Tあるいは245TCPは、どういう状態の被害が起こっておるか、そしてこれはどこに使われておるか、輸出先はどこであるか、なぜ1967(昭和42)年の暮れから急につくり出すようになったか、これを責任をもって調べて御報告をいただきたい。」と政府に詰め寄りました。

 1961年以来ベトナム戦争で枯葉剤を散布する小規模な枯葉作戦を展開していた米国は、1967年になると大量の枯葉剤を散布し始めました。その後、枯葉剤の散布地域で起きている双生児、奇形児、死産など深刻な被害の実態が次第に明らかになりつつありました。国連事務総長 ウ・タントは 1969 年に「化学・細菌兵器とその使用の影響」と題する報告書を提出、これを契機として、化学兵器・細菌兵器(現在は生物兵器と呼ぶ)の全面禁止についての議論が国連軍縮委員会に諮られたのです。

 沖縄の米軍基地でサリン漏洩事故が起きたのはその軍縮委員会の開催中でした。
 楢崎の質問に先立ち質問に立った戸叶里子(社会党)は「軍縮会議開催を契機に日本政府は化学兵器の製造、貯蔵、使用は当然禁止すべきであるという提案してはどうか」と提案しました。

 外務大臣・愛知揆一はそれに答えて
「生物化学兵器の全面禁止が日本政府の態度である。(沖縄からの毒ガス撤去は)ただ単に沖繩の問題というだけではなくて、自分が持たないのみならず、広く全世界の各国が生物化学兵器というようなものを開発もしない、持たない、あらゆる意味でこれを撲滅したいということが、かねがねの日本の大方針であり、大悲願であるわけでございます。」と答えています。

 楢崎は戸叶質問で引き出した愛知発言について政府に詰寄りました。
「日本の工場で、ベトナムの枯葉作戦に使われておるこういう化学兵器がつくられているんじゃないか。こういうことを日本の工場でやる。そして事故まで起こして、現在もその患者が続いておる。外務大臣、これから先が問題なんです。これは沖繩で毒ガスの事故が起こったのと同じですよ、ケースとしては。沖繩の毒ガスにびっくりすると同じくらいびっくりしなくちゃいけない。国内でそういう事件が起こっておる。こういうことをしておって、外国に、やれ化学兵器はいけないの、生物兵器はいけないのと言えるか、説得力があるか、私はこれを言っているのです。そういう点について、ひとつ外務大臣の御感想をこの際聞いておきたいと思う。」

 この一月前、南ベトナムの新聞「ティンサン」が枯葉剤散布地域の住民に出産異常が激増しているとの連載を始めましたが、即座に発禁処分となっていました。
中村梧郎戦場の枯葉剤」岩波書店1995)

 外務大臣・愛知揆一は平静を装い、「特に感想もございませんが、ただいま御指摘になった事故の調査につきましては、十分ひとつ関係省庁にお願いをして調べてみたいと思います。」と答えただけでした。

 対する楢崎は皮肉を込めて、「あなたは外務大臣ですよ。佐藤内閣の閣僚でしょう。別に感想がないんですか、この種の事故が起こっても。驚きましたですね。そういう感覚でこの生物・化学兵器の問題を取り扱うのはたいへん残念に思いますよ。」と語りました。

 戦争によって景気回復した日本の産業界は内心ではベトナム戦争終結をあまり歓迎しておらず、できれば半永久的に続いてもらいたいと期待していました。このような気持ちが政府自民党のベトナム和平に対する消極的な姿勢を支持する形になっていました。(安藤慎三「ベトナム特需」三一新書1967)

 それが愛知の発言にも表れています。歴史の事実から言えば、楢崎の追及はその後うやむやにされてしまいました。今回はその後明らかになった事実の断片から彼の追及の先にあったはずのベトナム枯葉作戦の供給システムに迫ります。

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■それにしても、原田さんの連載には、いつも財閥系・非財閥系の大企業がからんでくるし、ときの政府がかならず暗躍しているよね。■大企業とアメリカの利益になる政策をくりかえせば、なもない庶民にとっても「最大多数の最大幸福」がかならずもたらされる、っていう、信仰のような感覚があったとしかおもえない。
■現在の中学高校で、これらのことを地歴科や公民科の素材にとりあげるのだろうか? ■すくなくとも、ハナラの少年時代には、左派系のジャーナリズムがねばりづよくとりあげることはあっても、教科書にはとおりいっぺんの記述しかなかったように記憶しているし、先生方が熱心に論じた記憶はまったくない。■これは、自分たちの私生活第一でうごく市民と、それが支持する保守政党にとって、とてもつごうのよい記憶の風化だね。

■この連載は、何回までつづくのだろうか?