■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第5回。

【シリーズ記事】「転載:枯葉剤機密カルテル1」「」「」「


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世界の環境ホットニュース[GEN] 588号 05年06月13日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第5回)       
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枯葉剤機密カルテル           原田 和明

第5回 告白

枯葉剤国産疑惑から30年あまりが過ぎた2000年暮れ、当時三井東圧化学副社長が主要輸出先のひとつと認めたニュージーランドで爆弾発言が飛び出していました。
ニュージーランド北島南西部ニュープリマス市にあるイワンワトキンス・ダウ社(現ダウ・アグロサイエンス社)の元幹部が、マスコミのインタビューに答えて、ベトナム戦争で使われたオレンジ剤を同社が供給していたことを認める発言をしたのです。彼はオレンジ剤の輸出計画を支援する管理委員会のメンバーでしたから、同社のオレンジ剤関与のすべてを知りうる立場にいました。以下は彼の告白です。(NZ国際ニュースマガジン2001年1/2月号)

1960年代 後半から70年代 初期にかけての 期間、ニュージーランド 政府はイワンワトキンス・ダウ社にオレンジ剤の成分である24Dと245Tを製造する独占的な免許を与えました。他社は許可されませんでした。我々はニュージーランドで生産された24Dと245Tの全てを作りました。24Dと245Tは別々の場合には除草剤です。混合すると『オレンジ剤』になるのです。
我々が出荷した化学製品は技術的にいえば誰かが最終的な目的地でそれらを混ぜるまで、オレンジ剤ではないのです。」

ニュージーランドは 英国、オーストラリア、カナダとともに米国との間に化学兵器開発協定を結んでいました。(宮田親平 「毒ガスと科学者」光人社1991)
1960年代後半とは、同社の1967年版年次報告書に同社が隣接する広大な土地を農薬の「実験農場」として購入したとの記載があることから、米国防総省が大量の枯葉剤を発注した1967年と同時期とみて間違いなさそうです。米国防総省はニュージーランド政府に速やかに50万ガロン(1900キロリットル)のオレンジ剤を供給できる体制がとれるか打診しました。その結果、1948年から245Tを生産していたイワンワトキンス・ダウ社が候補にあがり、他社の参入阻止を政府が保障したのです。

ここで年産50万ガロンの意味を考えてみましょう。オレンジ剤は希釈せずにそのまま散布されていたので(レ・カオ・ダイ「ベトナム戦争におけるエージェントオレンジ」文理閣2004)、オレンジ剤のベトナムでの散布量は米空軍の統計によると通算で 約4.4万キロリットル、枯葉作戦が本格化した67-69年では3.3万キロリットルでした。散布量=発注量だと仮定すると米国内生産能力の4倍が発注されているので外国発注分は3.3×3/4=2.5万キロリットル、これに対して67-69年の間だけ イワンワトキンス・ダウ社はフル操業したと仮定すると 150万ガロン(5700キロリットル)となり、実に外国発注分の約 1/4、換言すれば米国の全生産能力に匹敵するほどの量がイワンワトキンス・ダウ1社に委託された計算になります。実際 イワンワトキンス・ダウ社が1946年から1987年までに生産した24Dと245Tの合計は2万キロリットル以上と発表(グリーンピース・ニュージーランド 2004年 12月2日)されていますので、枯葉作戦への「貢献度」はもっと高いのかもしれません。

イワンワトキンス・ダウ社は1969年まで原料である245TCPを自社で製造せず全量輸入に頼っていたと元幹部が告白していますが、分業の理由は245Tの生産ノルマ達成がやっとだったからかもしれません。あるいは分業によってリスク分散を図ったか、はたまた「特需」の分配という側面もあったことでしょう。

これに対し、ダウ・アグロサイエンス社(旧イワンワトキンス・ダウ社)は枯葉作戦への関与はないと自社のHPで反論しています。

「1990年にニュージーランド外務省と国防委員会は、オレンジ剤がニュージーランドで製造されたという情報に基づいて調査したが、そのような申し立てを支持する証拠は見つからなかった。さらに、同社はニュージーランドで製造した245Tを米軍に販売しなかったことを確認した。」

しかし、当時の調査委員会に与えられた権限はほとんどなく、証拠集めのためにイワンワトキンス・ダウ社の経営陣を喚問することもできなかったのです。これでは証拠が見つかるはずがありませんし、元幹部の告白によると元々政府主導で受託した事業ですから政府の調査で関与を認めるはずもありません。

さらに元幹部は次のように語っています。

我々がオレンジ剤に関与していることに気づかれないために製品をわざわざ南アメリカやメキシコに出荷しました。そしてそこから改めて最終目的地である南ベトナムに送ったのです。」

米軍に販売したことを隠蔽するために第三国に迂回輸出していたのですから「米軍に販売しなかったことを確認」しても何の反論にもなっていません

元幹部の告白にはオレンジ剤がなぜ24Dと245Tの1:1混合物であるのかについても語っています。民間化学会社が生産するのは、混合するまではあくまで「除草剤」であって、「オレンジ剤」ではありません。もし 製造が 発覚しても「オレンジ剤は作っていない。」と釈明できる予防措置だったのです。1:1の混合なら誰でもできます。

三井東圧化学・平山副社長は「(輸出先で加工されてベトナムの枯葉作戦に使われているという)事実があるなら、ぜひ教えてもらいたいものだ」と記者会見で開き直ったと伝えられましたが、米国や南ベトナムに送っていないと明言できたのはこういうカラクリがあったからでしょう。イワンワトキンス・ダウ社は1969年まで原料の245TCPを輸入して245Tを作っていましたので、ニュージーランドに輸出された三井東圧化学の245TCPはすべてイワンワトキンス・ダウ社の245T原料として使われたことになります。そしてその後さらに第三国を経由して南ベトナムへ送られたのです。

同社元幹部のこのような証言が得られた背景には、ベトナム帰還兵の枯葉剤被害とともに、同社が犯したさらに大きな問題がありました。元幹部の妻も当時のことを思い出して次のように証言しています。

オレンジ剤について大騒ぎになっていた頃ある夜帰宅した夫は私に『誰にもこのことを口外してはならないし、誰も詮索してはならない』と言いました。
しかし、あるとき、彼が感じていたよりもその化学物質は遥かに致死性が高いとわかると、彼は意見を変えてこう言ったのです。『真実を明らかにしなければならない。何かしなければ』と
」(NZ国際ニュースマガジン2001年1月号)

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■日本人のおおくは、英米両国は帝国主義国家だが、オセアニアカナダを、人口がすくない、国際的野心がない平和的な国民だと、ソボクに信じているかもしれないが、そんなイメージは幻想だ。■アングロケルティック連合=ヨーロッパ系英米語国家群は、ロコツに帝国主義にてをそめるかどうかは、ともかく、必要とあらば米国としっかり軍事同盟をむすび、政治経済的な利害をちゃんと確保してきたのだ。■そういえば、オーウェルの『1984年』の「オセアニア」って超大国は、イギリス・北米連合国が前身とされていた。■しかも、オーウェルのオヤジさんってのは、「アヘンの栽培と販売を行っていた公社」に勤務していた植民者だったね。
■もちろん、ヤマト帝国は、ずっと小物のワルだが、新興財閥の日窒コンツェルンなどは、もちろん、しにせ財閥グループも、「財閥解体」後も、しっかり帝国主義を実践している。■戦後体制=米国の「したうけ国策」には、ちゃっかりとのって、しっかりもうけてきたわけだ。