■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第7回。

【シリーズ記事】「転載:枯葉剤機密カルテル1」「」「」「」「」「


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
世界の環境ホットニュース[GEN] 590号 05年06月19日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第7回)       
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

枯葉剤機密カルテル                    原田 和明

第7回 焼け焦げたドラム缶

三井東圧化学が、ニュージーランドと並ぶ主要輸出先としたオーストラリアではどうだったのでしょうか?

2004年4月18日、ABCオーストラリア国営放送は 西オーストラリア州キンバリーの林業労働者の間でダイオキシン特有の症状が広がっているという事件を放送しました。ベトナムでの枯葉作戦が 中止になってから 行き場を失った枯葉剤が「除草剤」としてオーストラリアの山林に散布された結果でした。散布しきれずに残った除草剤はドラム缶に入ったまま山林に埋められていました。その番組の中で、オーストラリア国立大学化学科元教授ベン・セリンジャーはインタビューに答えて、次のようにコメントしています。
『除草剤』は1960年代後半から70年代前半にかけて、ベトナムに大きな市場をもっていた日本、英国、米国の会社からオーストラリアに持ち込まれたことはほぼ間違いありません。米国の枯葉作戦中止は、それらの会社にとって突然その市場がなくなったことを意味します。彼らはベトナムに代わる新たな売り先を求めていました。『除草剤』の多くはシンガポールを経由してオーストラリアに持ち込まれています。シンガポールには除草剤の大手企業がなかったので、国の統計局には好都合でした。(筆者注:輸出元企業名を掲載せずに済むためか?)69-71年の間 以外にはシンガポールから『除草剤』は全く輸入されていません。我々は 輸入統計から シンガポール経由で輸入された膨大な量の『除草剤』の痕跡を入手しました。」

三井東圧化学が245Tとその原料245TCPの輸出先として挙げた国のうちフランスを除く「ニュージ?ランド、オーストラリア、英国、シンガポール、米国」がこれで出揃いました。ニュージ?ランドとオーストラリアで最終加工が施されて、ベトナムの米軍基地に持ち込まれ、そこで混合され化学兵器オレンジ剤となったのです。

ベトナム戦争当時、245Tとその原料245TCPを輸入していたのは西オーストラリア州パースに本拠を置くクイナナ化学工業と、シドニーのユニオン・カーバイド社でした。

ユニオン・カーバイド社は米国の巨大多国籍化学企業の一つで、第二次世界大戦後シドニー郊外ローデス(ホームブッシュ湾)で有機塩素系農薬を生産していたチンボール社という地元企業を買収して、245Tの生産を開始しました。イワンワトキンス・ダウ社同様、枯葉作戦中止後の1971年には大量の245T及びその副産物を在庫として抱えることになりました。1976年まで生産を続けていますが、大量の在庫の処分に困った挙句、ホームブッシュ湾に投棄して深刻な海洋汚染を引き起こしています

クイナナ化学工業はパースの他、シンガポールとクイーンズランド州の州都ブリスベーンに関連会社があり、農業保護委員会への主要な除草剤供給メーカーでした。枯葉作戦中止後は山林の下草用除草剤として国内で販売していましたが、林業労働者に体調不良を訴える人が続出したため、労働者が除草剤の使用を拒否、大量の除草剤の処分方法も分からなかったため、南パース・ドゥエリングアップ地区の林業労働者はドラム缶に入ったまま山林に埋めることにしたのです。

2004年10月3日、ABCオーストラリア国営放送は 1970年代から80年代にかけて配布された「除草剤」によって生じた農民の健康被害と西オーストラリア州政府の対応を放送しました。被害はクイーンズランド州の林業労働者や西オーストラリア州の農民に広がっていました。

キンバリー農業局職員・カールは「突然」ドラム缶に入った「除草剤」を割り当てられ、ダービー地区の林業労働者に配布するよう命じられました。当初持ち込まれたドラム缶には銀の線が描かれ、農業保護委員会に販売していたクイナナ化学工業のラベルも貼付されていて、内容物は暗褐色の蜂蜜か軽油のような液体だったことを記憶しています。しかし、70年代になってダービー地区に持ち込まれたドラム缶にはラベルがなく、黒いどろどろした液体が入っていました。

1981年大量の245Tが埋められているとの情報に基づき、前記のベン・セリンジャーと同僚のピータ・ホール両教授のグループが調査したところ、多数のドラム缶を発見、それらのドラム缶は炎で焼かれた跡があるという特徴がありました。

1971年にタリフ委員会がオーストラリア国会に提出した報告書によると、クイナナ化学工業はベトナム戦争の期間中、245Tを輸入しており、火災損傷を受けたドラム缶も同社がシンガポールから輸入、安価でここに持ち込んだことがわかっています。火災損傷はシンガポールで受けたもので、加熱によりダイオキシン濃度が かなり高まったと考えられます。(オーストラリア国営放送 2004年10月4日放送)1981年6月10日付オーストラリア国会議事録の中にクイナナ化学工業が輸入していたドラム缶の内容物の分析結果が残されています。それによると、内容物は245Tのブチルエステルで ダイオキシン濃度は 245T基準で 26ppm(全体で19ppm)TCP(トリクロロフェノール=245Tの原料)も 24Dも含まれていませんでした。

クイナナ化学工業の関連会社・ファーム化学(ブリスベーン)の主任だったポール・デビッドソンは、彼自身発疹や甲状腺の異常を抱えており、娘を亡くしていました。彼はそれらの原因が工場で扱っていた除草剤にあると信じていました。彼は次のように証言しています。

「工場では除草剤をクリーク(小川)に投棄していました。そのクリークはブリスベーン川に通じています。245Tは蜂蜜色した流動性のある液体で、軽油で希釈して雑草に散布していました。ところが焼け焦げのあるドラム缶の内容物は真っ黒で、表面に白い結晶が成長していて、まっとうなものではないと思いました。」

しかし、彼は上司から熱湯の入った容器に入れて内容物を溶かすように指示されました。(ABCオーストラリア国営放送 2004年10月3日)これだけでは判断できませんが、「黒い内容物に白い結晶」とは保管状態のよくないフェノール系の化学物質によくみられる現象です。熱湯の中で溶解させるという取り出し方も同じです。ポールが記憶しているドラム缶の内容物はフェノール系である245TCP(245Tの原料)だったかもしれません。

1970年代になって、林業労働者の元に配布された除草剤は「焼け焦げのあるドラム缶に入っていて、ラベルはなく、内容物は 黒または 暗褐色の粘性のある液体だった」といいます。国立大教授ベン・セリンジャーも彼が発見したドラム缶の中身は「黒くて粘性があり、純粋の245Tではなかった」と証言しています。(ABCオーストラリア国営放送 2004年10月3日)工場主任・ポールが見た内容物とは別物のようです。

このようにオーストラリアはニュージーランドとともに枯葉剤の加工工場の役割を負い、品質の異なる様々な「枯葉剤」が持ち込まれていたようです。これらは1971年の枯葉作戦中止に伴ってオーストラリア国内で消費されるようになったことから問題が表面化したものですが、それ以前は品質に関係なくベトナムの密林や民衆の頭上に連日降り注いでいたのです。

-----------------------------------
■オーストラリアや、先日このシリーズがとりあげていたニュージーランドなどは、自然破壊などとは無縁な空間と信じられてきたかもしれない。■しかし、すくなくともベトナム戦争の余波である枯葉剤によって、大量の有害な化学物質がもちこまれていたことがわかる。■そして、重要なことは、ベトナムでの枯葉剤の「後遺症」は、もっと深刻なのに、すでに「過去」のことのようにあつかわれている点だ。■ニュージーランドやオーストラリアはアングロ・ケルティック系の先進諸国の一部だから兵器として被害者がでなくても、問題化したわけだ。■ベトナムに関しては、みんながわすれたがっているようである。■日本人が水俣病をわすれたがり、四日市ぜんそくをわすれたがってきたように。