■インターネット新聞『JANJAN』から「比嘉康文の沖縄通信」の最新号を転載。■リンクは、時間をみて、追加していく予定。
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6月23日慰霊の日を前に「沖縄戦について知ろう」 2006/06/22

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 沖縄県だけが公休日となる「慰霊の日」が近づくと、学校図書館や各地の図書館で沖縄戦関係図書、沖縄戦の写真、図表などが展示される。また博物館では沖縄戦当時の遺品や敗戦後の生活用品、落下傘で作った衣類、1オンスの缶詰缶で作ったカンカラ三味線などが展示されたり、戦跡めぐり、講演会、クラスごとの平和学習などが行われる。

 アメリカの従軍記者が「醜さの極致」と表現した沖縄戦について学び、そして平和について考える催し物が沖縄では盛んに行われている。そのことについて批判されたこともなく、毎年各地で催し物が行われている。
 「慰霊の日」は沖縄戦中の1945(昭和20)年6月23日、沖縄守備軍指令官の牛島満中将と長勇(ちょう いさむ)参謀長が糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)の洞窟壕で自決した日。

 現在その場所には「黎明之塔」が建立されている。日本軍の組織的な戦闘が終結した、としているが、実際には各地で戦闘が展開されていた。

 連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーから日本軍の降伏を受け入れるように指示された米上陸軍の主力だった米陸軍第10軍のスティルウェル司令官は、嘉手納の米第10軍司令部で、宮古島からきた第28師団の納見敏郎師団長、奄美大島からきた高田利貞陸軍中将と加藤唯雄海軍少将らが南西諸島の全日本軍を代表して無条件降伏の申し入れを受けたのを機に、6通の降伏文書に署名させた。

 正式に降伏したのが9月7日である。だから6月23日を戦争終結の日として「慰霊の日」とするのは疑問だという声が根強い。

 6月になると、慰霊の日に向けて平和学習が盛んに行われる。今年は名護市の屋我地島にあるハンセン病の療養施設「沖縄愛楽園」が沖縄戦と療養者についてまとめた記録を発表したこと、また平和の礎への沖縄戦での犠牲者の刻銘などもあり、平和学習でハンセン病の療養者と沖縄戦をテーマにする学校が多い、という。

 宜野湾市立図書館でも沖縄戦関係の本や資料などが展示され、平和について考えるコーナーが設けられ、学生や市民の関心を集めている。

 摩文仁という言葉は、霊園・慰霊碑のあるところ、戦跡を意味するようになった。平和祈念館や平和の礎(いしじ)、各県の慰霊碑が建立されている。毎年6月23日に平和公園内で慰霊の式典が行われている。

(比嘉康文)

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■何度かかいたとおり、6月23日に記念日をおくことの妥当性には疑念が当然つきまとうが、その政治的意義はちいさくない。■指導者がイヤイヤやって、空洞化するといった危険性は、広島長崎の反核運動や、同和教育同様、ありえるだろうが、6月23日に記念日をおくこと自体の再検討も当然おこなわれるだろうからね。
■問題は、ほかの地域だよね。■目前に戦争がチラつかないから、かんがえなくてもいい、って姿勢では、「ひとごと平和主義」っていわれても、しかたがないからね。


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