■別処珠樹さんの『世界の環境ホット!ニュース』のバックナンバーから転載【リンクは、ハラナによる追加】。■シリーズ第8回。

【シリーズ記事】「転載:枯葉剤機密カルテル1」「」「」「」「」「」「


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世界の環境ホットニュース[GEN] 591号 05年06月24日
発行:別処珠樹【転載歓迎】意見・投稿 → ende23@msn.com     
枯葉剤機密カルテル(第8回)       
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枯葉剤機密カルテル                 原田 和明

第8回 西欧一の農薬工場

枯葉剤の成分である24Dも 245Tも 第二次 世界大戦中の 1941年、英国のICI(帝国化学工業)によって、その優秀な除草効果が見出されたのです。戦時中ですから、「農産物増産に寄与する除草剤」としてではなく、「敵の食糧を破壊する枯葉剤」として研究が進められました。世界初の「枯葉作戦」は1945年秋に米軍が 西日本で実施する計画になっていましたが、米国は原爆投下を優先、8月に日本が無条件降伏したことにより、日本では行なわれず、その後 東南アジアで実施、ベトナムで 大規模化しました。(中南元「ダイオキシンファミリー」北斗出版1999)

ICI社は 英国内市場では 圧倒的なシェアを得て独占を享受し、その名の通り大英帝国で支配的な地位にありました。戦後、分散政策がとられ、245Tなどの塩素系農薬はコアライト社が英国での主導権を握ることになりました。(フレッド・アフタリオン「国際化学産業史」日経サイエンス社1993)

コアライト社は製造や販売を別会社として、研究と管理を中心に行なっていました。1960年までに、コアライトグループは塩素化フェノール(245Tの原料を含む)の英国内及び西欧でのトップ企業となり、農薬需要が増大しつつあった東欧にも 進出し始めていました。1964-65年には、同社製 塩素系農薬の 輸出額の5%以上は 東ドイツを除く東欧に向けられていました。東ドイツには『既に製品となっているが量としては不十分な除草剤』の大規模生産工場建設プロジェクトがあり、1964年にコアライト社はこのプロジェクトを支援する組合への参加を要請されましたが、同社は当初あまり乗り気ではありませんでした。同社は塩素系農薬の生産プロセスについて特許権を取得しておらず、競合メーカーに「(特許権のない)ノウハウ」を提供するなど、かつてなかったからです。しかし、応諾することで他社を東欧市場から締め出せると考え、同社は10万ポンドで契約を交わし、組合に加わることになりました。(英国国税庁ウエブサイト)

枯葉剤の成分24Dも 245Tも 原料は塩素化フェノールですから、英国からオーストラリアに持ち込まれた枯葉剤原料は西欧一の塩素化フェノールメーカーであるコアライト社製だったと考えられます。また、日本の三井東圧化学が英国に輸出した先もコアライト社と推定されます。

それにしても、「既に製品となっているが量としては不十分な除草剤」とは何を意味するのでしょうか? そして、東ドイツの大型プロジェクトはどうなったのでしょうか? もし、ここでいう「除草剤」が245Tまたはその原料ということになると、共産圏の東欧も米軍の「枯葉作戦」に加担していたということになります。

コアライト社は 英国南部 ダービーシャー州ボルソーバに 工場がありましたが、1969年4月23日、この工場で 爆発事故が起こりました。その年の12月までに被災者80人(うち死者1人)をだし、工場は半年間 操業停止となりました。楢崎が国会で三井東圧化学の枯葉剤製造疑惑を質したのはこの休止中にあたります。その間に汚染の除去作業が進められましたが、その工場の従業員2人が事故から3年後に塩素挫創を発症、家族も発症しました。(G.May "Choracne from accidential production of TCDD. "Brit J Ind.Med 30 pp 276-283 (1973) )

コアライト社は米軍の枯葉作戦 中止後も245Tの操業を継続していましたが、1976 年 7 月、イタリアのミラノ郊外で 245TCP 工場の 爆発事故があり、245TCPの過熱により大量のダイオキシンが工場周辺に降り注いだのです。(セベソ事件)この事件をきっかけにコアライト社の従業員の間で動揺が広がりました。そのため、同社重役が従業員に対する健康影響を再評価するようメイ博士に委託、彼は3人の外部専門家を選任し、共同で調査を開始しました。

ところが、その後調査メンバーの一人マーティン博士はコアライト社より調査結果は公表しないよう強く要請されました。その背景にはメイ博士の最初の調査結果に偽装があることをマーティン博士が発見したという事実がありました。偽装とはメイ博士が「被災グループ」に分類した従業員の中に、事故当日勤務していなかったと工場労働者が指摘した管理部門のスタッフが含まれていたのです。これでは「被災グループ」と「被災していない対照グループ」の差が不明確になり、被災の影響が過小評価されることになりかねません。マーティン博士の調査結果では「被災グループ」と「対照グループ」の血液データに差が認められていたのに、コアライト社は両者に有意差はなかったとする調査の概要版を公表しました。

そこで、マーティン博士は 新たに被災者8人から採血して第二の研究を開始、その結果は 1979年2月のランセット誌で公表されました。その直後マーティン博士の自宅に泥棒が侵入、関係書類だけ持ち去られるという事件がおきました。残念なことに博士はコピーをもっていませんでした。このような奇怪な事件を経て、コアライト社労働組合は245Tの操業中止を議決、同社は245Tの操業を断念せざるをえなくなったのです。

そして、英国政府 健康安全局(HSE)は先にコアライト社が公表した概要版を最終調査結果として受領しました。(A Hay "Company suppresses dixon report",Nature, 284, pg2, (1980)、Coalite health survey talks",Nature, 285 p 4(1980) 、Dioxin hazards: secrecy at coalite. Nature 290, p 729 (1881)、A Hay The Chemical Scythe pp. 109-121 (New York: Plenum Press, 1982).)

その後1986年にコアライト社のボルソーバ工場で火災事故が発生、同社はこのとき、周辺にダイオキシン汚染が広がったことを認めました。世界で唯一、ニュージーランドで操業していた245T工場が閉鎖されたのは翌1987年のことでした。

その後、1991年に再びコアライト社がダイオキシン問題で取り上げられることになりました。英国農水省がコアライト社工場周辺の牧場で飼育されている乳牛から高濃度のダイオキシンが検出され、このうち3箇所の牧場から 採れた牛乳を販売禁止にしたと発表しました。(英国環境情報サービス ENDS Report1991年11月号)工場周辺の汚染は英国でも同じでした。

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■いささか雑然として号で、少々わかりづらい。■が、ベトナム戦争で「敵の食糧を破壊する枯葉剤」をふくめた化学兵器が実戦活用されてしまったあと、戦争がおわりをつげた地域でも事故・健康被害が世界中にひろがっていったことだけは、わかる。■戦争というのは巨大な「特需」だから、アホな企業家が図にのって戦後の市場規模縮小もかんがえずに設備投資してしまうんだろう。■それが当然うりさばけず、しかも無害化できないとなれば、健康被害が続発すると。
■一方、それが農薬として転用可能となれば、市場にもちだされつづけるわけで、それは農地や消費者むけにリスクのバラまきになると同時に、生産拠点および流通拠点近辺で巨大なリスクをかかえるというわけだ。■ダイオキシンのリスクについては、その量についての過敏な反応が非科学的だとの批判が科学者からあがったいるが、こういった化学兵器や化学工場のように濃縮されたダイオキシン類が大量に生産・貯蔵されているような空間が危険であることは、いうまでもない。■かりに、焼却場のダイオキシン問題が、ありもしないリスクであるにせよ、化学工場で生産される「製品」は、確実にハイリスク物質といえる。
【つづく】