■『朝日新聞』(名古屋本社版社会面,2006/06/25)の記事から転載〔ウェブ上に存在せず〕
名古屋市 不燃ごみ97年から焼却
名古屋市が、不燃ごみとして収集し、市の一般廃棄物処理基本計画で埋め立て処分するとしているプラスチックやゴム、皮類を、実際には焼却処分していたことがわかった。埋め立て処分場の延命が目的で、97年から処分方法を変更していた。すでに20万トン以上を燃やしたとみられるが、市民の反発を恐れて公表していなかった。 (杉本裕明)
名古屋市 不燃ごみ97年から焼却
20万トン 反発恐れ非公表
名古屋市が、不燃ごみとして収集し、市の一般廃棄物処理基本計画で埋め立て処分するとしているプラスチックやゴム、皮類を、実際には焼却処分していたことがわかった。埋め立て処分場の延命が目的で、97年から処分方法を変更していた。すでに20万トン以上を燃やしたとみられるが、市民の反発を恐れて公表していなかった。 (杉本裕明)
プラスチック 新型炉整備で
名古屋市は、各家庭から週1回、不燃ごみを収集している。コップ、バケツ、袋などのプラスチックや、ナベなどの金属、ガラス、ゴム、皮などが不燃ごみに含まれる。
04年度の不燃ごみの収集量は6万2千トン。このうち重量比で33.4%を占めるプラスチックと8.2%のゴム・皮類を、市の三つの焼却工場で可燃ごみと一緒に燃やしていた。容積比では不燃ごみの8割ほどに達する。
市によると、収集した不燃ごみは大江破砕工場に運んでいる。
この工場では、破砕機でごみを砕き、回転式のふるい機や磁石を使って、さらに選別。缶など金属類はリサイクルに回し、陶器やガラスの粉などは埋め立て処分にしている。
プラスチックやゴム、皮類も表向きは埋め立て処分となっていた。だが、実際には圧縮機でコンテナに詰めて、木片など可燃物の異物と一緒に焼却工場に運んでいた。
プラスチックのうち、破砕できない袋などの軽質プラスチックは当初、固化機で熱を加え、クレヨン状に固めて埋め立てていた。しかし、固化機は故障が多く、01年で使用を中止し、以後は他のプラスチックと同様に焼却工場に運んでいる。
02年につくられ、ごみ処理の方法を定めた現行の第3次一般廃棄物処理基本計画では「『容器包装リサイクル法の対象とならない』ために資源化ルートのないプラスチックについては、不燃ごみとして破砕処理を行い、破砕不燃物として埋め立てています」などと明記している。実際には焼却処分をしているのに、違う内容の計画をつくった形だ。
市は77年にごみの分別収集を始めたが、プラスチックやゴム、皮類は「焼却不適物」として埋め立て処分にしてきた。ところが97年に大江破砕工場が稼動すると、プラスチックなどは焼却処分に変更した。
プラスチックを燃やすことができる新型の焼却炉の整備が90年代に進み、埋め立て処分場に持ち込むごみを減らすためにも、焼却を始めたという。
市によると、当時はダイオキシン汚染が問題になっており、焼却工場の周辺住民にはプラスチック焼却には抵抗感が強かった。このため処分方法の変更を公表しなかった。
はじめから可燃ごみとして収集すれば、破砕工場から焼却工場への輸送費が削減できる。だが、分別方法の変更は市民に周知徹底する手間が大変なため、これも見送られたという。
市環境局工場課の松葉基司課長は「公表すると焼却できなくなることを恐れ、市民に説明せず、一般廃棄物処理基本計画にも実態と違うこととを盛り込んだ。こんな変則的なことはいつまでも続けられないので、市民の意見を聞きながら、基本計画を見直して実態と合わせたい」と話している。
市民と議論を
市民団体「あいちゴミ仲間ネットワーク会議」代表の岩月宏子さんの話
処分場延命のため苦慮した上での行為だろうが、分別に協力してきた市民に隠してこそこそやるのはよくない。容器包装リサイクル法でプラスチック容器のリサイクルから漏れたプラスチックも多く、コストや安全性など様々な観点からプラスチックの処理のあり方を市民と一緒に議論すべきだ。
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■名古屋市は、藤前干潟をゴミ処分場にしようという計画がラムサール条約に登録されることで挫折するなどもからんで、徹底的な分別収集で全国でも有名な自治体のはずだった。■しかし、実際には、ダイオキシンリスク不安という拒絶反応をのりこえることなく(説得力ある説明ができないまま)、ズルをくりかえすという、なんとも無残な舞台ウラが露出したことになる(笑)。■一部では、プラスチック類を全部不燃物として処理しているとは到底かんがえられないという疑念がだされていたが、やっぱりね、という感じ。
■ともかく全部もやしてしまうという、ちょっと乱暴ながら、《高熱を維持できる焼却炉を確保できれば、ダイオキシンも心配ない》というたちばをとおしていたのが以前の横浜市だったが、ここも数年まえから 分別収集をはじめている。■しかし、この名古屋市のズルは、各自治体や市民運動に徐々にではあるが、深刻な波紋をよびおこすだろう。
■ちなみに、名古屋市の「不燃ごみの分け方・出し方」には、いっさいこの件にふれていない。■釈明ぐらいしたら。朝日のスクープだけで、あとは シラをきりつづけるつもりか?
■あと、杉本裕明記者、またご登場だね(笑)。■このあとの続報、期待してるよ。
名古屋市は、各家庭から週1回、不燃ごみを収集している。コップ、バケツ、袋などのプラスチックや、ナベなどの金属、ガラス、ゴム、皮などが不燃ごみに含まれる。
04年度の不燃ごみの収集量は6万2千トン。このうち重量比で33.4%を占めるプラスチックと8.2%のゴム・皮類を、市の三つの焼却工場で可燃ごみと一緒に燃やしていた。容積比では不燃ごみの8割ほどに達する。
市によると、収集した不燃ごみは大江破砕工場に運んでいる。
この工場では、破砕機でごみを砕き、回転式のふるい機や磁石を使って、さらに選別。缶など金属類はリサイクルに回し、陶器やガラスの粉などは埋め立て処分にしている。
プラスチックやゴム、皮類も表向きは埋め立て処分となっていた。だが、実際には圧縮機でコンテナに詰めて、木片など可燃物の異物と一緒に焼却工場に運んでいた。
プラスチックのうち、破砕できない袋などの軽質プラスチックは当初、固化機で熱を加え、クレヨン状に固めて埋め立てていた。しかし、固化機は故障が多く、01年で使用を中止し、以後は他のプラスチックと同様に焼却工場に運んでいる。
02年につくられ、ごみ処理の方法を定めた現行の第3次一般廃棄物処理基本計画では「『容器包装リサイクル法の対象とならない』ために資源化ルートのないプラスチックについては、不燃ごみとして破砕処理を行い、破砕不燃物として埋め立てています」などと明記している。実際には焼却処分をしているのに、違う内容の計画をつくった形だ。
市は77年にごみの分別収集を始めたが、プラスチックやゴム、皮類は「焼却不適物」として埋め立て処分にしてきた。ところが97年に大江破砕工場が稼動すると、プラスチックなどは焼却処分に変更した。
プラスチックを燃やすことができる新型の焼却炉の整備が90年代に進み、埋め立て処分場に持ち込むごみを減らすためにも、焼却を始めたという。
市によると、当時はダイオキシン汚染が問題になっており、焼却工場の周辺住民にはプラスチック焼却には抵抗感が強かった。このため処分方法の変更を公表しなかった。
はじめから可燃ごみとして収集すれば、破砕工場から焼却工場への輸送費が削減できる。だが、分別方法の変更は市民に周知徹底する手間が大変なため、これも見送られたという。
市環境局工場課の松葉基司課長は「公表すると焼却できなくなることを恐れ、市民に説明せず、一般廃棄物処理基本計画にも実態と違うこととを盛り込んだ。こんな変則的なことはいつまでも続けられないので、市民の意見を聞きながら、基本計画を見直して実態と合わせたい」と話している。
市民と議論を
市民団体「あいちゴミ仲間ネットワーク会議」代表の岩月宏子さんの話
処分場延命のため苦慮した上での行為だろうが、分別に協力してきた市民に隠してこそこそやるのはよくない。容器包装リサイクル法でプラスチック容器のリサイクルから漏れたプラスチックも多く、コストや安全性など様々な観点からプラスチックの処理のあり方を市民と一緒に議論すべきだ。
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■名古屋市は、藤前干潟をゴミ処分場にしようという計画がラムサール条約に登録されることで挫折するなどもからんで、徹底的な分別収集で全国でも有名な自治体のはずだった。■しかし、実際には、ダイオキシンリスク不安という拒絶反応をのりこえることなく(説得力ある説明ができないまま)、ズルをくりかえすという、なんとも無残な舞台ウラが露出したことになる(笑)。■一部では、プラスチック類を全部不燃物として処理しているとは到底かんがえられないという疑念がだされていたが、やっぱりね、という感じ。
■ともかく全部もやしてしまうという、ちょっと乱暴ながら、《高熱を維持できる焼却炉を確保できれば、ダイオキシンも心配ない》というたちばをとおしていたのが以前の横浜市だったが、ここも数年まえから 分別収集をはじめている。■しかし、この名古屋市のズルは、各自治体や市民運動に徐々にではあるが、深刻な波紋をよびおこすだろう。
■ちなみに、名古屋市の「不燃ごみの分け方・出し方」には、いっさいこの件にふれていない。■釈明ぐらいしたら。朝日のスクープだけで、あとは シラをきりつづけるつもりか?
■あと、杉本裕明記者、またご登場だね(笑)。■このあとの続報、期待してるよ。
名古屋市のゴミ改革
by ブレンダン バレット on 2008年, July 5 日
キーワード: ゴミ処理政策, リサイクル社会, 名古屋, 日本
1997年、名古屋市はゴミ処理政策に危機感を感じていた。人口200万人が居住するこの土地に造成する埋立地はもう残っておらず、藤前干潟の埋立て計画も浮上するが、市民から猛反対の声が上がっていたのだ。
市民の非難を受けた地元議員や市当局は、その圧力に応じることを余儀なくされた。
その数年前、日本ではリサイクル社会推進のための法律が施行されると、名古屋市議会もその導入に乗り出した。そして1999年、ついに埋め立て計画を撤回し、全市民に向けてゴミ減量化を目指す「ゴミ非常事態宣言」声明を発表。2000年、同市は容器包装リサイクル法を採択した。
その結果大きな変化がもたらされた。ゴミの減量化だけでなく、二酸化炭素と二酸化窒素の排出量の軽減にもつながったのだ。さらに、2002年には藤前干潟がラムサール条約に登録されるという嬉しい特典がついた。……
名古屋市はこの政策を見事に成功へと導いた。1998年にはゴミ量が102万2000トン、1999年は91万7000トン、そして2000年には78万7000トンへと減少し、当初目標に近づきつつあったことが同市のデータに記されている。
この時点で、名古屋市は「問題は解決した」と現状に満足することもできた。しかし、市民は努力を続け、2001年にはゴミ量が76万トンに減り、実に3年で25%の減量を達成した。
最新データによると、2006年の不燃ゴミは72万2000トン。これは1998年に比べ30万トン、すなわち約30%の減量だ。実に画期的だ。再利用ゴミに至っては、1998年の15万1000トンから2002年には35万5000トンに増加し、4年間で倍増した。
地元の研究者が二酸化炭素及び二酸化窒素レベルの調査を行い、1998年と2001年のデータを比較したところ、包装容器リサイクル法の施行以来、どちらの排出量も34%以上減少していたことが判明した。
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