■読売新聞の沖縄版の企画特集の、特集「沖縄から」の続編。■リンク等は、ハラナ。

<12>沖縄戦

 太平洋戦争末期の壮絶な地上戦。日本人犠牲者の総数は約18万8000人、そのうち沖縄県民は約10万人とされる。日本軍将兵に殺害されたケースや、住民の集団自決もあった。1945年3月26日、米軍は那覇西方の慶良間(けらま)列島を攻撃し、4月1日に約18万3000人の兵力を集中して沖縄本島に上陸した。日本軍は陸軍約8万6400人、海軍約1万人のほか、現地召集した防衛隊員や学徒隊員2万数千人で守備したが敗走を重ねた。本土決戦の時間稼ぎのために持久作戦をとったことや、防衛拠点の首里を放棄して住民が避難していた本島南部へ退却したことなどから県民の犠牲者が増えた。6月23日、陸軍の牛島満軍司令官が自決し、日本軍の組織的戦闘は終わった。
 ◆「よき日本人」の幻想今も 仲里効

沖縄の人々の身体に、島唄に、言語に、そして風景に、沖縄戦は遍在し、くり返し呼び戻される。たとえば戦後「新作民謡」と呼ばれた島唄の世界で、あのイクサが無数に歌にされたことは、その数の多さだけではなく、こだわりの強さからみてもきわめて特異な現象であり、世界の音楽史からみても際立っている。そして戦後すぐに住民自身の手によって書かれたのが沖縄戦体験記であったこと、それを「鉄の暴風」と名付けたことに、沖縄の人々が戦後の起源に刻んだゆるぎない原点が存在するように思える。

 『鉄の暴風』の著者の一人である牧港篤三は、沖縄戦をくぐった世代の「性癖」として、そこから出発しそこに帰る、あのイクサの絶えざる回帰性を語っていた。目にすることや耳にするものの向こうにイクサ場を幻視し戦争の音を幻聴してしまう。

 沖縄の新聞の社会面には、いまでもよく建設現場などで不発弾が発見され、そのたびに住民が避難する記事をみかける。沖縄戦で投下された不発弾は沖縄の地中深く眠りつづけ、その処理は半永久的に続くだろうといわれている。牧港篤三は地表を割って浮上する闇の部分に、自らの原体験を重ねながら、「コンクリートやアスファルトで蔽(おお)われていても、その下に永遠の生命を抱いて潜む爆薬を孕(はら)んだ物体が、にゅうっと顔を出し、ほくそ笑む。台風や雨が襲っても鉄面皮の不発弾は暴虐の夢を抱きながら、いつかは地表に出る時を待ちのぞんでいた。凶悪な意味を秘めて、街づくりの市民たちに襲いかかろうとする壮絶な意思を秘めて」と語っていた。

 ここには沖縄戦をくぐってきた者がいだく一種独特な感受性と想像力の内実が示されているように思える。あのイクサは沖縄の土地と、とりわけ戦中世代の生にとって「不発弾」のように、深層の闇として潜在しつづけるということでもある。

 ところで、では、私たち沖縄の戦後世代にとってあのイクサは何であり、そこから何を引き継いできたのか。住民の4人に1人の死者を出したことからも分かるように、近親の誰かの死があり、死を逃れたとしても戦争によって負わされた無数の傷口や傷跡を見てきたはずである。だが、私が沖縄戦について意識するようになったのは、「戦争責任」と「戦後責任」の問題を考えはじめたときからであった。

 より正確にいえば、沖縄の戦後史のメインストリームを形成した「日本復帰運動」の心情と論理にある種の「あやうさ」を感じはじめた頃であった。沖縄の戦後世代は、いわば日本復帰運動を中心的に担った沖縄の先生たちから、「よき日本人(国民)」になるために頭や身体を改造されてきた。この沖縄の先生の実践に、戦前の皇民化や植民地主義的な同化教育の戦後的な再生を嗅(か)ぎ取っていた。「あやうさ」とはそういった意味である。

 「日本復帰運動」を越えなければならない壁としてはっきり意識しはじめたとき、沖縄戦のもっとも際立った特徴の一つに挙げられる「あまりに沖縄的な死」としての「集団自決」がにわかにのっぴきならない形で浮上してきたのである。親が子を、子が親を、夫が妻を手にかけ集団で死に至らしめる凄惨(せいさん)な出来事はなぜおこったのか。そしてそのことはどのように読み解けばいいのか。その問いを徹底して突き詰めることによって「あのイクサ」が「わたしたちのイクサ」になった。「あまりに沖縄的な死」に、植民地化された人たちの共同の幻想の極限的な倒錯を見てしまった、ということである。

 戦前と戦後は断絶した、まったく違う歴史としてあったのではない。ここ沖縄においては、「日本復帰運動」の幻想によって、戦前が戦後に連続させられていった、といっても決して過言ではない。たとえ、アメリカ占領からの脱出というポジティブな側面があったにしても、戦争の〈責任〉を不在にしたことは、逃れようもない事実であったし、そのことが沖縄の〈いま〉の深部を規定しているといえよう。

 凶悪な意味を秘めた「不発弾」が地表を割って、ほくそ笑む。「あのイクサ」が「わたしたちのイクサ」になる結界は不断に再審されなければならない。



 ◆体験特権化くみしない 高良倉吉

 沖縄戦は、61年前に沖縄という土地で日米両軍が戦った戦闘のことである。その戦闘は日本が起こした太平洋戦争の一環であり、言うまでもなく国民全体が記憶すべき戦争体験の一部に属する。同時にまた、日本がアジアや世界を巻き込んで起こした大戦の一環であり、アジアおよび世界の人々にとっても銘記すべきものの一つだと思う。

 したがって、沖縄戦の教訓を語るという営みは、あのような無謀な大戦はなぜ起こったのか、それをなぜ阻止できなかったのか、という問いを基盤としたうえで、この問いを「戦後」という時間の持続的な課題とし続けることである。沖縄戦をめぐる記憶は、常にそうした国民的課題の一つでなければならない

 だが、沖縄における沖縄戦の語りは、あの戦闘の特質や沖縄が体験したところの「戦後」の時間によって強く規定された。

 住民生活の場が戦場となったこと、日本軍が時間稼ぎの捨て石作戦をとったこと、本土進攻を急ぐアメリカ軍が物量に物を言わせて短期決戦で臨んだこと、「皇軍」に国民保護の思想が薄弱であったこと、侵略戦争を積み重ねてきた日本軍の質がかなり劣悪になっていたこと、「友軍」と信じた日本軍から住民がひどい仕打ちを受けたことなど、沖縄戦はぬぐい難い戦禍となった

 戦(いくさ)が終わって間もなく、今しがたまで戦場であった土地に巨大なアメリカ軍基地が出現しただけでなく、沖縄そのものが日本から分断されアメリカ統治下に放り出された。そして、日本復帰(1972年)から今に至るまで、アメリカ軍基地が島の主要部に居座り続ける現実が継続している。したがって、沖縄においては、沖縄戦の記憶は61年前の過去として存在するのではなく、アメリカ統治や基地オキナワという現実に連動する形で語られ続けてきた

 もう一つ見逃せない点は、沖縄にのみ基地が集中するのはなぜか、沖縄のみを分断して長期にわたりアメリカ統治下に置いたのはなぜか、という疑問に沖縄戦の記憶がしばしば結び付いたことである。あの戦場で沖縄とその住民はどのように扱われたのか、体験の諸実相を引き出すたびごとに、「ヤマト(沖縄以外の日本)対ウチナー(沖縄)」という問題の相貌(そうぼう)が現れた

 その結果、沖縄戦を含む大戦はなぜ起きたのか、あの戦争をなぜ阻止できなかったのかという問いのことよりも、すぐれて基地オキナワをめぐる解釈や告発の言葉として、沖縄戦体験は絶えず現在にリンクされ続けてきた。そのような思想的構図が、沖縄戦の体験者こそが基地オキナワに対する正統な批評者だという状況認識をもたらしたのである。

 体験者は一義的には、なぜ大戦は起きたのか、なぜ阻止できなかったのか、という問いの起点に立つ。そして、戦後という時間を生きる過程においてその起点を絶えず反芻(はんすう)し続けたはずである。自ら体験した個々の事実の証言者であると同時に、戦後という時間で得た価値をもとにあの体験を絶えず解釈し続ける存在であった。つまり、あの時点とこの時点の両方に立つ者であるということであり、そのような位置で言葉を発してきたと思う。

 私の場合、沖縄戦体験者のその言葉に接するとき、まずは頭(こうべ)を垂れ、重いその意味を受け取る。そうしたうえで決意するのは、体験者の証言のほうではなく、解釈の部分に対しては自由な立場を確保したい。なぜなら、私にとって体験者は沖縄戦を学ぶ際の教師であることは間違いないが、基地オキナワや「ヤマト対ウチナー」という問題を解釈するときには対等でありたい。言い換えると、戦争体験を特権化して現在の問題を語るという立場の側には従わない、ということである。

 なぜ、そういう言い方をするのか、という問いがありそうである。ならば、こう答えたい。沖縄戦は日本が犯した戦争の歴史の一部であり、その原因や被害などを冷徹に分析し、現在のための教訓とすることには意味がある。しかし、あの時点の体験を金科玉条として現在を解釈することには無理があり、現在はその時点とは全く異なる多彩な属性を帯びる。私が生きるこの現在に責任を負いたいがために、あえてそう言いたい。

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■高良さんの発言は、沖縄人の一部の認識・意志を代表しているわけで、ヤマトゥンチュとしては、ウンヌンするたちばにない。■が、「戦争体験を特権化して現在の問題を語るという立場の側には従わない」というセリフを、曽野綾子氏とか、大澤真幸氏のような人物がいいだしたら、あきらかな越権行為だ。■そのヘンを誤読・誤解しないでほしいなと、切にねがう。



【シリーズ記事リンク】
<11>ベトナム戦争=「転載:ベトナム戦争(読売新聞・沖縄版)
<10>日米安保体制=「転載:日米安保体制(読売新聞・沖縄版)
<9>米軍再編=「転載:米軍再編(『読売新聞』沖縄版)
<8>日本復帰=「転載:日本復帰(読売新聞 沖縄)
<7>アメリカ統治時代 =「転載:アメリカ統治時代(読売新聞 沖縄)
<6>沖縄振興策の評価=「転載:沖縄振興策の評価(読売新聞 沖縄)
<5>基地オキナワという現実
<4>ウチナーンチュとは
<3>「日本留学」世代の意識
<2>日本の中の沖縄
<1>南大東島という体験



【関連記事】「沖縄戦60年=2世代の意味」「新崎盛暉,未完の沖縄闘争