ジェシカ・リンチ
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ジェシカ・リンチ(Jessica Lynch,1983年4月26日 - )はアメリカ合衆国の兵士。彼女はイラク戦争の間、捕虜にされたが、無事に救出されて帰国し、ヒーローと看做され、メディアの注目を浴びた。


この「ジェシカ・リンチ」は、人名に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
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12/24/2003
ジェシカ・リンチ事件の沈黙

NYdailyNewsの記事より。イラク戦争の「捕虜救出作戦」で有名なジェシカ・リンチの自伝書「I Am a Soldier, Too」の売り上げが急降下。まあ、ジェシカ自身、書籍内容について「おおげさ」「ウソ」「利用された」なんてインタビューで答えているので売れるわけがない。救出劇自体、米軍が企てた全くのヤラセだったことが判明するなど、プロパガンダとしてはお粗末なものだった。
さて、事件というものには後始末がつきもの。ジェシカの兄で軍人のグレッグ・リンチは、特殊航空部隊入隊直後の初心者にも関わらず、イラクの戦地に送られた。それはジェシカがインタビューを受けた直後の、軍としては異例のスピード決定だったという。

「救出劇」の関係者も安心してはいられない。イラクから米国に帰還したジェシカ・リンチ事件の証人である兵士のうち、すでに4人が不審な死をとげているのだ

インタビュー以降、ジェシカはメディアの前に姿を現すこともなく、事件についても再び沈黙している。
投稿: 02:16 午前 | 固定リンク


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コメント
なんだか日本の「竹槍事件」を思い起こさせる話ですね (^^;)。

 竹槍事件については、こちら↓
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/takeyarijiken.htm
投稿者: 夜帆 (2004/05/15 18:19:47)

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竹槍事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹槍事件(たけやりじけん)とは、第二次世界大戦(大東亜戦争)最中の1944年(昭和19年)に発生した当時の東条英機首相による言論弾圧事件である。また、この事件の対応をめぐり陸軍と海軍が対立する一幕もあった。

事件の概要
真珠湾攻撃による日米開戦時の首相であった東条英機は、戦陣訓にみられる敵国のみならず自国民に対する人権軽視が指摘されるなど問題の多い人物であったが、そういった問題のひとつに自身に対する反対意見には耳を塞いだのみならず、個人的に嫌いな人物や敵対者を召集して激戦地に赴任させる仕打ちをしていたことがあった。東条が出した「非常時宣言」のなかの「本土決戦」によると「一億玉砕」の覚悟を国民に訴え、銃後の婦女子に対しても、死を決する精神的土壌を育む意味で竹槍訓練を実施していた。そうしたなか1944年2月23日の毎日新聞朝刊に「竹槍では勝てない、飛行機だ」と新名丈夫記者(当時37歳)による記事が掲載された(このことは妹尾河童の小説「少年H」にも出てくる)。新名の記事は「海空軍力を速やかに増強し洋上で戦え」という意味の記事であり、陸軍の本土決戦構想に反対する海軍の指導によって書かれたものであった。この記事に対し東条は自分に批判的な記事を書いた新名を二等兵召集し、硫黄島へ送ろうとした。これに対して黒潮会(海軍省記者クラブ)の主任記者であった経過から海軍が新名の召集に抗議したものである。そのため新名は海軍の庇護により連隊内でも特別の待遇を受け三箇月で召集解除になった。また東条の意志で陸軍が新名を再度召集しようとしたが、海軍が先に徴用令を出し新名の命を救った。

とばっちり
新名が徴兵検査を受けたのは大正年間のことであり、その時期の兵は1人も召集されてはいなかった。そのため海軍は「大正の兵隊をたった1人取るのはどういうわけか」と陸軍をねじこんだのであるが、それに対し陸軍は、大正の兵隊を250人丸亀連隊に召集してつじつまをあわせた。その老兵達は全員が硫黄島で戦死することになった。