■愛知県の学校の先生、「矜持」という漢字表記でなまえをつけさせろと、国にせまって、訴訟。■おととい、名古屋高裁でまた敗訴らしいが、ウェブ上に記事がないので、とりあえず、一審の名古屋地裁への反応のひとつを転載。

March 31, 2006
名前なの?
「矜持」の名前は認められず 人名用漢字訴訟で判決(asahi.com)

 子供に「矜持」と名付けようとしたんだけど人名漢字に入ってないから受理されなかった41歳の先生が、精神的苦痛を受けたから慰謝料払えという訴えを起こしたんですが、請求は棄却されました、というお話です。
 …………。
 いろんな名前があるよねー。ほんとにねー、もうねー、基本的にはどうでもいい。いいんだけどさ。でも、「矜持」それは名前ではあるまいて。
 いい言葉だよ。きょうじ。岩波の国語辞典には「自分の能力を信じていだく誇り。プライド。」とある。すばらしい。すばらしいが、名前じゃないだろう。名詞だろ。

 いや、そりゃあね、勝利と書いてカツトシとか、正義と書いてマサヨシとか一般名詞ふうの名前は存在する。でも、そういうのだって、いちおう名前っぽい読み方にしてると思うんですけど。

 教司(お父さんは先生だし)でも恭二(次男だそうだし)でも強次(志ん朝さんの本名でもあるし)でもいいと思うんだけどなあ。でもって「おまえの名前はキョウジだ。別の漢字に“矜持”という言葉がある。おまえには矜持を持って生きていってほしいから、教司(もしくは恭二もしくは強次)と名付けたのだよ」と言ってあげればいいのに。
 そんな直截な、思いついたまんま、この言葉が好きだからそれを名前に、なんつうのは思慮に欠けるのではないか、と思ったりした。っていうか、ひねりがねえよと思いました。なんだその短絡的な名付け方。

 だってさー、この先生の主張って、

親が子に名前を付ける権利は表現の自由の最たるもの。それを認めず、人名に使える漢字も制限するのは憲法違反
 っつーんですぜ。子供の名前をつけるのは“表現の自由”だったのか。命名は表現だったのかあ……。
 外来語みたいな妙な名前に比べれば、まだキョウジはましかもしれんけどね、それにしたって矜持は名前に見えませんです。イントネーション違うし。

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■実に穏当、まっとうな違和感(笑)。

■それとくらべると、

大体、役所なんて「光宙(ぴかちゅう)」とか「光線(びーむ)」を許してくれるほど寛大(爆)なんだから。

アンタのガキも「矛今持」で「きょうじ」と読ませてもOKだよ、きっと。


といった、あからさまな あざけりは、感心しない〔「今日はなんかアクセス数爆裂」〕。
■それに、この御仁、戸籍法のコドモの命名の問題を事実誤認している。■戸籍法は、?コンピューターに登録されていなかろうが、康煕字典になかろうが、苗字のてがき表記が受理されてしまったもの、全部みとめる。一方、?コドモのなまえとかのち自身による変更について、苗字以外の表記を限定している。しかし、?その限定は、漢字表記とかカタカナとか、モジ種・字種の範囲の限定であって、ヨミは無制限なんだね。■つまり、人名漢字としてゆるされた範囲しかえらべないが、しかしヨミはなんでもありと(日本語の枠内という限定は暗黙のうちにあるが)。■したがって、「「矛今持」で「きょうじ」と読ませてもOKだよ、きっと」なんて、自信なさげだが、それでいいのだ(笑)。
■問題は、「よみはムチャクチャ自由放任なのに、漢字表記に限定があるのはどうしてだ?」って、ソボクな疑問に、裁判所も法務省もこたえきれていない点だ。
■もともと、漢字/ひらがな/カタカナしかみとめない=日本人=日本国籍者としてゆるさないという排外主義の方がずっと問題だし、「3種類の字種では、あらわしきれないオト、それにともなう語感をどうしてくれるんだ?」という、日本語文化外の住民(日本国籍者にも当然いる)の命名権・自称権侵害の方が、ずっとずっと深刻な次元にあるとおもうが、ともかく、訴訟をおこした先生のような人物は、視野がせまい以上、いったって、ききやしない(笑)。■そうなると、こういった自称、ヤマト言語文化死守派の御仁をだまらせる論理は、「普通名詞は、なまえ=固有名詞としてヘンです。可能なら、みみできいたときに、現代ニホンゴとして意味がわかる音列のなかから、おえらびください」と(笑)。■ヤマト言語文化の伝統とやらをホントに死守している人物なら、「キョージ」なんて、みみできいて意味不明ななまえ、つけることの矛盾にきづくはずだ。
■それと、法務省と裁判所が判断基準をブレないようにするためには、「常用平易な文字」(戸籍法第50条)といった、あいまいな論理ではダメだ。■この先生のように、パソコンで変換できるから簡単、といった、カンちがいに対抗できない。■パソコンが搭載するニホンゴ変換ソフトは、通常人のニホンゴ能力をはるかにこえた辞書機能をそなえているのであり、「変換できる=やさしい」なんて証明にはならないんだ。■法務省が人名漢字の範囲の改定・整備とかに、精力をはらうのは、愚の骨頂だ。「?漢字は当用漢字のなかの、さらに限定した人名漢字以外もちいてはいけない。?慣用よみや熟字訓はみとめない。?よみは容易に1とおりに限定されることがのぞましい。?できれば、ローマ字をふくめた表音モジ表記がのぞましい」という、規定を四半世紀も維持すればいいのである。■あっというまに、日本列島の日本国籍者から、トンデモ人名は激減するだろう〔ありえるとすれば、カタカナやローマ字での、意味不明ないしトンデモ命名(笑)〕。
■もっとも、日本語の固有名詞のやっかいさは、コドモのときにつけられた表記のトンデモ度だけではなくて、苗字の奇怪さ・複雑さが、家系・伝統と誤解されている点にあるから、したのなまえだけ規制しても、問題の半分がかたづくだけだが。

■では、「普通名詞は、なまえ=固有名詞としてヘンです。可能なら、みみできいたときに、現代ニホンゴとして意味がわかる音列のなかから、おえらびください」といった方針を、なぜ法務省にせまらないか? ■以上のべたことと一見矛盾するようだが、ニホンゴ文化のなかで自明視された固有名詞文化を当然視すると、ヤマト民族以外の日本国籍者に、同化をしいることになるからだ。■このようにかんがえてくると、ヤマト民族系の住民には「こりすぎの漢字表記、やめとけよ(たとえば500字ぐらいのなかから、えらぶ)」とせまりつつ、「常用平易な文字」のなかには、ローマ字も当然はいる、といった「追加」も圧力かけないとね。■外国人利力士に「しこな」として、漢字表記をあてがうだけでは満足できず、親方株をちらつかせて、漢字表記の日本人名をなのらせるというのと、おなじ論理がかかえこまれているからね。

■ちなみに、「矜持」なんて漢字語が、わかい世代だけでなく、平均的ニホンジン一般にとって、やさしいとか完全に誤解している先生におそわっている生徒たちは、かわいそうだね。国語科の先生でないことをホントいのるよ。


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